人知れず繋がる輪
起き抜け早々、色んなことがあったけれど、元々入れていた予定は恙なく終わった。
妖魔の死骸の処理は今日中には終わりそうという事で、勅使河原領の鉱員たちは明日からでも再び働けるようになるらしいし、来期の納品にも十分間に合うとかで、後顧の憂いを無事に絶てた勅使河原家は、通信魔道具の共同開発に本腰を入れてくれることを約束してくれたのである。
「それじゃあ、しばらくの間はこの秋葉を始めとした我が領の大切な研究者たちが、勅使河原領の魔術研究所に勤めることになる。生活費を初め、色々と面倒を掛けることになるがよろしく頼むぞ、惟冬殿」
「承知した、國久殿。貴殿の大切な家臣は、丁重に遇することを約束する」
通信魔道具の術式の開発者である秋葉と、そのサポート役数名を勅使河原家直属の魔術研究所に派遣する……これは会見前の事前の取り決めで既に決まっていたことで、何も説明の為だけに連れてきたわけではない。
いずれにせよ共同研究となると、秋葉にはしばらくの間、勅使河原領で活動してもらった方が何かと都合がいいし、華衆院領の研究所も所長不在の間の代役を副所長に任せているから、これと言った問題もないのだ。
(何はともあれ、賽は投げられたな)
正式な調印の場を設けて、両家の家臣団に見守られながら契約書を交わしてから固く握手をする俺と惟冬。
後は今回の共同開発が、良い方向に向かうように尽力するだけなんだけど……。
(薫……一体どうしたんだ?)
調印式が無事に終わり、各々が大広間を後にしていく中、俺はさっきからずっと気になっていた方に視線を向ける。
そこには赤い顔をして惟冬の方をチラチラと見ている薫の姿があった。
(調印式の最中も心ここにあらずって感じだったし……これは昨晩、惟冬と何かあったな)
何しろ調印式の最中もずっと視線を送っていたし、惟冬と視線が合うと勢いよく顔を逸らしてたりしてたし、これで何もなかったっていうのはあり得ないだろ。
まぁ惟冬にしても、薫にしても、仕事に支障を出していなかったから問題ないけど……あまりにも露骨だったから、周りの連中も訝しそうにしてたぞ。
「わ、私! 少し所用があるので御前失礼いたしますね!」
そう言って一目散に部屋から出ていく薫。その態度は、惟冬に話しかけられる前に逃げたと言っているのと同じだ。
そんなこんなで、俺と惟冬以外は誰も居なくなった大広間。その沈黙を破るように、俺は惟冬に問いかけた。
「……で? 何やらかしたの?」
「開口一番、僕が何かしでかしたのを前提に言われると複雑なんだけど」
「でも事実だろ? 薫があれだけの態度をとることがあるとすれば、惟冬関係以外に考えられないし」
「まぁ……そうだけど」
案の定というべきか、観念したかのように頷く惟冬。
「ほれ、正直に言ってみ? 事情が分からないと相談にも乗れん」
「……この事は、くれぐれも他言無用で頼むよ」
真剣な表情で念押しする惟冬に頷く。言われなくても、友達の恋愛事情を悪戯に広めるつもりなんて欠片もない。
「実は昨日……薫とヤった」
「……………………え? マジで?」
言葉の意味を数秒考えてから確認するように呟くと、惟冬はゆっくりと頷いた。つまりは……そういう事なんだろう。
「え? ちょ、待って? 何がどうなって昨日の段階からそこまで!? 恋の階段飛ばしどころか、ロケットで天井突き破る勢いじゃん!?」
昨日まで子供扱いされ過ぎて告白を本気で受け取ってもらえなかったと嘆いていた奴がどうやったら一晩の内にその領域までいけるんだ!? 何か秘訣があるのなら、金を払うから是非とも教えてほしい!
「もしやとは思うけど、立場をフル活用して無理強いしたとかじゃないよな? それとも催眠魔道具の開発にでも成功したとか?」
「違う。僕は決して無理強いもしていなければ、催眠魔道具の開発もしていない。まずは話を聞いてほしい」
そして俺は昨晩に俺が惟冬の部屋を後にした後に起こった出来事を説明してもらった。
事が事だけに色々と省かれてはいるけれど……話を聞く限りだと、確かに惟冬が無理矢理って訳でもないらしい。
「つまり何か? 逐一確認しながら、薫がいつでも逃げられるようにはしていたと? それで結果的に最後まで致したと……そういうことか?」
「うん。そういう事」
マジかよ……正直俺の見立てでも脈ありだとは思っていたが、まさかそこまでとは……。色恋沙汰で俺の後ろにいたはずの友達が、あっという間に俺よりも遥か先を走り抜けていって、羨ましいような、めでたいような、なんとも不思議な気分だ。
「何もそこまで驚かなくても……ディープキスの一つでもしろとアドバイスをしたのは國久じゃないか」
「確かにそういったが、まさかそこまでするとは思わんわ! せいぜいキス止まりだと思ってたっつーの!」
薫が朝っぱらからけったいな悲鳴を上げて走り去っていった理由が、ようやく分かった。こんだけの事があれば、そりゃあぁなるだろう。
「でも何はともあれ、これでもう二度と弟扱いなんてされないでしょ」
鼻を鳴らしながら、惟冬は薫が小走りで去っていった方に視線を向ける。
「もう二度と僕たちの関係は元には戻らないけど、いつまでも子供扱いで進展しないよりかはずっとマシだし、後悔しない。絶対に薫を正室に迎えてみせる」
そういう惟冬の横顔は、昨日までどこか迷っていたようなものとは違う、覚悟を決めた男の顔になっていた。
……そこまで言うのなら、俺も応援するしかないだろう。昨日言ったとおり、精々お膳立ててやるとしよう。
「そういう國久こそ、雪那殿下と何かあったんじゃないの? 薫と似たような反応で、そそくさと部屋から去っていかれたし」
……それに関しては俺の方が聞きたい。状況から察するに、どうにも雪那は俺が寝ている隙に何かをしようとしてたらしいが、一体何をしようとしてたんだ?
=====
「……はぁ」
國久がしきりに首を傾げていた頃、当の雪那は宮子が待っている迎賓館に向かいながら、深い溜息を吐いていた。
原因は言わずもがな、朝方に起こした自分の行動についてである。
(うぅ~……! わ、私は何という事をしようとしていたのでしょう……! 眠っている國久様に、あんなことをしようとしていたなんて……!)
その時のことを思い出して赤くなる顔を両手で抑えながら、雪那は「このままではいけない」と思いつつも、自分ではどうしようもない感情を抑えきれず、ついつい國久と顔を合わせるのを避けてしまった。
(……このような態度をとるのはとても失礼な事ですし、いつまでも國久様とお顔を合わせずにいるのも嫌です……)
だから素直に変な態度を取ったことを謝らないといけないのだが、そうなると自分がしようとしていたことを他の誰でもない國久に話さないといけなくなる。
(それはつまり、あの時の私の醜態を詳らかにするという事に……!)
そんな状況を想像すると、心臓がバクンバクンと鳴り響いて耳障りになるくらいだ。とてもではないが、何の心の準備も策もなしに出来る気がしない。というか、事が事だけに國久はおろか同性が相手でもなかなか相談しにくいのだ。
(こんな私、國久様に呆れられてしまいますよね……? いやらしい娘だと思われたらどうすれば……!?)
……実際のところを言えば、國久が朝の雪那の行動を知れば喜ぶだけなのだが、その考えには思い至れない雪那はただただ右往左往するしかない。
長年の間、「理想的な貴族の伴侶」として慎み深さこそが大切であるという教育を受けて来て、平民のような恋愛観とは無縁だった雪那は、自分の咄嗟の行動に対してどうすればいいのか分からないのだ。
出来る事ならこのまま有耶無耶にしてしまいたい。しかし何もせずにいるわけにはいかない。進退窮まった雪那は途方に暮れてしまった。
「「はぁ……一体どうすれば……」」
再び溜息を吐きながら曲がり角に差し掛かろうとすると、すぐ近くで誰かが、自分と全く同じセリフを、同じタイミングで口にしたのを聞いて、雪那は俯いていた顔を上げる。
その視線の先には、丁度曲がり角で鉢合わせた薫が目を瞠ってこちらを見ていた。
「こ、これは雪那殿下。大変失礼いたしました」
「い、いえ。どうかお気になさらず」
何だか変な雰囲気になってしまい、雪那と薫はしばしの間お互いに黙り込んでしまう。
つい昨日まで、日常では朗らかな印象を崩さなかった薫からはかけ離れた様子だ。一体何があったのだろうと考えてみると、その原因はすぐに思い当たった。
「あ、あの……間違っていたら申し訳ないのですが、惟冬殿と何かありましたか?」
「ひょえっ!?」
やがて雪那が恐る恐る声をかけると、薫は奇声を上げながら体を跳ね上げる。
「どど、どうしてそのように思われて……!?」
「えっと、朝方に凄い声を上げながら迎賓館の傍を走り去っていきましたし、先ほどの調印式の最中にも、どこかおかしな様子で惟冬殿の事を見ていたので」
「あ……も、申し訳ありません。お見苦しいところを……」
「いえ、どうかお気になさらずに。人は誰しも悩むものですし、こちらも特に不便を感じていませんので」
そう答えながら、雪那は既視感を感じた。
状況も交わす言葉も違うのだが、雪那は今の状況と似たような雰囲気に覚えがあった。……具体的には、朝から今に至るまでの自分の行動とか、渾沌城の中庭とかで。
「あ、あの……!」
「は、はいっ! 何でございましょうか?」
「もし時間に空きが出来ればでいいのですが、少しお話をしませんか?」
「え……?」
唐突な提案に目を丸くする薫に、雪那は至って真面目に言い募る。
「もしかしてかも知れないのですが……今私たちが抱えている悩みは、程度が違えど似ているのかもしれませんし」
主に他人には言い難い、好きな人に関する事という一点で……そう他の誰にも聞こえない大きさで呟かれた言葉に、薫は悩みながらも遠慮がちに頷く。
この時の雪那の選択が切っ掛けになり、燐に続いて薫との交友を持つようになって、後にとある集まりを作ることになるのだが、この時の当人たちはその事を想像もしていないのであった。
――――――――――
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