黒い日記とギシガシの夜

秋村 和霞

第X話


 一体どうしてこんな事になってしまったのだろうか。


 僕は暗い廃校舎の中をライトの光を頼りに進む。


 こんな不気味な場所からは一秒でも早く逃げ出したい気持ちだが、通い詰めるうちに古い木材の臭いも踏み出す度に軋む音を立てる廊下もすっかり気にならなくなってしまった。


 何より、行動を共にするサクラさんの手前、醜態を晒すわけにはいかない。彼女の為にも、そして何より自分の為にも逃げ出すという選択肢は無かった。


 ああ、せっかくの夏休みを命がけの肝試しで過ごさざる負えない状況が心底恨めしい。高校生に上がった僕らなら、中学時代以上に色々な所に遊びに行けただろうに。それこそ、親の同伴が無くとも、海や山に遊びに行く事だって許されたはずだ。そういえば、水着を買いに行く話もあったが、いつの間にやら有耶無耶になってしまった。廃墟に友人と忍び込むイベントも十分に夏らしい事といえるかもしれないが、それは安全な場所から僅かに恐怖を垣間見る程度のスリルを味わいたいだけであって、決して消化不良を起こす程の恐怖に苛まれ続けたいわけではなかったのだ。


「ねえ……ここってまだ調べてないと思う」


 つかれた様子のサクラさんが廊下に面したスライド式の木製の扉を指さす。光を向けると扉の上部に取り付けられたプレートの文字はかすれて殆ど消えかかっていたが、なんとか[資料室]という文字がかろうじて読み取れた。


 僕は扉に手を掛ける。軽い扉だというのに、どこかつっかえているのか中々開かない。前後にずれた二枚の扉の間に鍵穴があるという事は、錠が降りているのかもしれない。


「ちょっと下がってて」


 サクラさんが窓側へと下がる。ピキと軽い音が鳴ったのは、割れた窓ガラスの破片を踏んだのだろう。


 僕が勢いよく扉を蹴り飛ばすと木製の扉は衝撃音と共に二枚に割れる。中身が腐っていたのか、あるいはシロアリに中身を食い散らかされていたのだろう。


 衝撃で巻き上げられた埃を吸って、僕もサクラさんも咳き込む。疲れとストレスで思考力が落ち、この手の荒い手段を取る事に躊躇がなくなってきた事が嫌になる。だが、扉は開いた。キョウの見立てでは例の部屋は一階のどこかにあるはずで、二階に位置するこの場所には無いらしい。しかし、もしもキョウの推論が誤っていた事も考え、念のため僕とサクラさんが他の階も調査しているのだ。


 開いた扉の中を覗き込む。資料室というのだから、書籍や雑多な物が収容されているかと思っていたが、意外な事に中は空っぽの棚が並んでいるだけのがらんとした部屋だった。


「期待は薄いかな」


 僕らは軋む床を踏み抜かないよう、慎重に埃っぽい部屋へと足を踏み入れた。思えば扉を蹴り飛ばすような真似をして、床が抜けなくてよかったと思う。せっかく今の今まで生き残って来れたというのに、下の階に転落して打ち所が悪く命を落とすなんて間抜けな最後は迎えたくない。


 特に何か言葉を交わす事も無く、二人で手分けして部屋の中を調べ始める。ここが僕らの探す部屋であるとはとても思えなかったが、それでも手がかりが無いかしらみつぶしに探す。しかし見つかるのは、蜘蛛の巣や虫の死骸など生理的な負担を強いられるものばかりだった。


 僕は全身が粟立ちながら蜘蛛の巣をかき分けて棚の奥も探る。光を当てても、埃や蜘蛛の巣や、その他のよく分からない塵のようなゴミに埋もれて、視覚では何があるのか分からない箇所があったからだ。ここまで僕らを駆り立てるのは、あの日記に書かれていた場所を見つけなければ、僕らの内の誰かが今夜連れ去られてしまうかもしれないのだから。


 それは背後で棚を探っているサクラさんかもしれないし、一階を探している友達の誰かかもしれない。或いは、僕自身かもしれない。いずれにせよ、これ以上誰かが消えてしまうは嫌だし、それが僕である可能性があるという事も耐えられない。その恐怖に比べれば、この生理的苦痛の方が幾分かはマシだった。


 棚の上段を探ろうとして、棚の下段に足を掛けて登る。そこはゴミがほとんどなく視界は良好で中をまさぐる必要は無かったが、体重を掛けた途端に下の段を踏み抜いてしまう。バランスを崩して体重が後ろにかかり、そのまま背後に倒れ込んでしまう。


「いてて……」


「大丈夫?」


 サクラさんの手を借りて起き上がる。真夏だというのに、彼女の手は血が通っていないと思わせるほどに冷たかった。


 ぱさり。と何か軽いものが落ちる音がした。見ると僕が倒れていた辺りに、数枚の紙切れが落ちている。


 棚のどこかに有ったものが今の衝撃で落ちたのだろう。僕とサクラさんは顔を見合わせて、サクラさんがその紙切れを拾い上げる。


 紙切れには殴り書きのような雑な字で何かが書かれていた。読解する気力の失せるその文章を読み解こうとすると、廊下から何かの気配を感じて振り向く。


 そこには廊下の足場から突き出した異様に細長い人の顔のようなものがこちらを見ていた。心なしかニヤニヤと笑みを浮かべているような気がする。


 一目見て異常な存在だと悟り、僕は額に汗を滲ませながらも声一つ上げずそれを凝視する。しばらく見つめていると、人の顔のような何かは跡形もなく消えていった。


 恐らく、四季さんが言っていた地縛霊の一種だろう。この場所は学校に建替えられる前は沢山の人が惨たらしい方法で殺されていた場所らしい。だからといって幽霊のような非現実的なものが存在して良い理由にはならないが、その殆どはこちらが反応しなければ無害だ。だから僕らは奴らを見つけたら極力無反応を装っていた。


 地縛霊が消えて安心していると、サクラさんが紙切れを取り上げポケットに仕舞っていた。


「どうしたの?」


 尋ねると彼女はかぶりを振る。ライトの光が部屋全体をほのかに照らし、彼女の顔がよく見える。


「何でもない」


 何でもないことはないだろう。どこか鬼気迫るような表情を張り付け、瞳孔が開き、額に汗を滲ませているのだ。人の感情の機微を読み取れない僕でも、彼女が何かを恐れていることは分かる。あの細長い顔面を恐れているのかとも思ったが、地縛霊を見るのは今回が初めてではない。馴れることはないにしろ、これほどに恐怖が表情に出ることはないだろう。


「さっきの紙、見せてよ」


 僕は紙を受け取ろうと手を差し出す。サクラさんの様子が変わったのは、あの殴り書きが原因だと考えたからだ。


 しかし彼女は怯えた様子で首を横に振る。


「たいした事は書かれてなかった。でも、読まない方がいい」


 まるで僕に対して懇願するような目を向けて彼女は言う。一体何が書かれていたのか気になるが、無理強いしてメモを見せてもらうのも気が引ける。見せないということは彼女なりに理由があるのだろう。


「そう。別にいいけど、あんまり抱え込まないでよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る