くだらない話

私達はいつもくだらない話をしていた。本当にくだらなくて、話し終わったら二秒で忘れるような内容でもいつも爆笑していた。友達の話、仕事の話からちょっと下品な話まで。何でも話せる間柄の私達だけど、実は付き合っているわけではない。いわゆる男女の友情ってやつだ。この件に関しては様々な議論がなされているけれど、私は男女の友情は成立する派。だって現に彼と私は付き合っていないけれど仲良しだし友情成立しているもん。なんてこんな話も彼としたくだらない話の一つだった。

私と彼が会うのは決まって大学の片隅にある小さなベンチだった。学部も違う、サークルにも入っていない私達が出会ったのは偶然で、私がこのベンチで一人の時間を満喫しているところに、道に迷った彼が話しかけてきたのがきっかけだった。彼に話しかけられた次の日、私はこのベンチでまた一人、過ごしていた。人が多い場所にいることが苦手でよくここにきていた。私にとっては大学という人がたくさんいる場所の中で唯一、一息つける穴場スポット。秘密基地とまではいかなくてもみんなが知らないお気に入りの場所だった。そこにまた彼が現れたのだ。また道に迷ったのかと聞いたら、そうじゃない、あなたに会いたくてここに来たら会える気がしたから、と彼は言った。正直に言うとこの時は、自分だけの穴場スポットを知られてしまって、せっかくの一人時間がなくなってしまうのではとあまりいい気持ちはしなかった。だけどここは大学の敷地内であって、彼に、ここには来るなと言う権利が私にはなかったので渋々      顔には出さない努力はしたつもり      彼と会話することを選んだ。

 話してみると彼はとても聞き上手、話し上手らしく、私はすぐに彼との会話に心地よさを覚えていた。きっと話を盛ったりなんかしていないのに彼の話はとても面白くて、私のどんな些細な話も笑ってくれた。もっと彼の話を聞きたい。もっと私の話を聞いてほしい。私はそう思ったし、彼も同じことを感じてくれているようだった。何より、私だけの秘密基地を初めて共有した、という何とも言えないドキドキを感じるのが、自分が思っていた以上に嬉しかった。こうして次の日から私がベンチに座っているところに彼が話しかけてくれるのが日課になっていった。

 彼とこうして話をするようになって何ヶ月経っただろうか。初めて会ったあの日がもう随分遠い昔のことのように感じる。ずっと昔からの友達のような空気を感じる彼といるといつから仲良くなったのかわからなくなる。それでも、きっと私達はずっとこうしてくだらない話をし続けるんだろう、という思いの片隅に、大学を卒業して社会人になっても、お互いに結婚して家庭ができてもこんな関係性でいられるだろうかという思いもうっすらと浮かび始めていた。中学生、高校生の頃の友人とは卒業以来疎遠になっていたから、もしかしたら彼ともそうなってしまうのではないかという気がしてならなかったのだ。大学生活も中盤に差し掛かりどうしても”卒業”というワードが頭から離れないのも原因の一つだと思っている。まだあと二年半あるから、と言っている周囲の同級生たちからすればなんて気の早いやつだろうと思われるだろうけれど時がただ刻々と過ぎていく中で将来の自分の姿に自信を持てない私には全ての要素が不安でしかなかった。そんなある日。この日もまたベンチで彼を待っていた。この頃になると彼とただ話をして笑っている時間だけが私の中で唯一、卒業後のこと、就職のこと、人生のこと、その他諸々の不安を忘れられる時間になっていた。

 いつものように私に話しかけてくれた彼。でも何だかこの日はいつもと空気が違う気がした。人懐っこい笑顔は同じなのに、声に含まれた優しさは変わらないのに。なんとなくいつもと違う。その違和感の正体が知りたくて私はどうかしたのかと彼に尋ねた。彼は少し黙ってから、伝えたいことがある、と言ってきた。なんだろう、このタイミングで、この雰囲気の中で何を伝えたいと思ったんだろう。彼と今まで話してきた中で一度も感じたことのなかった、緊張という感情が私の中を駆け巡った。「好きなんだ、君のことが。初めて会った時から。一目惚れしたんだ」

 私は始め彼が何と言ったのか理解できなかった。ラテン語の挨拶でも始めたのかと思った。普段の彼との会話の流れならそういう小ボケがあってもおかしくないから。でもそうじゃない。いつもの彼じゃないんだと数秒、数分経って気づいた。

 好きって何。一目惚れって何。それってじゃあ、最初から私達の間に友情は成立していなかったってこと?なんで。こんな何でも話せる友達他にいないと思っていたのに。なぜだろう。彼が悪いことをしたわけじゃないのに、私を好いてくれる人がいることは嬉しいはずなのに。どうして彼に裏切られたように感じてしまうんだろう。そう思ってしまう自分がたまらなく嫌だった。次の日、初めて私は私の憩いの場に行かなかった。

 ベンチに行かなくなって何ヶ月が経っただろうか。彼に告白されたあの日がもう随分遠い昔のことに感じる。

 彼と会わなくなって気づいた。くだらない話ができる彼はくだらない存在などではなかった。くだらない話ができるほど安心できて、肩の力が抜けて私は私でいいんだ、と思える時間をくれた。そんな彼が私を友人としてではなく異性として見ていた、という事実に驚いて、どんな顔をして彼に会ったらいいかが分からなくなって、彼を遠ざけた。あのベンチに行くことができなくなった。ずっと友達だと思っていた。男女の友情ってこういうことだよね、と勝手に思い込んでいた。でも今、ふと気づいたのだ。彼と私の関係が変わっても、きっとくだらない話ができなくなるわけではないのでは、と。世間でよくある恋人と喧嘩別れをしてしまって話しづらくなったという話。ああいうことが絶対に起こらないとは断言できないがそれは私と彼が友人であっても恋人であってもあまり大差ないのでは、と思うのだ。友人でも恋人でも喧嘩をすれば気まずいし、仲直りすればきっとまた楽しい空気は戻ってくる。そうならなかった時はその時が縁の切れ目なのだろう。そしてそのタイミングがくるのがいつなのかは誰にもわからない。もちろん、私と彼にも。私は関係性が変わってしまうことを恐れていただけなんだと思う。友達との空気感から恋人としての空気感へ。そしてそれが壊れてしまった時のことを考えてしまっていた。まだ壊れると決まったわけでもないのに。私の時期尚早な所がまたでてしまっただけだった。うん。話そう、彼と。

 今までは私がベンチに座っているところに彼が話しかけてくれていた。でも今日は私の意志で、私から彼に声をかけよう。第一声はなんて言葉をかけたらいいかな。やっほーだと軽すぎるしこんにちはじゃよそよそしい気がする。あ、あの...なんてどもってしまったら何だかそこから先に言葉を繋げられなさそうだ。そんなことを考えながら歩いていたらあのベンチが見えてきた。ええい、もういっそあの場に着いて思いついたことをそのまま言ってしまえ。勢いに任せて歩きベンチに辿り着く。座っている彼を見下ろす。はっとしたように顔を上げる彼。


 「すみません、購買ってどこにあるかわかります?」

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