Roll Croll que Rule (ロール・クロール・ク・ルール)
御白 拓
1.救いの手
熱くて、寒くて、喧しくて、汚くて、臭くて、痛くて、怖くて、堪らない。
周りがどうなっているのかも、どこを向いているのかもわからない。
丸まって目を瞑る以外、何も考えられない。
周りなんて見えない、見たくない。
銃声は一度も止む気配がない。
1秒足りともここに居たくないのに
1秒でも長く居続けようとする矛盾。
いっそのこと死んでしまいたい。
いや、やっぱりもっと生きたい。
生きたい。
今まで何も感じず、なんとも思っていなかった日常がこんなにも恋しい。
この状況からどうすればそこに戻れるというのか。
遡ること少し前。
ここはとある戦争の最前線。
そこに、およそ戦場には似つかわしくない顔付きの男女混合部隊が連行されてきた
その正体は国民皆徴兵制度により老若男女問わず集められた素人集団だった。
それは主戦力を撤退させるための足切りとしての使い潰し部隊として消耗される。
要は強いられた
いうまでもなく、街中のデモ隊の方がマシな働きをするくらいには無力な部隊である。
足切りというだけあって、現場に到着した時点で既に自軍は窮地であった。
あとは殲滅秒読み状態。
だが素人部隊に戦況が分かるはずもない。
そして何の説明も受けずにこの場に放り出されていた。
つい数日前まで笑顔で日常生活を送っていた者が突然、軍服を着せられ、来いと言われ降り立ったのが最前線。
少し離れた周辺には似たような様子の集団がいくつもあった。
ここの空気は鼻がひん曲がるほど臭い。
泥と血と薬品と排泄物と何かが焼けたり腐ったりした臭いで満たされていた。
そして耳が痛くなるほどの発砲音に爆発音、機械兵によるけたたましい駆動音、気が触れた者による絶叫、雄叫びが鳴り止まない。
早速、流れ弾によって隣に立つ人間が地に臥した。
ビクビクと水揚げされた魚のように痙攣している。
その様子はここを非常な場であると認識するのに充分すぎた。
眼前に『死』が横たわっている。
その景色は私に強烈な負の感情を植え付けた。
ここで初めて実感した。
眼に映る景色の全てをソレが覆っている。
戦慄とはこれを云うのだろう。
自分の鼓動と呼吸の音がやたら大きく耳に張り付き、
一刻も早くこの場から遠ざかりたい気持ちが迫り上がってくる。
同時に心の芯が虫に喰われたように脆く崩れていく。
そんな隙を突くように、大きな銃を肩から下げた偉そうな軍人から「行け」と恫喝のような命令が下された。
無論、誰一人銃火器など持たされていない。
全員手ぶらだ。
すぐさま何人かが黙って後方へ駆け出した。
が次の瞬間にはその全てが地面に転がっていた。
「射線に飛び出すな。誤射するぞ。」
行けば
嘗てないほど猛烈な命の危機に瀕するあまり、思考がまともに働かず、身体の穴という穴から汁が垂れ流れた。
ああ、ここが地獄だ。
脳みその真ん中からツンとした臭いがし、視界が広く遠くなる。
部隊の人間たちは気が触れたように叫びながら前方に駆け出した。
私も同じようにして駆け出す。
この身体を動かしているのはもはや私という理性ではなく、生に執着する本能だ。
無我夢中でただ走る。
移動する塊から、ひとり、ふたりと人数は減ってゆき、私は最後尾になった。
そんな矢先、私はぬかるみに足を滑らせ、飛び越えるはずだった塹壕に転げ落ちた。
置いて行かれる。
一人になったらどうすればいいのかわからない。
そうなったらもうどうしようもない。
急いで追いつこうと壁に手を付いた瞬間、地鳴りとともに内臓が震え、すかさず熱風が駆け抜けた。
振動が収まったのを確認すると、顔を半分地上に出して周りを見回した。
前方から遥か後方まで、幾つもの塊が黒く燃え上がっていた。
塹壕を上手く飛び越えていった同胞達、私たちに偉そうに命令した軍人、同じ境遇にあったであろう人達、見渡す限り全員が
一歩間違えれば、いや、間違わなかったら自分もそこに居た。
生き延びはしたが、結局戦地のど真ん中だ。
何ができるわけでもなく、できたことといえば身を隠すために隣に転がっていた死体を掛け布団のように被ることだけだった。
幸い、この塹壕には私以外誰も居なかったようで、私の存命は誰にも悟られていなかった。
できる限り小さく丸まり、ただ時が過ぎるのを待った。
それからどれだけ経ったのかはわからない。
数分なのか数時間なのか、人生を思い返すには充分すぎる時間が過ぎた。
どこかで生き延びていたらしい、発狂していた最後の兵が射殺され、僅かばかりの静寂が訪れた。
ついにこの場の制圧が済まされた。
すぐさま複数の足音が訪れる。
「残敵掃討に移る!
各敵士官については───」
敵兵の指示と思われる声が遠く聞こえる。
より一層、息を潜める。
私は死体だ。
物だ。
何が楽しくて命の懸かったかくれんぼなんてしなきゃならないんだ。
震えが止まらない。
お願いします。
お願いします。
早く通り過ぎてください。
ただただ祈った。
祈る神がいるわけでもない。
祈って何か変わるわけでもない。
だけどどうしても祈らずにはいられなかった。
しかし無情にも一つの脚音が目の前で止まる。
同じく私の呼吸も止まる。
「……こちら
『─、──』
『────』
『了解した。各小隊、そのまま前線を上げろ。』
「了解!」
悠久の時を待つかのように数十秒のやり取りをじっと待ち続ける。
ようやく幾つかの足音が離れていくのが聞こえる。
どうやら難を逃れる事が出来たようだ。
このまま夜が来るのを待って、それから……それから……
「これは独り言なのだけど。」
「(!!!)」
新たにザッと近くに降りたつ音がひとつ聞こえた。
知られた。
後はもう短いだろう。
勝手に口がへの字に曲がり、大粒の涙が止まらない。
「このまま逃げ帰れたとして、あなたの国は黙ってあなたを見過ごしてくれるの?
臆病者は例外なく謀反者と見做され、殺されるのでしょう?
結局、不可能とされている亡命以外、道はない。
しかもたった独りで?」
……
私の上に被さった死体が除けられ、全身が晒された。
逆光が眩しく私を照らす。
「戦意も敵意も見られないわね。
生きたければ、手を。」
戦争が見せる表情とは正反対の、柔らかな微笑みを見せる女性がそこにはいた。
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