鈍感女へ捧ぐ
大和帝国西部で随一の軍事力を誇る名門、土御門家。その次期当主として名が知られている土御門政宗は、原作ではとんでもなく横柄で強欲、何事も暴力で解決しようとする脳筋思考な悪役であり、自領はもちろんのこと、他所の領地でも嫌われている小悪党にしては異様に強いという設定だった。
元々、土御門家は妖魔が数多く存在する土地だ。そんな土地を統括するだけあって、兵士は精強、政宗自身も帝国屈指の実力者……しかし性格は最悪で、それが災いして原作ヒロインを虐げて、最後には刀夜に打倒される……それが【ドキ恋】における土御門政宗の大雑把な概要である。
「ただ現実だと、性格関連で悪い噂は聞かないな。武勇に関する名声は耳にするけど」
「やっぱり土御門政宗殿も転生者……それも坂田の可能性が高いって事か」
「確証はないけど、状況から察するにな」
同時に死んだであろう俺たちがそれぞれ【ドキ恋】に登場する四人の小悪党の内、三人に転生していることが確定した今、あと一人の坂田がもう一枠に転生していない……そっちの方がむしろ不自然だ。
「ただ坂田の転生先と思われる政宗殿が住んでいる場所はあの土御門領……どうしても探りを入れにくいから、得られる情報はどれも決定打に欠けるんだよな」
現段階でも悪い噂は耳に入ってこないから、政宗が転生者である可能性は高い。しかし何度も言うように、土御門領は妖魔が跋扈する過酷な土地。
そして妖魔が多いという事は、どうしても人の出入りが少なくなり、容易に人を送れないという事だ。理由は単純に危険だからな。そんな場所に住んでいる人間の情報となると、どうしても調べにくくなるものだ。
「領地が隣接してて、鉱山を有して鍛冶技術も高い事から、土御門家とは昔から懇意にしているけど、土御門家の人間は妖魔退治で忙しい事が多いし、僕自身も危ないからって土御門領に向かう事を反対されているからね。政宗殿はもちろん、現当主である
「だろうな」
天狗退治に行く時も、惟冬が出陣するかどうかで家臣たちと揉めたんだ。妖魔だらけの土地に、一人しか存在しない主家の跡継ぎを送るとなると、勅使河原家の家臣たちは絶対に認めたくないだろう。
「となると、土御門家との会談も、華衆院家が主導して行う必要性があるな」
【岩塞龍・宙之岩船】ならば比較的安全に人と物資を土御門家に送り届けることが出来る。それに加えて、西園寺家や勅使河原家と直接やり取りしているのは華衆院家であり、これから起こる可能性が高い内乱を乗り切るための同盟結成の為に中心となって動いているから、華衆院家がやり取りするのが一番手っ取り早いのだ。
(まぁ俺が土御門領に行くとなると、重文たちを説得しないとだけど)
それでも土御門家と手を結ぶのは、個人としても次期領主としても必要な事だ。原作通りに本当に内乱が起こるなら、国内でも一、二を争う武力を持つ土御門家が味方に付いていない状況のまま内乱を迎えるのは絶対に避けたい。
「ならそれまでに通信魔道具を実現化させないとね。土御門家との交渉に必ず有利に働くはずだろうし」
「天狗の騒動もあって忙しくなるだろうが、よろしく頼む」
そんな事を話しているとあっという間に時間は過ぎていき、明日に備えてそろそろ眠らないといけない時間帯になった。
「それじゃあ、今日はこの辺にしてそろそろ寝るとするか」
「そうだね……僕もいい加減頭が働かなくなってきたし、続きは明日にしよう」
俺は立ち上がり、部屋を後にしようと戸に手をかけたその時、ふと思い立ったことを口に出す。
「そういえばさ、薫とのことをどうするのか、もう決めたのか?」
「…………」
惟冬は難しい顔をして黙り込む。
まぁ昨日の今日でいきなり今後の方針が思い浮かぶなら苦労はしないか。
「人の恋愛事情に口出しする趣味は無いけど、時間は有限だ。今回の薫の活躍はいずれ知れ渡ることになるし、アクション起こすなら早い方がいいぞ?」
俺は一個人としても、名門華衆院家の次期当主としても、雪那を天魔童子の魔の手から救った薫に対して謝礼をするつもりだ。それによって薫自身に箔が付き、領主との婚姻もスムーズにいくようになるだろう。
しかし、それは惟冬にとって良い事ばかりではない。
(見方を変えれば、薫に寄ってくる男が増えるって事だからな)
ただでさえ文句なしの美少女なのに、自分の主君のみならず、他家の……それも名門である華衆院家の次期当主からの覚えもめでたいとなると、その箔にあやかろうと婚姻を持ちかける奴は必ず現れる。
政略結婚は何も領主だけの問題ではない。このご時世、必要とあれば一貴族の家臣も利益目的で結婚したりするのだ。
「雪那がちょっと話したらしいけど、どうも薫ってお家の為、主君の為っていう臣下らしい気質の持ち主みたいじゃん。勅使河原家の……ひいてはお前の利益になるからって言われたら、多分頷いちまうんじゃないのか?」
「うん……分かってる」
固く瞑られていた眼を開いた惟冬は、どこか覚悟を決めたかのような表情を浮かべる。
「いずれにせよ、どこかでアクション起こさないといけなかった。今回はその丁度いい機会だったよ」
=====
國久が部屋を後にした後、惟冬は窮奇城の表御殿にある、薫が使っている執務室へと向かっていた。
事務仕事の作業場として活用されている表御殿では、泊まり込みで仕事をする際に家臣たちに使わせている部屋がある。ここしばらくの騒動の後始末のため、幾人かの家臣がこの表御殿に留まっているのだが、その中に薫が居るのだ。
(起きてるといいんだけど……)
もう時間は深夜帯に近い。領内に居る殆どの人間が布団の中に入っている中、「もう薫が寝てたらどうしよう」と考えながら、作業が一段落して静まり返っている城内を惟冬が進んでいくと、中庭の縁側に誰かが座っているのが見えた。
「薫? まだ起きていたんだね」
「これは若様」
「あー、いいよ立たなくて。今日は疲れたでしょ?」
縁側に座っていた人物……薫が立ち上がろうとするのを片手で軽く制止すると、惟冬は薫の隣に腰を下ろす。
「改めて、今日はご苦労様。薫の働きには、國久殿も深く感謝していたよ」
「いえいえそんな。当たり前のことをしたまでですから」
朗らかに笑いながら謙遜する薫の姿を、惟冬は何となしに眺める。
環境汚染によって星や月の光が届きにくくなった前世と違い、この世界は快晴であれば、月明かりがそのまま照明の役割を果たす。
雪那の力によって、領地を覆いつくしていた雲が掻き消された空から降り注ぐ月光に照らされた薫は、惟冬の目には何よりも美しく見えた。
(あぁ、やっぱり好きだな)
どこが好きになったとか、なんで好きになったとか、そんな小難しい理由など関係ない。前世から恋焦がれ、この世界に生まれた時からずっと一緒に居続けた少女は、いつしか惟冬にとって命よりも大切な存在であり、なによりも欲しい存在になっていた。
少なくとも、いつまでもヘタレてみすみす逃すような真似は絶対にしたくない。國久と話し、彼が雪那との婚姻に漕ぎつけた過程を聞いた惟冬は、以前よりもさらに強くそう思っていた。
「それにしてもどうされたのですか? こんな時間まで起きていらっしゃるなんて」
「國久殿と話し込んでたら、ちょっと眠れなくなってね。そういう薫はどうしたのさ?」
「え? あー……その、ちょっと考え事というか悩み事というか……」
「悩み? 僕で良かったら相談に乗るけど」
「い、いえ! 若様を煩わせるような事でもありませんので!」
あはは……と笑いながら茶を濁す薫。
(悩み事と言っても、自分でなにを悩んでいたのか分からないんだけど……)
薫の悩み事……それは雪那の力を借りて烏天狗が生み出した雲を蹴散らした直後に感じた不可解な感情である。
あれから色々と思い返してみると、自分はどうにも惟冬に関することで悩んでいると自覚できた薫だが、その具体的な内容が未だに分からずにいた。
(何はともあれ、若様に関することなら早急に解決しようと思ったのに……)
普段ならそんなことは無いのに、今日に限っては惟冬の事を考えると妙にモヤモヤした気持ちになってくる。
自分を見つめ直し、考えてもいっこうに理由が見えてこない。いずれにせよこのままでは仕事に差し支えが出そうなので早々に悩みを解決したかったのだが、その前に当の本人が目の前に現れてしまい、薫は一瞬だけ、惟冬とどのように接すればいいのか分からなくなってしまった。
「そ、そんな事よりも若様、眠れないようでしたら温かいお飲み物をご用意いたしますよ? 体が温まればぐっすり快眠です!」
「気持ちは嬉しいけど、今日はいいかな。別に喉は乾いてないし」
「左様でございますか……? あ、でしたら」
薫は茶目っ気のある笑みを浮かべ、両腕を軽く広げる。
「昔みたいに一緒に寝ましょうか? 子供の頃の若様は私が抱きしめて一緒に布団に入ると、すぐに眠っていましたし」
それは子供の頃の思い出をネタにした、薫なりの軽い冗談のつもりだった。
かつては世話係として四六時中傍にいたし、その名残で惟冬の事は今でも弟のように可愛く思っているが、流石に一緒に眠らないといけないと考えるほど、薫は惟冬の事を子供だと思っているわけではない。
だからこの後、「なーんて冗談です」とか何とか言うつもりだったのだが、その前に惟冬が薫の手を掴んだ。
「そうだね。じゃあ一緒に寝てもらおうかな」
「……へ?」
薫は惟冬のことを他の誰よりも理解していた。だからこういうことを言えば向こうの方から遠慮してしまうだろうと思っていたのだが、その予想は大きく外され、惟冬は薫の体を引き寄せ、そのまま横抱きにして持ち上げてしまった。
「わ、若様? あ、あの冗談。今のは私なりの冗談ですよ?」
「うん、だろうね」
知ってると言わんばかりに平然と答え、薫を横抱きにしながらずんずんと廊下を進む惟冬。そんないつにない様子の惟冬に困惑しながら、薫はある事に気が付いた。
(若様ってこんなに大きかったっけ……?)
何も考えずに手を握り合っていた子供の頃と違い、成長するにつれてある程度距離を取るようになった今、ここまで惟冬と接触したのは久しぶりのことで、薫は惟冬がいつの間にか大人の男になったのだという事を今さらになって体で実感する。
(……あ、あれ……? 何これ? なんか、急に恥ずかしくなってきた……!)
自分の中の惟冬に対する印象がどんどん変わっていくにつれて、顔が充血して赤くなる薫。
そんな変化に戸惑っていると、惟冬は薫を抱えたまま自室へと戻ってきて、中で敷いていた布団の上に薫を横たえさせると、その上に覆い被さった。
燭台が灯す光で照らされた薄暗い部屋の中、自分を逃がさないように両側を両手で遮る惟冬を見て、薫はその尋常ではない様子と、どこか怒りを秘めた真剣な表情に息を呑む。
「えっと、若様? あの、本当に一緒に寝るだけ、ですよね……?」
「だったら僕が今から何をしようとしているのか、末来視で視てみなよ」
そう言われて薫は未来視を発動し……そのまま顔を茹蛸のように一瞬で赤くした。
「あ、ああああああああのあのあのあの、若様!? ここ、こういうのはちゃんとした奥様を迎えてからするものですよ!? なぜ私になさろうとしているのですかぁっ!?」
「それはまぁ、君を正室に迎えるつもりだしね。この国じゃ婚前交渉は問題ないし」
「若様! 冗談にしては度が過ぎていますよ!?」
「むしろここまでされてどうして冗談だと思うのさ」
惟冬は呆れたように嘆息する。
「昔から言ってるよね? 僕と結婚してほしいって。君は知らないようだけど、僕は冗談でこんな事を言ったりしないんだ。だというのに君って奴は毎度毎度冗談って決めつけて適当にあしらって……そんな鬱憤が溜まっている時にあんなことを言われたら、もう我慢の限界だ」
これまで惟冬は、薫に対するアプローチは言葉だけで行動に移すことはしなかった。関係が変わるのが怖かったのだ。
アプローチが成功するにしても失敗するにしても、薫との関係は大きく変わる……その事を恐れて踏み出しきれずにいて、結果として薫に本気が伝わらなかったのだと、國久と話していて気付かされた。
(……僕もとんだヘタレだったって事か)
だが事ここに至って、もうヘタレている状況ではない。
そもそもこうなったのだって薫にも原因があるのだ。だったらもう國久のように開き直ってやると、惟冬は努めて冷静に告げる。
「で、でも私はあくまで臣下であるわけでして! 私などよりも勅使河原家に相応しい方が……」
「大丈夫大丈夫。君の両親を含めた家臣一同には既に話は通してるし、必要なら國久殿も後押ししてくれるって言ってくれてるから。そもそも無理に結婚で繋がりを持たないといけないような家は、今の勅使河原家にはないしね」
「と、父様たちにも話を通してたのですか!?」
まさか両親にまで話が通っているとは思っていなかった薫は素っ頓狂な声を上げる。
今思い返せば、惟冬とのやり取りを妙に生暖かい目で見られていることがあったが、その理由を今になって思い知って、薫は顔から火が出るような気分になった。
「好きな人相手に無理強いはしたくはない。だから本当に嫌なら抵抗していいし、その意思を尊重する。……でも抵抗しないようなら、僕がどれだけ本気で薫を口説いているのか、それを骨の髄まで刻んでやる」
「あ、あばばばばばば……!」
色恋沙汰には鈍感な薫も、静まり返った奥御殿の一室で、絶世の美男子と呼べる容姿をした主君に覆い被され、これまでにないくらい直球で口説かれたことでようやく惟冬の本気具合を察して狼狽えるしか出来ない。
「こっちはフラれるどころか本気にもされなくて怒りすら覚えてたんだ。もう二度と子供扱いできないようにしてやるから覚悟しろ」
「まま、待ってください待ってください!? なんかもう色々あり過ぎて心の準備が……!? ひょ……ひょええええええええええええええええっ!?」
月と星に照らされた夜空の下、薫の情けない悲鳴が木霊する。
結局、薫が解放されたのは、朝日が昇ってしばらく経ってからだった。
――――――――――
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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