第9話 妄想疾患者『堀田善衛・103号室』

出演者(イメージキャスト)

 大川周明氏(疾患者)  役所広司

 鮫島昭子(東病棟担当 看護婦) 中条あやみ

 堀田善衛(疾患者・元新聞記者) 


 暫くすると、痩せた男が廊下を歩いて来る。

鮫島看護婦が男を見て、


 鮫島「堀田さん、ご機嫌よろしゅう」


『堀田善衛』が一点を見詰め、風呂場を通り過ぎる。


 鮫島「堀田さん、お風呂はこちらですよ」


堀田はわざとらしく、


 堀田「あ、僕は何しに?」

 鮫島「お風呂ですよ」

 堀田「お風呂? ああ、風呂だ。・・・気違いとはこんな感じで良いのかな。ハハハ」


鮫島看護婦は呆れた顔で堀田を見て、


 鮫島「・・・先にお一人、入浴して居(オ)りますから」

 堀田「そうですか。男ですか女ですか?」

 鮫島「男に決まってるじゃないですか。まったく」


堀田は鮫島看護婦をジッと見詰めて、


 堀田「鮫島さん、たまには二人でどうですか。背中でも流しますよ」

 鮫島「バカ言ってるんじゃありません」

 堀田「ハハハ、何を照れてるんですか。生娘(キムスメ)でもあるまいし」

 鮫島「うるさい! 院長に言いますよ」

 堀田「どうぞ、どうぞ。そうすれば早くここから出られる。ハハハ」


堀田は風呂場の戸を開ける。

鮫島看護婦が、


 鮫島「あ! ちょっと待ってください。ポケットの中を検(アラタ)めさせて頂きます」

 堀田「何も入って無いですよ。僕は囚人(シュウジン)だ。死にに来たんじゃない」

 鮫島「規則ですから」


鮫島看護婦は、堀田のズボンのポケットの中に手を入れる。

堀田は鮫島看護婦を見て、


 堀田「キソクね~。法律以外に規則もあるのか。まったく人間の世の中はシンドイね〜。くすぐったいな、もう良いよ。・・・ところで、誰が入っているんですか」

 鮫島「大川周明と云う患者さんです」

 堀田「オオカワ シュウメイ? ほう。面白い名前だ。同姓同名かな?」

 鮫島「さあ~」

 堀田「あ、そうだ。君、夕飯はすき焼き! 酒も一本付けてくれ」

 鮫島「キミ?」


鮫島看護婦はきつい目で堀田を睨む。


 堀田「君じゃないのか?」


鮫島看護婦はフクレツラで堀田を見て、


 鮫島「分かりました。佐藤に伝えて置きましょう。ご要望にお応え出来るかしらねえ。お風呂は十分でお願いしますよ」

 堀田「分かってるよ。おフクロじゃないんだから。いちいちうるさいぞ」


 鉄格子の向こうで、カッコウが鳴いている。

周明氏は一週間ぶりの風呂に気持良さそうに浸かっている。

金網入りのガラス戸を開けて、堀田善衛が入って来る。


 堀田「お邪魔します」


堀田は俯ウツムいて前を隠し、備え付けの風呂桶を手にして蛇口の前に座る。

堀田は振り向きもせず入浴中の周明氏に、


 堀田「・・・、今日も暑かったですね」

 周明「そうだったねえ」


周明氏の偉そうな口ぶりに振り返る堀田。


 堀田「どこかでお会いしましたか?」

 周明「うん? 覚えが無いな」

 堀田「僕は堀田善衛、103号室に間借りして居ます」


周明氏は笑いながら、


 周明「間借りですか。私は大川周明。103号と云うと、君は私の隣の部屋だな?」

 堀田「失礼ですが、大川と云うとあの大川さんではありませんよね」

 周明「あの大川とはどのオオカワかな?」


堀田は少し苛立(イラダ)つ。


 堀田「例の戦犯の大川周明ですよ」

 周明「違うな」

 堀田「それは失敬。ま、そん人がこんな所に来る筈がない」


堀田は桶の湯を身体に掛け湯船に入る。


 堀田「ああ、極楽だ。大川さんは娑婆(シャバ)で何をしてました」

 周明「シャバ? ああ、私は・・・、彫刻家だ」

 堀田「彫刻家? へえ~」

 周明「君は?」

 堀田「僕は、浮浪者です」

 周明「フロウシャですか。ハハハ。ここは浮浪者が来る所かな? 若そうに見えるが、ノイローゼにでもなったのかね?」


堀田は周明氏の口調に徐々に腹立たしくなって来る。


 堀田「おい、爺さん。ここは皆同じような病気の集まりだ。あまり偉そうにするな」


 周明「ああ、御免、御免。ここでは君は先輩だったね。で、君は何でここに居るのですか」


 堀田「 僕は大陸からの引揚者だ」

 周明「ほう大陸。で?」


堀田は胡散臭さそうな顔で周明氏を見る。


 堀田「仕事が無くて、知人の紹介で新聞社に勤めたんだ」

 周明「ほう、新聞社。それで?」


周明氏を睨み、咳払いをする堀田。


 堀田「ウッフン!」


堀田は急に早口になり、饒舌に経緯を話し始める。


 堀田「そこで、上司が僕に初仕事を廻してくれたんだ。僕は原稿用紙数枚に記事をまとめて上司に見せた。そしたら、僕の顔を睨(ニラ)んで、オマエは赤か! とね」

 周明「赤? マルクス主義者だね」


堀田は怒って、


 堀田「マルクス!? 僕は、この戦争のやり方を批判しただけだ。一部の軍部のバカ野郎共が東洋平和の実現だとか何とか言いやがって、数百万人もの命を奪ったじゃないか。何が共存共栄だ。僕の友人達だって皆、徴用され、どこかに消えてしまった。何一つ文句も言えず生きる権利を蹂躙されたんだぞ。こんな不条理があるか」

 周明「不条理を表現して赤か? その上司と云うのは随分、不勉強だな。だいたい赤なんて簡単に言ってのけるものではない。赤とは国体に対する反逆者だ。ただ国体も、個人の理想も、対抗するものがあってこそ強力になる」

 堀田「? アンタは何者だ」


周明氏は堀田をはぐらかして、


 周明「それで、君はここに来たと云う事かね?」


堀田は少し砕けた感じで。 


 堀田「いや、実は銀座で知人とハシゴしてたんだ。そしたら、私服が僕だけ捕まえやがって、行き着いた所がここさ。きっと、僕はマークされていたんだろうな」


堀田は風呂の中で伸びをしながら、 


 堀田「あ~あ。僕は当分ここで静養する事に成るんだろうな。それも、気違いのレッテルを貼られてね。爺さん! いや失礼、大川さんだったね。僕だけ話をさせておいてアンタはなぜここに来たんだ」

 周明「私か? 私は地獄で落ち目の閻魔大王の頭を叩いてしまったんだ」

 堀田「何?」


周明氏は高笑いをする。


 周明「ハハハハ」


堀田は周明氏の顔をまじまじと見て、


 堀田「アンタは何の病(ヤマイ)だ?」

 周明「うん? そうだなあ・・・。高血圧だ。だからゆっくりここで静養しなくてはいけないんだ」


堀田はまた胡散臭い顔で周明氏を見て、ボソッと一言。


 堀田「隣に変な気違いが入って来たなあ」

 周明「うん? 何か言ったかね」

 堀田「いや、何でもない。僕は本当の気違いに成りたくないからね」

 周明「あれ? さっき君は皆同じ病気と言ったじゃないか?」


堀田は顔を赤らめて周明氏を見る。


 堀田「風呂の時間は10分だ。僕は長風呂は嫌いだ。先に出る。失礼ッ!」


湯船を立つ堀田。


 周明「おい、堀田君! 消灯は何時だ」


堀田はうっかり、


 堀田「ハイ、先生。あれ?」


堀田は風呂場のガラス戸を半開きにして、吐き捨てる様に、


 堀田「好きにしてくれ。偉そうに。水色のパジャマで首を吊らないでくださいな」


風呂場を出て行く『堀田善衛』。

                     つづく


『故堀田善衛』

ベ平連創設者。日本の小説家、評論家。中国国民党宣伝部に徴用された経験をもとにした作品で作家デビューし、1951年に芥川賞受賞。 慶應義塾大学仏文科卒業。上海で敗戦を迎えた体験から『広場の孤独』を発表す。

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