幽 閉（大川周明）

第8話 看護婦『鮫島昭子』

出演者（イメージキャスト）

　大川周明氏（疾患者）　　役所広司

　鮫島昭子（東病棟担当 看護婦）中条あやみ

　夕方、周明氏が八畳敷きの病室の中央で座禅を組んでいる。

ドアーを叩く音が。

　周明「うん？ どうぞ」

ドアーが静かに開き、中年の看護婦（鮫島昭子・東病棟担当）が顔を出す。

　鮫島「失礼します」

看護婦は周明氏の病室に入り、丁寧に挨拶をする。

　鮫島「東病棟を受け持つ 鮫島昭子と申します。宜しくお願いします」

小ぶりながら凛とした中々の美人である。

　周明「大川周明と申します。宜しくお願いします」

　鮫島「お名前は存知あげております。裁判所で東条さんの頭を叩いた・・・」

　周明「ああ、あれは公判中、東条くんが居眠りをしていたものですから」

鮫島看護婦は驚いて、

　鮫島「ええ！ そうだったんですか？ 新聞にはそうは書いては有りませんでしたよ」

　周明「どう書いて有りました」

　鮫島「発狂の思想家、Ａ級戦犯大川周明。東条の頭を叩く！」

　周明「発狂ですか。発狂したからここに連れて来られたんでしょうな。ハハハ」

　鮫島「でも、国民は誰も先生を発狂したとは思っていませんよ。私はこの記事を見て本当に戦争が終わったと思いました。戦争なんて・・・」

鮫島看護婦は歯をくいしばり、涙を堪える。

周明氏は鮫島看護婦を見て、

　周明「あなたはピアノがお上手ですね。あれは、ショパンですか」

　鮫島「あら恥ずかしい。先生は音楽に興味がお有りですか？」

　周明「うん？ いや、まあ」

　鮫島「私、子供の頃、父の仕事の関係でポーランドに住んでいた事があるんです。そこで母にバレーとピアノを習わされて」

　周明「ポーランド！？」

　鮫島「ご存知ですか？」

　周明「え？ まあ、それは・・・。ご主人、硫黄島で戦死されたんですって？」

　鮫島「あら、畑 婦長が言ったんですか？ 何でも喋ってしまうんだから」

　周明「なんと酷（ヒド）い所に配属されたんでしょうね」

鮫島看護婦は俯いて寂しそうに、

　鮫島「栗林さんの下で副参謀職をやらせて頂いてた様です。全滅だったらしいです。仕方がないですよ。主人だけじゃないし。あ、先生はお風呂とお食事、どちらを先にしますか？」

　周明「え？ この病院では決まりは無いんですか？」

　鮫島「そうですねえ、病院ですから少しの拘束は有りますけれど、東棟はその辺は別に」

　周明「そう云えば、畑さんはその辺の事は言ってなかったなあ。あ、それじゃ私は風呂が先・・・」

　鮫島「はい。じゃ、ご案内します」

　周明「え！？ 今ですか」

　鮫島「順番が有るので。あ、それから入浴時間は十分でお願いします」

　周明「十分？」

　鮫島「食事の用意も有りますし、お風呂場で亡くなる方も居オるんです」

　周明「亡くなる？」

　鮫島「自殺です。神経が衰弱してる患者さんが多いので。表面で楽しくやっていても、一人に成ると突然自分の世界に入る方が居るんです。だからお風呂は必ず二人で入ってもらいます」

　周明「二人？」

　鮫島「ご案内します。どうぞ、こちらえ。寝巻きはお風呂場に用意してあります」

　周明「え？ あ、はい」

焦る周明氏は鮫島看護婦の後に付いていそいそと部屋を出て行く。

長い廊下の右奥に「風呂」と書いた札が鴨居に挿してある。

入り口に備え付けの椅子が一つ。

　鮫島「こちらです」

鮫島看護婦は曇りガラスの引き戸を開ける。

スノコ板の床の隅に二つの籠が。

その中に着替えが各一着ずつ置いてある。

一つの籠の中には、周明氏愛用の『水色のパジャマ』が入っている。

周明氏は驚いて、

　周明「あッ、これは！」

　鮫島「ああ、佐藤が用意したのでしょう」

　周明「随分手際が良い」

　鮫島「ここは精神病院ですから。では、ごゆっくり。時間に成りましたらお知らせします」

鮫島看護婦はガラス戸を静かに閉める。

風呂の入り口に備えた椅子に座り、文庫本を取り出し読み始める鮫島看護婦。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　つづく