皇帝の憂鬱
好事門を出でず……とは言われるが、それは一挙手一投足が注目される権力者には当てはまらないものだ。
帝国西部の大貴族、華衆院家の次期当主である國久が、同じく西の大貴族である勅使河原家の次期当主、惟冬に協力する形で領地を襲った強大な妖魔を退けてから数日後。黄龍城の奥御殿でその報告を聞いた大和帝国皇帝、天龍院玄宗は深い溜息を吐いた。
「これでまた西の大家の……特に華衆院家の名声が国内に響き渡るな」
皇族として、それは本来喜ばしい事だろう。
貴族とは大和各地の統治者であると同時に、皇帝である自分の臣下。臣下の力とは皇帝の力でもあるため、本来ならば心強い味方が自分にはついているのだと、自国内の貴族の躍進は喜ぶべきことだ。
(だが今の国内の情勢を考えると、どうしても素直に喜べん……!)
大国である大和を統べる天龍院家は、近代になって急激に力を弱めている。
打ち出した政策はこれと言った大きな成果が出ず、金策の為の事業はどれも上手くいかず、更には交通の要所である大橋が氾濫で流されたりなどの不幸が立て続けに起こったりと、大きな失敗こそないが何度も不運に見舞われて借金を重ねているという悪循環が、ここ百年ほど続いているのだ。
(そんな中で、西部の貴族たちが急速に距離を縮め始めた……これはどう考えても、皇族を見限り始めた兆しだ)
海外貿易と数々の嗜好品の開発で巨万の富を生んでいる華衆院家。国内最大規模の農地を誇る西園寺家。卓越した魔道具産業と数多くの鉱山で栄えている勅使河原家。この三つの大貴族が立て続けに親交を深め、事業提携の契約を結んでいる……この事実に対して玄宗は、天龍院家の威光が地に落ち、大和帝国全体が混迷期に突入した時に備えた同盟であると、的確に予測していた。
(各地……それも東部を中心に皇族への不信が募り、独立の気運が高まっていると聞く……このまま情勢を覆せず、各地で反乱が起きようものなら、民衆は金もなく実績もない皇帝よりも、金と実績を兼ね備えた 勢いと実力がある若い貴族を頼り始めるのは明白だ……!)
今ある情報を羅列し、これから起こりうる展開を予想すると、國久を始めとした西部が誇る大貴族、その若き次期当主たちは、国の混迷期においてはかなり魅力的な旗持ちに見えることだろう。
そこに国内でも三本の指に入る軍事力を誇る名門、土御門家が彼らに与すれば、もはや誰も歯向かえなくなる。借金を重ね、威信が落ちている皇族も同様だ。
(さらに頭が痛い事に……現状、かの三家はどこも謀反を企てている気配なり証拠なりが無いという事だ)
華衆院家も、西園寺家も、勅使河原家も、明らかに衰退している皇族を見限って同盟を結び、決して無視できない勢いで影響力を高めてはいるものの、昔から変わらずに皇族を立てて、金銭なり物資なりと様々な形で積極的に支援を続けている。
それはまさに臣下の鑑と言える対応で、法の体現者である国主として彼らを罰することはおろか、無理な要求を突き付けられる道理がどこにもないのだ。
正直に言ってそのこと自体は助かっているのだが、今後の事を考えると、これも素直に喜ぶことが出来ない。
(もし、このまま内乱が起こり、彼らの力を借りてそれを収めたとしても……その時はその時で、皇族にとって彼らは逆らえない存在となってしまう……!)
現状でも華衆院家を始めとした三家の支援が無ければ、皇族としての体裁を保てないほど貧しいのだ。そこに加えて、内乱を収めるという活躍までされてしまうと、国民の支持は総取りにされるだけでなく、本来国主であるはずの天龍院家が臣下である華衆院家らに頭が上がらない状況を作り出してしまう。
(ふざけるなよ若造ども……! この国の国主はこの私だぞ……!?)
国を平和的に治めるならそれでもかまわないかもしれないが、玄宗は内心でそれを許容できなかった
決して表に出さないだけの冷静さはあるが、皇帝となるべく育てられただけあって、玄宗は自尊心の強い性格だ。貴族たちのみならず、民衆からも軽んじられている現状には屈辱でしかないし、ましてや自分の子供と同じ年の若者に下手に出るなどもっての外だ。
「……そう思っても、どうにもならないのだから世は無情よな……」
しかし凡庸ではあるが決して無能な皇帝ではない玄宗は、自分の内心を表に出せば、三家からの支援を制限ないし打ち切られて、今度こそ天龍院家が終わるという事も理解できていた。
(いっそのこと、本当に謀反を起こしてくれた方が助かるかもしれん)
そうすれば大手を振って罰を与えて、権力を削ぎ落して財産をむしり取れるのに……そんな益体のないことを考えてた玄宗だが、悩みはそれだけではない。
玄宗は各地に放っている諜報員からの報告がしたためられた手紙を改めて眺める。
(皇族でありながら、忌々しい赤眼を持って生まれてきたアレが、龍印を宿しているかもしれないだと……?)
初めに疑問を持ったのは、西園寺家を襲った巨大な妖魔の群れから城下町を守った超大規模結界に関する報告を受けた時だ。
娘であり、皇太女である天龍院美春の客将である御剣刀夜が起こした問題を償うため、天龍院家重代の宝刀である結界の魔道具、月龍を華衆院家に下賜したことは知っていた。その力を使えば城下町とその周辺一帯を覆う巨大な結界を張ることは、理論上可能ではあるが、果たしてその為の莫大な魔力はどうやって賄ったのか?
更には先日の勅使河原領全域を覆ったという、妖魔の攻撃である分厚い暗雲。それを全て払い散らすのに、どれだけの魔力が必要となるのか?
(これら全ての疑問も、龍印の力があれば全ては氷解する……!)
そう考えると、もしや五年前に國久が雪那との婚姻を求めてきたのは、龍印が雪那に宿ると分かっていたからではないか……? そんな疑問が玄宗の中で湧き上がり、当時はまだ十三の子供でしかなかった少年の姿を思い出して、思わずゾッとした。
仮にも同じ城に住んでいる娘に龍印が宿ることなど、家族はもちろん家臣団の誰もが予想だにしなかったことだ。それなのに、外部の人間でしかない國久がどうやってそれを知ることが出来たのか……そう考えると、國久が何か得体の知れない怪物に思えて、玄宗は底冷えするような思いをした。
本来ならば事の真偽を明らかにし、雪那に龍印が宿っているならば、無理矢理にでも婚約を白紙に戻して連れ帰るべき……頭ではそう理解できた玄宗だが、その考えを消し去るように頭を振る。
(いいや、違う! あのような忌み子が、龍印に選ばれるはずがない!)
玄宗の母……先代皇帝の正室は、忌み子に纏わる話を迷信と決めつけて一切信じておらず、忌み子への偏見を取り除こうと活動していた人物だった。
その働きの一環で赤い目をしているからと迫害を受けていた人間に働く場所を提供し、時には自分の傍仕えに抜擢していたほどだったのだが……結果から言えば、玄宗の母は忌み子のせいで死んだ。
視察の為に移動する最中、傍仕えをしていた忌み子が失態を犯し、母の元へ妖魔を引き寄せてしまったのだ。それは玄宗が十歳の頃である。
(そうだとも……忌み子は災いを招く存在……! 真なる皇帝の証とまで称される龍印に最も相応しくない者なのだ!)
母の死が幼い子供に与えた影響は甚大であり、その出来事は玄宗の心に今なお残り続ける傷となっている。以来、玄宗は忌み子の迷信を信じるようになってしまっていた。それこそ、冷静な判断が下せないほどにだ。
そんな玄宗にとって、忌々しい赤眼の持ち主であり、自分が散々蔑ろにしてきた雪那に龍印が宿ったという事は、決して受け入れられない事だった。
(大和を建国した初代皇帝や、滅亡寸前にまで追いやられた大和を大陸全域を支配する帝国にまで押し上げた偉大なる中興の祖たる女王、天龍院桜花にも宿っていたという龍印……それが私に宿っていないばかりか、あの忌み子に宿っているなど、決してあり得んのだ……!)
大和帝国の歴史上、龍印を宿した皇族は皆、国の危機を救ってきた偉大な皇帝となった者ばかりで、例えその親に龍印が宿っていなかったとしても、龍印の保持者を偉大な皇帝となるように育て、導いたとして、歴史に高名を残している。
もしも雪那に龍印が宿っていて、それが公のものになったとなれば、玄宗はせっかくの龍印保持者を蔑ろにしたばかりか、黄龍城から追い出してしまった暗愚であると後世に語り継がれてしまう事だろう。
(そんなこと、認められるはずがないではないか……!)
だから玄宗は間違っていると頭では理解しながらも、この一件を握り潰す事しか出来ない。
婚約式まで済ませ、二年後には華衆院家に正式な嫁入りを果たす雪那の婚約を無理矢理破棄すれば、一連の事情が必ず外部に漏れてしまう事が分かり切っていて、それが玄宗にとって何物にも耐えがたい恥辱であるから。
そんなどうにもままならない現状を前に、玄宗は当たり散らすかのように報告書を破り捨てるのだった。
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