2.ひと幕



「もう2年かあ」



少女は事務用椅子の背もたれを倒し、ため息混じりに呟いた。

ここはとある人材派遣事務所。

といっても彼女含めた従業員二人しかいない閑散ぶりだ。看板すら出していないため、訪問者が全くないのは当然でもあった。


少女の対面のデスクではせわしない様子で慣れないPCと格闘している女性がいる。


彼女こそ2年前、右も左も分からず祖国に放り込まれた戦場から少女を救った『ミッカ・ミューバン』である。


少女は瞼を閉じ、長いようであっという間だったこの2年を思い返した。


当初は人生の幕引きを覚悟したがミッカの救済によって五体満足で生き伸びる事ができた。

その後すぐ、てんやわんやあったが無事に身柄を保護してもらい、彼女の所属する組織に入れてもらった。組織に入る際、それまでの経歴と出自を全て抹消、『私』を白紙にする必要があった。元々名残惜しいものも持っていなかったのでそこらへんは特に問題なかった。


そして今の私、『ティーカップ・フィーセン』が生まれた。


それから暫くは目まぐるしく環境が変わり続ける生活を送っていたため、時間を気にする余裕もなかった。


毎日が血反吐を吐くような肉体訓練の日々だったけど、なんとか食らいつけている。まあついていけない時点で行きなのでいつも死に物狂いなんだけども。

組織の構成員は全員この訓練を通過してる人なんだって。支部や本部で私が見てきただけでも500人はくだらない数の構成員がいた。訳わかんないね。


ようやく今の生活が身体に馴染んできたと思えば2年もの月日が経っていた。


そしてつい先日、訓練生から昇格し、新人ルーキーの肩書きを得てようやく構成員としてのスタートラインに立った。


ここまできて初めて実務が割り当てられるようになるのだ。


そして現在、ミッカは私付きの指導員メンターとして私とペアを組んでいる。


私と組むまではずっと独りソロで仕事にあたっていたそうな。


既に十二分の面倒を見てもらっているので、私が原因で彼女に苦労をかけるようなことはできる限り避けたい。


一刻も早くどんな仕事でもできるようになりたい。目指せ、油にまみれた歯車。

で、そんなお手本の様な油ぎった歯車が私の相方、ミッカその人だ。

彼女はこの常識外れな組織の中で、そこそこ立場のある人間なのだ。

主任、係長、課長、部長、室長で言えば次期課長を期待されている係長くらいだろうか。

10年という若手に類されるキャリアでも同期と比べて頭2つは抜きん出ている優秀さである。

まず彼女のペアとして胸を張れるような人間を目指そうと思う。あと損得勘定等々抜きにして命の恩人には全力で報いたい。



「なになに?私たちの話?」



PCモニターを見つめながらミッカが話しかけてくる。

彼女はスーパーOLなので目の前のタスクと別の会話くらいは朝飯前だ。

ちなみには4人を確認している。似たようなことができる人が偉人でいた気がする。



「うん、お陰で毎日生きる喜びを全身で実感してる。」


「ふふん、もっと感謝してもいいのよ?」


「え〜ん、ミッカ様〜」



私は椅子を転がし、背中側からミッカに抱きつく。

この人は柑橘類のような爽やかな香りを纏わせているのでついくっつきたくなる。



「はいはい、ちょっと暑いよー」



ミッカはモニターから顔を離すと私を引き剥がし、元のデスクに座らせた。

私の隣に椅子をくっつけ、業務内容が一覧化された画面を表示したタブレットを差し出した。



「はい、ここからここの7件が今月分の案件よ。

比較的すぐに終わりそうなのが4件、そうでもないのが2件、やばそうなのが1件。

持ってるタスクと合わせて9件。概ねいつも通りの忙しさね。」



それを受け取り、すべての仕事内容に目を通す。

今日は月初めなので、改めて先月から引き継ぐものと新規の案件を全部確認する必要がある。



「どれ〜……あれ、この簡単なの2件は今朝完了通知が届いてたやつだ。そうでもないのの2件も先週に済んでる分だね。やばそうなのは……オルドラート?」



今月の新規案件のうち4件は先月、調査依頼を受けた時に周辺付帯情報として既に提出している分だ。

案件依頼書類と行き違いになってしまったようだ。

『オルドラート』という初耳の単語は、たった今調べようとしたところ新人わたしではアクセス制限がかかっていた。


すると突然、ミッカは勢いよく両手を机に叩き付け、身を乗り出す形で私の顔面に迫った。私は驚き目を見開いた。近い。



「ちょっと、ティー!それホントなの?!

私が先に把握しておかないとメンターとしての面目が立たないじゃないの〜!」


「ううん、大丈夫。報告は全部ミッカ名義で通してるし、指導要項も載せてあるよ。」


「う〜ん、助かるけど……ちょっと見せて。」



該当するメッセージを表示し、タブレットをミッカに返す。



「はい。将来の貴女の仕事はゆっくり寛いで私を扱き使うこと。そんなに気にしないで。」

「う〜ん、確かに完了してる……でも……」



ミッカは、これでいいのかしら……と一瞬考えた後、ハッとした様子で改めてこちらを向いた。



「ううん、やっぱりダメよ!

いくら慣れてきたからって、どんなに些細な内容でも仕事なんだから私を通さずに勝手に終わらせちゃダメ!虚偽報告も事後報告も!こういうのは続けてるとどこかで綻びが生じるの!現に今こうやって連携取れてないでしょ?」



ミッカは腰に片手を当て、もう片手は指を立てる。経験則で言えばこの姿勢になると確率で説教モードに移行する。この状態の彼女を怒らせるのは良くない。ここはわざとじゃなかったことをアピールして回避せねば。



「今回のはたまたま別案件のついでに処理した内容だったから問だ」


「言い訳もメ!

ティー、あなた最近の日報だって手抜きしてるでしょ?

それも含めて全部業務に入ってるんですから、報告・連絡・相談はしっかりすること!

力の抜きどころを覚えるのはいい事だけど、今の貴女は抜きすぎよ。貴女は優秀だから物事に対してかなり広めに俯瞰できるでしょ?でも逆にそのせいですぐに出来た気になっちゃうから最後まで気を抜かないで。せっかく私とペアを組んでるんだから、ちゃんと私を頼って?」


「う〜……ごめんなさい。」



ここは素直に折れるのが最良。たしかに成果を求めるあまり、行動が性急すぎたかもしれない。



「はい、許します。まず、自分なりに改善方法を考えること。それから一緒に擦り合わせていけば大丈夫よ。でももう同じことしちゃメ!よ?」


「はあい。」


「でもね、仕事の出来自体はとっても素晴らしいわ。内容の質に関しても、痒いところにしっかり手が届いてる。それに仕上げの速さも申し分ない。あなたの評価が上がるのも時間の問題よ。私が保証するわ。」



ミッカはまるで母親が娘を諭す様に私の頭を撫でる。



「ま、環境に小慣れてきた今が一番大変な時期だと思うわ。ここさえ越えちゃえば後は楽だからね。ひとまず私は簡単なのあと4件、パパっと終わらすわ!他のはちょっと保留にしてて!それまであなたはお休みね!はい休暇!」



ビシッと指をさされた。彼女には頭が上がらない。お咎め無しな上にお休みだなんて逆にソワソワしてしまう。



「わかった。……ねえミッカ。」


「うん?」


「……ごめん、なんでもないよ。」


「そう?ふふ、いつでも頼ってよ?」


「うん。ありがと。」



ここでお手伝いするよ、なんて言うと逆に仕事を増やすことになるからやめておこう。

いつでも頼って、とは言ってくれているが彼女はかなり忙しい人だ。細々とした仕事の掛け持ちを常に数多く抱えている。


ミッカは私の頭をまたひと撫ですると、パタパタと仕事の支度を始めだした。

隣の資料室に出入りし、案件に該当する書類やバインダーを集めていく。

彼女が今あたっている『簡単なの』は調執部と呼ばれる部署の書類精査である。

その内容を簡潔に言えば、今年度の部の仕事を全て洗い直すということなのだから、まだまだ私にはできそうもない。



「それじゃ、私は部屋に居るね。」


「ええ、ゆっくり休んでてね。」



周りでうろうろするのも邪魔になるのでひとまず自室に戻ることにした。

後ろ髪を引かれる思いで職場を後にしたのであった。


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