勅使河原家からの届け物
劇場を改装して初めて行われた浄瑠璃の舞台は、新作という事も相まって非常に満足度の高いものだった。
俺自身、『伏魔恋情』を読んでいるから色々と先が読めるところもあったんだけど、驚きのあるオリジナルの展開がところどころに混ざってたり、初見でも楽しめそうでありながら、原作ファンが観れば思わず「おぉ……!」と言いたくなるようなエモい展開があったりと、単なる原作をなぞっただけではない、それでいて余計と感じる展開が存在しない、非常に高い完成度の作品となっていた。
(役者の声の張り方とか台詞の口調とかも堂に入っていたし、一般公演が始まったらすぐに話題になりそうだ)
それにしても……俺がこういった伝統芸能を楽しめるようになるなんて、前世では考えられなかったな。
貴族としての教養には芸術関連の知識も含まれている。絵画の良し悪しとか、音楽の良し悪しとか、そういうのを判別する奴な。そのおかげで、今の俺は伝統芸能を普通に楽しめるようになっていた。
正直、歌舞伎とか能楽とか浄瑠璃とか前世で観ても、知識が一切ないから内容が理解できなかっただろうし、自分の世界が広がったと実感できる。
(何より、雪那と感覚を共有できるのが一番の成果だ)
現代日本人としての前世の記憶がある俺からすれば、伝統芸能なんていうのは古臭くてよく分からないものっていう先入観があったんだけど、この世界の人間からすれば最先端の娯楽の一つだ。
カップルが不仲になる大きな理由の一つに、価値観の相違から成る温度差というものがある。楽しい事や悲しい事を共有できないというのは男女関係に致命的な亀裂を入れるという……それを防げたというだけで、貴族教養を真面目に身につけてきた甲斐があったというものだ。
「さっきの舞台はかなり良かったな。オルタリアの侵攻前にああいう展開を入れてくるとは」
「はい……! 展開や役者の声もそうでしたが、人形の動かし方もまるで生きているかのようで……」
そのおかげで、俺はこうして愛する婚約者と楽しい浄瑠璃談議に花を咲かせることが出来ている。多忙な身分になっても華衆院家に生まれてきて良かったと、心からそう思える。
「桜花姫とゼクスが海を眺めながら語らう場面もとても良かった……原作にはない独自の展開ですが、一人の愛読者としての観点から見ても、非常に楽しませてくれる仕上がりになっていて……」
そんな事を話しながら、馬に二人乗りしながらゆっくりと歩く俺たち。
幸いというべきか、本来は今日、俺と雪那は久しぶりの休暇だった。それを利用して劇場からの招待に応じたので、それが終わったら後はゆっくりと過ごせる。
つまりは久しぶりのちゃんとしたデート。今日という日の為に色々とプランを考えてきたので、他愛のない事を話しながら馬を進めようとしたのだが、ふと雪那が海の方を眺めていることに気付き、馬を止めた。
「今日の舞台のように、かの二人もこうして海を眺めていたのでしょうか……?」
「さて、どうかな。なにせ千年以上も前の事だ」
そう言いながらも、俺はその可能性が高いと思う。この華衆院領は、伏魔島から逆侵攻した天龍院桜花らが初めに奪い返した土地であり、しばらくの間、本拠としていた場所でもある。
オルタリアの滅亡と大和の躍進が同時に起こっていた当時の資料は、長い年月の中で数多く失われ、解明できていない歴史もたくさんあるが、後に結婚する男女なら一緒に海を眺めるくらいの事はしてるだろう。今の俺たちみたいにな。
「やっぱり、雪那もあの二人には憧れたりするものなのか?」
「そ、そうですね……私に限らず、大和の女性ならば皆そうだと思います。特に桜花姫は、私にとっての理想そのものである女性だと聞きますし」
歴史文献を紐解く限り、天龍院桜花はバリバリのキャリアウーマンって感じだったらしい。
歴史家ごとに見解の違いは大なり小なりあるけど、天龍院桜花の人物像に関しては誰の推察も共通していて、冷静沈着でいつでも毅然としていて、仕事も滅茶苦茶できるっていうのが、一般的な天龍院桜花へのイメージだ。
(大和帝国が男女同権の実力主義社会になったのも天龍院桜花の影響だし、そこら辺をリスペクトしている女も多そうだ)
十八年以上も男女同権社会である大和で暮らしていただけに意外に思ったんだけど、主な貿易相手である海の向こうにある大国、エルドラド王国とかを含めた海外諸国では、男尊女卑社会が当たり前の国が数多くある。
大和も千年以上も前では男社会だったんだけど、オルタリアの侵略戦争によって国主の座を継げる直系の血族は天龍院桜花しかいなかった。そんな状況下で女性蔑視なんてしようものなら、それはそのまま国主への侮辱に繋がっただろうし、その後に確かな功績を残していたから、男尊女卑思想が払拭されるようになっても不思議じゃない。
「んー……それじゃあ、こういうのにも憧れてたりする?」
穏やかな波が押し寄せる港……丁度誰もいないその場所で、俺は雪那を後ろからそっと抱きしめる。
それに対して雪那は驚いたように俺の方に振り返り、顔を真っ赤に染めるが、抵抗はしなかった。それどころか、俺にされるがままにされて身を委ねている。
「やっぱり、お前とこうしているのは良いもんだけど、雪那はどうだ? さっきの舞台でも、こういう感じの展開があったけど」
「ひぇ……っ!? く、國久様……! み、耳元で囁かないでぇ……!」
「ほれほれ、答えるまで止めてやらねぇぞ?」
そしてそのまま上体を傾け、前に座っている雪那の耳元に口を寄せて囁くと、雪那はビクビクと震えながら耳まで赤く染めた。
うーん……やはり雪那の可愛さは銀河一だ。特にこうやって恥じらいながらも抵抗しないところとか、困らせていると分かっていてもついつい見たくなってしまう。
さて、お次はどうしてくれようか……俺の中で悪戯心とイチャつきたいという気持ちが混ざり合っていくのを自覚していると、雪那は自身の首周りを緩く抱きしめている俺の両腕をギュッと両手で掴んだ。
「……そ、それはその、憧れたりしました……。舞台を観てた時も、その…………てましたし…………」
「うん? 悪い、今のは本当に聞こえなかった。もう一回言ってくれる?」
「……っ! 舞台の桜花姫とゼクスの人形を、私と國久様に見立てて想像とかしていました……!」
その言葉を理解するのに少し時間が掛った俺は、縮こまっている雪那に問いかける。
「つまり、なんだ? 男女が睦み合う恋愛劇の主役二人がもし俺たち二人だったら……そんな想像に耽っていたと?」
「……っ!」
言葉にならないといった様子でコクコクと首を縦に振る雪那。そんな彼女がやけにいじらしく感じて、俺は我慢できずに雪那を後ろに振り向かせる。
「だったら……この続きもしてみるか? 丁度周りには誰もいないし」
「この続き……って……!?」
最初はキョトンとしていた雪那だが、俺の言葉の意味を理解した途端、真っ赤な顔でワナワナと口を震わせ始める。
今日見た舞台では、海を眺めていた天龍院桜花をゼクスが後ろから抱きしめ、そのままキスシーンに突入したのを匂わせる演出をしていた。それを雪那も理解しているのだろう……だからここまで大きな反応を示している。
「く、くく、國久様……!? えっと、それは、えっとえっと……!」
狼狽えすぎてどうすればいいのか分からないといった様子の雪那の顔に、ゆっくりと自分の顔を近づける。
そしてそのまま俺たちの唇が触れ合おうとした……その瞬間。
「や……やぁぁぁ……!」
雪那は真っ赤な顔を俯かせながら、やんわりと俺の顔を両手で押しのけた。
「えぇー……駄目? 雰囲気的に今回はいけるって思ったんだけど」
「だだ、駄目ですっ! まだその、早いですからっ!」
「寸前まで流されておいて説得力がないんだけど……」
正式に想いが通じ合って結構な時間が経つが、俺たちはハグまではいけているけど、キスまではいけていない。
まぁ前世同様、キス以上の粘膜接触は特別感があるのはこの世界でも同じ。雪那の中で、まだ踏ん切りがつかないんだろう。
「まぁいいや。こういう事に関しては焦らないって約束したのは俺だしな」
「うぅ……す、すみません。自分でも意気地がないと思うのですが……」
「いいって。最近じゃお前のこういう反応を眺めるのもオツだと思ってるしな」
「も、もうっ!」
全然怖くない顔で怒る雪那を宥めながら、こういう状況すらも楽しむ俺。
とは言っても、俺もそろそろ進展したいところではある。せっかく婚前交渉OKな国柄で、両想い同士の婚約者になれたんだ。やることやりたいと考えてしまうのは無理もない事。
雪那の踏ん切りがつかないのは俺の努力不足もある。今度はより雪那が踏み切りやすいシチュエーションを考えなくては……そんな事を考えていた日の夜、饕餮城に急報が届くことになる。
勅使河原家から通信魔道具の試作品と、日緋色金製の魔道具が届いたのだ。
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