第二話 天井

 どれくらい時間が経っただろうか。目を開けるとそこには見覚えのない天井が見えた。


「知らない天井だ」


 真っ白なタイルで敷き詰められた天井の部屋で目が覚めた。いつものベッドに比べると幾分か硬く、あまり寝心地がいいとは言えない物だった。何より、浩司の耳元で発せられる一定のリズムを刻む短い電子音が耳に響き、それはまだこの世の中に、この腐った世の中に浩司が存在する事を示していた。

“また失敗した”。

 はぁ~。と一つ大きくため息を吐き、「どうして…」と続けた。

 その小さく発せられた声に一人の人が気づいた。


「…!?浩司!気づいた?!気づいたのね?!」


 そこには見慣れた顔があった。親の顔より見た…というより母親そのものだった。何故かは知らないが、そこには紛れもなく浩司の母がいた。


「母さん…」


 正直、合わせる顔がなかった。そして何より、涙ぐんで、何度も泣いて、ハンカチで拭いたであろう赤く腫れた目を見たくなかった。

 決して、こうなる未来を全く想像していなかったわけではない。万が一の可能性も考えてはいた。…が、予定にはなかった。比較的可能性の高い死に方を選んだつもりだったからだ。ニュースで流れれば、大抵は死亡が報じられていたから、自分も同じ死に方を選べば、死ねると思っていた。甘かった。

 後に聞いた話だが、この国での鉄道人身事故というものは珍しいものではなく、ほぼ毎日どこかしらで発生しているらしい。故に、珍しいものではないため、報道される回数は多くはなく、事が重大な事象だけが報じられているらしい。


「大丈夫…?ごめんね…私が…」


 嗚咽しながら母が言った。

 この後になんて言葉綴りたかったのかはある程度予想がついた。

“もっとちゃんとしていれば”

“もっとちゃんと気にかけていれば”

“もっとちゃんと向き合っていれば”

 あるいは、今朝仕事に出る前に息子へかけた言葉への後悔か…。

 どれも他者を傷つけぬよう、ありもしない「自己の非」を誤認する言葉に、浩司は何も言えず、ただただ、母の鼻をすする音だけが病室に響き渡った。


 目覚めた浩司はその後、ナースコールで呼ばれた看護師と医者に連れられ、一つの部屋に案内された。そこで浩司は医師から怪我の程度、治療期間、治療に伴う入院生活のことを話された。

 ベッドで寝ているとき既に車いすが見えたので、足の一本くらいは失くしたのかと思っていたが、残念ながら、足も腕も胴も首も繋がってはいた。とはいえ、左足の大腿骨は完全に折れているらしく、全治とリハビリを含めるとかなりの時間がかかるらしい。

 そのほかにも、頭部に裂傷、全身のいたるところに擦り傷や打撲があった。

 それから、当該の鉄道会社からも事故の件で話があった。予想はついた。浩司には事情聴取で終わり、そのあと、医師と母親とで話をしたらしいが、詳細は聞かなかった。話に来た担当の医師にも「事の重大さは知っています。ですが、今は聞きたくありません。退院するときに話してください。」と伝えた。医師は納得していた。


 次の日、よく晴れた朝に目を覚ました浩司は無心でつぶやいた。


「知ってる天井だ」


 真っ白なタイルで敷き詰められた天井は

 今の浩司には正直、憂鬱でしかなかった2回目の景色だった。この入院生活が終わると、元の生活に戻されてしまう。元の生活に戻ったら、また死にたくなってしまうのだろうか。

 何故、あの一回で死にきれなかったのだろうか。

 そんな風に考えていた時、どうして…、とボソッと声が口から漏れたその時だった。


「どうして、か。愚問だね」


 1人のはずの部屋に"浩司以外"の声がした。

 母親もさすがに24時間付きっきり…ってのは無理なので、今は自宅もしくは職場なはずだ。

 浩司は驚いて声のする方向に目をやったそこには白い服を着た“誰か”が立っていた。


「よっ、お目覚めかい?」


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