災いを退けて


 季節外れの雹を降らし始める空に領民たちがようやく不安を抱いた頃、身体強化魔術によって妖魔を真正面から切り伏せるほどの筋力が増強された薫は、薙刀を片手で握りしめながら雪那を横抱きに抱えて、窮奇城の天守閣……その屋根へと跳んで着地した。

 

「手荒な方法で申し訳ありません、痛みなどはございませんか?」

「は、はい……っ。問題ありません」


 三角に近い形をした瓦の屋根は足場としては不安定で、雪那は体勢を崩す前に薫の腕にしがみ付きながら気丈に振舞う。

 高いところは平気だが、國久が操る岩の船と違って、こんなにも足場が不安定な高い場所に上るのは初めてだ。足を滑らせたらと思うと、緊張で心臓から震え出すような感覚に全身を支配されそうになる。


(それでも……私は華衆院家次期当主の妻です)


 民草を守るために夫となる男が戦っている。貴族の命令を受けて大勢の兵士たちが戦っている。ならば自分も出来ることをしなければ、誰に対しても示しが付かないし、何よりもこのまま大勢の人が死に絶える未来はとても許容できない。

 雪那は恐怖で強張りそうになる顔を無理矢理引き締めて、手に握りしめた月龍に魔力を注ぎ込む。


(まずは、月龍で守れる範囲だけでも先に守る)

 

 龍印による無尽蔵の魔力を注ぎ込まれた短刀は、地上と空を遮るようにして強固な結界を高速で形成。その範囲は城下町へとあっという間に広がり、その周辺にある農地や町村、鉱山の一部という広範囲を覆いつくすが……秋葉の言ったとおり、結界が領地を覆いつくすよりも先に、結界の形成速度が急激に緩やかになった。

 

「……これが、限界みたいです……!」


 月龍という魔道具の限界に到達したのだ。無理矢理魔力を注げば結界はゆっくりと広くなっていくが、過剰な魔力を注がれている月龍からは電流のようなものがバチバチと音を立てて放出されている。これ以上無理矢理魔力を注げば壊れてしまいそうだ。


「……ですがこれで、対処する範囲が減りましたよね?」

「はい! これならば、きっと間に合う事でしょう! お見事です、殿下!」

「では次の手筈をお願いします……宮代殿っ」

 

 次の瞬間、雪那から莫大な量の魔力が注ぎ込まれると同時に、薫は未来視の魔術を全力で発動する。

 この難局を乗り越えるために、これから訪れる未来を先読みし続ける薫の脳裏には、惟冬の姿が浮かんでいた。


(若様……今こそ貴方様への忠義を貫いてみせますっ)


 ……少し話は変わるが、宮代家の先祖はかつて、地位も名誉もない一介の難民に過ぎなかったらしい。その日一日を食い繋ぐのも精一杯の、家屋に住む事もままならない貧しい民だった。そんな先祖の未来が変わった切っ掛けが、大和の国外から現れた魔術の開祖にして、魔導文明を世界中に齎した、ゼクスと呼ばれる原初の魔術師である。

 そして宮代家の祖先は、開祖ゼクスにその才覚を認められて直弟子となった者たちの一人。今よりもずっと苦しい貧困の時代、自分を取り立ててくれた開祖に、先祖は忠誠を誓うほどに感謝していたという。


(……きっとご先祖様も、今の私と同じ気持ちだったのでしょうね)


 それは未来視という、現代の魔術師たちでは再現不可能な魔術をゼクスと共に編み出し、連綿と引き継がせてきたという生家からも明らかだろう。そのおかげで、宮代家は開祖亡き後も落ちぶれることもなく、こうして名門の重鎮として召し抱えられていると言っても過言ではない。


(それでも、何もかもが順風満帆だったわけじゃないけど……)


 未来視も万能ではない。どれだけ魔力があっても意識的に観測できる未来には限度があるし、状況的に不幸な未来への対処が間に合わないことだってある。

 しかしそんな事情を全ての者が理解できるかといえば、答えは否だ。中には未来視のことを勝手に過大評価し、思った通りの未来が訪れなければ罵声を浴びせる者だっている。


(実際にそういう事が、十年以上前に起こった)


 領地で作り出した魔道具を他領に納品する際に、魔道具を載せた荷車が野盗の集団に襲われるという事件が起こったのだ。その事を突発的な未来視で観測した父が急いで対処したことで野盗は退治されたが、奪われた魔道具は既に横流しされてしまい、結果として勅使河原家は大きな損害を受けると同時に、信頼を失墜されるという事態に陥った。

 冷静に考えれば、この一件で責任を問われるべきは魔道具の搬送に携わっていた者たちであり、それに直接関与していなかった宮代家の責任は無いだろう。しかし周囲の人間……元々は卑しい下民でしかなかった宮代家をよく思わない一部の家臣たちの手によって、「宮代家がもっと早くに未来を予知していればこうはならなかった」という話を広めたのだ。


(今思い返しても言い掛かりも甚だしかったけど、当時の勅使河原領には本当にそういう風潮が流れた)


 人間とは時に理屈だけではなく感情で動く生き物だ。被った被害の大きさから皆が責めるべき相手を求めていて、その矛先が悪意ある者によって宮代家に向けられてしまった。

 なまじ、末来視によって栄えてきた経歴があるのもいけなかった。「今までは未来視で危機を回避してきたのに、どうして今回は出来なかったんだ?」という話になり、幾ら未来視の限界を説明しても、誰一人として納得してくれないという事態に陥ったのである。

 そんな宮代家の……ひいては、薫の危機を救ってくれたのが、他の誰でもない惟冬だった。


(我が先祖……我が主君……!)


 当時はまだ五つを過ぎたばかりの子供だった惟冬が、事態を冷静に見極めて父である当主を説得し、本当に責任を負うべき相手は魔道具の搬送を担当していた者たちであり、領主である勅使河原家であるということを臣民たちに懇々と諭してくれた。 

 その上、宮代家を貶めようとした者たちにも罰を与え、今でも父を筆頭家老として取り立ててくれているばかりか、その娘である薫を近衛衆の筆頭として重宝してくれている。


(この恩義に報いなければ、私たち宮代家は二度と開祖にも若様にも顔向けできない……!)


 その為ならどんな手段でも使う。誰の手にだって縋る。どんな形でもいい、今度は自分たちが惟冬を助けるのだと、薫は自力では観測できない先の未来を事細かに観測する。


「お待たせいたしました、殿下! これより指示を出しますので、私と一緒に勅使河原領を脅かすあの雲をかき消してください! まずは南南東、距離は二十七里!」

「はいっ!」


 そう叫ぶと同時に、雪那と薫は同時に水属性魔術を発動し、言われた方角に向かって真っすぐに力を放出すると、空を覆っていた厚雲が一直線を描くように掻き消された。

 不気味な雲が裂けて、陽光が差し込むというある種の神聖さを感じさせるその光景に人々が圧倒される中、二人はそれに構わず魔術を発動し続ける。


「続いて北西! 距離は二十一里! このまま順番に、全ての雲をかき消します!」


 窮奇城の天守閣を起点とし、二人の水属性魔術が見る見る内に災いを引き起こす雲を散らしていく。

 今二人がしていることは単純だ。未来視で観測した、一番早くにダウンバーストが発生する場所から優先的に、水属性魔術でダウンバーストを起こす雲を散らしていく……ただそれだけ。

 以前、晴信が大太法師との戦いでしていたのと同じだ。妖魔の力で生み出されたといっても雲は雲、水の塊だ。だから水属性魔術で干渉が出来るし、ただ散らすだけなら複雑な術式は必要ない。ちなみにわざわざ高い場所へ上ったのは、その方がより正確に状況を確認できるし、雲に近い場所の方が魔術による干渉も比較的楽だからである。


(勿論、領地全体の天候を変えるほどの規模の魔術となると、必要な魔力量は絶大だけど……!)


 それも龍印を宿した雪那が傍に居れば解決する。

 まるで泡を指でなぞって拭うように、易々と絶望の雲を散らしていく二人。そうする事しばらく……雲を無理矢理動かすことが影響しているのか、領内に大雨を降らしながらも、空はどんどんと晴れていき――――。


「敵妖魔の攻撃、無力化完了しました……!」


 日の光が差し込む空を見上げながら、末来視で数十分後の空の様子を確認した薫は安堵の息を零す。

 空にはいまだに雲がところどころ残っているが、陽光と一緒にパラパラと狐雨を降らせるばかりで、轟々と唸りながら季節外れの雹を降らせていた不穏な空の面影もない。


「やりました、やりましたよ殿下! 私たちの勝利です! それもこれも、殿下のご助力があってのこと! 本当にありがとうございます!」

「いえ、そんな……元を辿れば、宮代殿が危機を察知して知らせてくれてたからこそです。むしろお礼を言うべきは、私の方でしょう……おかげで國久様も、この地に連れて来ていた全ての臣下たちも無事で済んだのです」


 控えめに微笑みながらそう言う雪那を見て、薫は思わず感心した。

 自分がどれだけの功績を残したのかを自覚しているのかしていないのかは分からないが、あくまでも謙虚に、それでいて自分の事よりも先に周囲の人々に降りかかる災いを退けられたことに安堵するその姿は、まさに大和撫子の鑑のようだ。


(おまけに美人で血筋も良い……若様にも、こういう婚約者が出来るといいなぁ)


 未来視で確認したところ、國久も惟冬も無事に烏天狗との戦いを切り抜けて帰ってくる未来が視えた。これであらゆる問題が一斉に片付いて別の事を考える余裕が出てきた薫は、漠然とそんな事を考えた。

 惟冬の妻となる女性となれば、これからはその人の事も主家の人間として仰ぐことになる。どうせなら雪那のように仕え甲斐のある女性が良い。


「……?」


 ……そんな事を考えていると、何故だか胸の奥が何だかモヤモヤした。惟冬の隣に見知らぬ女性が並んでいる……その女性の像が雪那という理想を知ることでより具体的になり、今までは何とも思わなかった来たるべき光景を想像して、薫は不可思議な不快感を覚えたのだ。


「とりあえず、何時までも屋根の上にいるわけにはいきませんし、そろそろ――――」


 モヤモヤの原因に見当が付かない中、とりあえず雪那を地面に降ろすために近づいたその時、不意に薫の目に未来の光景が映り込んだ。

 その未来では、雪那の背後から突如として現れた真っ黒な人影のようなものが雪那を両腕で拘束し、そのまま雪那を空高くへと連れ去ってしまって――――。


「雪那殿下っ!」


 薫は咄嗟に左腕で雪那を抱き寄せ、本当に現れた黒い人影に向かって薙刀を持つ右腕を振るう。身体強化魔術を併用した、切れ味の鋭い薙刀の一撃は黒い人影を両断した。

 

『オノレ……忌々シキ……アノ男ノ……!』


 切り捨てられた黒い人影は、瓦の上に崩れ落ちながら煙のように消えていなくなる。

 その散りざまに呟かれた悪意と怨嗟と憎悪に満ち溢れた声が、雪那と薫の耳に何時までの残っていた


――――――――――


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

ここでお知らせですが、2~3週間ほど所用の為投稿はお休みさせていただきます。読者の皆様には恐縮ですが、ご理解のほどをよろしくお願いします



 

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