僕の中の短編集
cor.
間が悪い
夏が好きだ、と伝える前に夏は終わり秋が訪れ冬になりやがて春を迎える。そんな夏を毎年過ごしている。好きな季節に身をおいている時になぜそれを伝えられないんだろう、と毎年寂しい気持ちを抱えているのに今年も夏は終わっていく。
雨の音が聞こえる。季節はいつも雨と共に移り変わる。この雨が上がったらきっともう秋がくる。それがわかっているのにどうして気づいたら夏は終わっているのだろう。
思い返せば私は子どもの頃から伝えたいことを伝えるべきタイミングで伝えられないやつだった。引っ越す友達に手紙を渡そうとしたらもう引っ越した後だったり、好きな男の子の誕生日を知った時にはもうとっくにその日は過ぎていたり、そんな間の悪いやつだった。
人生で初めての告白は卒業式の次の日だった。最後のクラス会と称して開かれたカラオケ大会。その帰り道、彼を呼び止めて思いを伝えた。早口で小声で何を言っているか自分でもわからないような私の告白を彼は柔らかい表情で聞いてくれていた。気がする。正確には顔は見れていなかったからよくわからない。私の話を聞き終わった彼は
「ありがとう。僕も好きだったよ。でも付き合えない」
と言った。彼は四月から海外に留学することが決まっていた。恐らく私が告白するずっと前から。たとえ距離ができても私はあなたのことが好きだよ、と伝える自信はなかった。自分でもああ、その程度の気持ちだったんだなと思った。それに、彼も私が告白するまで何も言ってこなかったし、彼の私に対する感情もそんなに大きくないんだと悟った。なんとなく、彼に想いを伝えるタイミングは今じゃなかったよな、とも思っていた。それでもなぜか涙は溢れてきた。涙を拭いながら私は心の中でこう呟いた。ほら、やっぱり私は間が悪い。
そう思うことで自分の臆病な性格と向き合うことから避けていた。ああ、また間が悪かったな、私はきっとこういう星の下に生まれたんだな。そう思えば自分の弱さ故に失敗したという自己嫌悪に陥らずに済んだ。
もしかしたら彼も私を好いてくれているんじゃないかなんて感じる節はいくつもあった。彼の視線、言葉遣い、それらには他の男子生徒からは感じない微かな熱を感じたから。それでも、勘違いだったらどうしよう、恥ずかしい。と自意識過剰を繰り返していたらあっという間に時間は過ぎ去っていた。
本当は、気づいたら夏が終わっていたんじゃない。夏はいつか終わるとわかっていて、前の年もその前の年も伝えられずに終わったことを後悔していて、それでも何もできずただ目の前を過ぎていく季節を見送るしかできなかったんだ。来年も夏を迎えられると無意識に思っている自分に不甲斐なさを感じた。人生の歩みは生まれた瞬間から死への歩みだというのに。明日目が覚めないかもしれない世界の中でまた来年もただ能天気に夏を過ごすのか、と能天気に来年のことを考えている自分に嫌気がさした。
私の夏は、人生はきっと失敗と後悔の連続なんだろう。ただぼうっと季節を繰り返しては一日を浪費していく。日に日に時は近づいているその中で、全ての出来事が最後かもしれない中で、季節を浪費していく私に、人生の最期に思い返せる日々は残るだろうか。
大学生になって二年が経った頃、こんな私でも好きだと言ってくれる人が現れた。私がどんなに間の悪いことをしても彼は
「そういうところも含めて好きなんだ」
と言ってきた。私が自己嫌悪に陥っていれば
「僕は君のタイミングで、君の言葉で伝えてくれることが一番幸せなんだよ」
と伝えてくれた。
彼は私の欲しい言葉を、欲しいタイミングでくれた。一人では歩けなさそうな時にはそっと私の手を引いてくれた。いつだって私自身の弱さでくじける私の背中をそっと支えてくれた。私は彼の優しさに甘えてしまった。このまま甘え続ければ、もし彼がいなくなった時また立ち上がれなくなるかもしれないと思った。だって彼ほど私のことを好きになってくれる人はこの先現れないと思うから。それでも彼の言葉や存在は私を大きく安心させてくれて、今だけ、もう少しだけこのままでいたい、と思ってしまった。
この年の夏はそれまでにない充実した日々を送った。彼が夏の行事やイベント事にたくさん誘ってくれたから。いつもただ見送るだけの夏を少しだけ追いかけられた気がした。夏の空も、海も花火も、きっと毎年違う。今年しか見られない景色を彼の隣で過ごして思った。やっぱり夏が好きだ。と同時にこうも思った。彼と過ごす夏はもっと好きだ。
夏の終わり。私がいつも後悔してきた季節。今年の夏は彼のおかげでいつもより後悔が少なく済むはずだった。
「もうすぐ夏も終わりだね。今年はかき氷食べてないなあ」
言葉を発しながら思った。ああ、また。私はなんでこうなんだ。夏に彼としたたくさんの思い出を差し置いて、できなかったことに目を向けてしまう。それをこんなタイミングで言うから間が悪いと言われるんだ。大事なことを伝える時は臆病になって言うタイミングを逃すくせにこういう空気の読めない言葉はぽろっと出てしまう。いつもそれで後悔しているはずなのに、なぜ学習しないんだ私は。
いくら彼が私のことを好きだと言ってくれていてもそれがずっと続くとは限らない。こういう小さな積み重ねがいつか爆発して、彼の好きという気持ちが薄れてしまった時、きっと私はまた臆病を発揮してしまう。
そうやってまた自己嫌悪に陥っていると彼はこう言った。
「じゃあ、来年の夏はかき氷から始めようか。一年間の楽しみができたね?」
どうやら彼は、私のことが好きで、いつもタイミングよく私の手を引いてくれて、そして、私の間の悪ささえも来年の楽しみにしてくれる人らしい。彼の一言で、能天気に来年の夏もまたくると思っていただけの日々が、またこの人と一緒に夏を迎えたい、という目標に変わった。そしてまた思う。来年の夏はどんなだろう、と。
私はきっと後悔のない夏を過ごすことはできないのかもしれない。間の悪い私は夏が好きだと言うタイミングを逃し続けるんだろう。それでもその後悔を楽しみに変換してくれた彼となら、私は自分の間の悪さも臆病さも少しは許してやれると思った。
私の夏は、人生はきっと失敗と後悔の連続なんだろう。タイミングを逃して、落ち込んで、どうせ私はチャンスを掴むことなんてできないんだとひねくれたりして。その時彼が私の隣にいてくれるかはわからないけれど、彼がこんな私でも好きだと言ってくれた事実は変わらないのであれば、きっとまた立ち上がれるはずだ。
そうやって何度も失敗と後悔を繰り返しながら、それでも次に向けて歩き出そう。そしていつか最高のタイミングで言ってやるんだ。ずっと伝えたかった、あの言葉を。
彼とのデートの日。待ち合わせ場所に着いた私。時計を見れば約束の時間五分前。うん、ちょうどいい時間に来られたかな。少しばかり涼しく感じるようになった風に吹かれながら彼を待つ間、ふと考える。
今年の秋は、どんな風に過ごそう。
風に乗って金木犀の香りがした。
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