全てを守るための魔術


 青々とした空が突然、今にも大雨が降りだしそうな曇り空に変わったことに命の危機を覚える……そんな人間は勅使河原領には殆ど存在しなかった。

 それもそのはず。幾ら妖魔の危機が身近にある世界とはいえ、自然を操るのは古来より偉大な龍の御業という価値観が根深い大和帝国で、空を覆う積乱雲が一体の妖魔による攻撃であるなどと考えられる人間は、実際に目の当たりにでもしなければ信じられるものは出ない。

 だからこそ、急激な天候の変化を見ても領民たちは「もうじき雨が降りそう」くらいの認識しかしておらず、それが幸いして大きな混乱が起こっていなかった。


「後もうちょっとで城まで着く……それまで頑張ってっ!」


 しかし、このままでは未曽有の大災害の直撃に等しい被害が勅使河原領に齎される……その事を知っている数少ない人間の一人である薫は、曇天の空が領地の全てを覆う中、自らが乗っている馬を励ましながら、平野を爆走する。

 馬具型の魔道具で身を固めて身体強化された馬が出すスピードは、土蜘蛛のような走ることが得意な大型妖魔からも逃げ切れるほどだ。そんなスピードを維持したまま、薫は城下町の大通りに突入して窮奇城へと向かう。


「あれは……宮代様? 一体どうされたのです!?」

「緊急事態よ! 悪いけど門を開けてもらう時間はないから、このまま通させてもらうわ!」


 凄まじい速さで馬を駆り、猛然と突き進む薫に戸惑う領民や門番を尻目に、薫は手綱を操って馬を城壁を飛び越えるほど高々と跳躍させる。

 そのまま窮奇城の敷地内に着地した薫は、馬上から落ちそうになりながらも何とか体勢を整え、雪那が居るであろう迎賓館へと向かう。

 城内を馬で駆け回るなど本来なら褒められたことではないが、今はそうも言っていられない……お咎めは後で必ず受けるつもりで馬を走らせると、目当ての人物は二人の女性を伴い、不安げな表情で空を見上げていた。


「宮代殿……? 一体どうなされたのですか?」

「馬上より失礼いたします、雪那殿下! 至急、お伝えしたいことがあり、馳せ参じました!」


 蹄の音に気が付いたのか、驚いた表情を浮かべた雪那は、馬から降りる暇もない様子の薫に異常事態が起こったことを察して、集まってきた城内の人間たちと、後ろに控えていた二人の女性である宮子と秋葉に視線を配る。


「宮子、人払いをお願いできますか? 落ち着いて話せる場が欲しい」

「了解しましたっ!」


 宮子を人払いに向かわせると、雪那は薫に三歩ほど近づきながら周囲の人間には聞こえないよう小さく、それでいてすぐ傍の人間には聞こえるような大きさの、落ち着いた口調で問いかける。


「貴女のその慌てようには、この空と何か関係があるのですか?」

「はい……! 時間が無いので手短に説明させていただきますが……」

 

 薫は興奮と緊張で激しくなる動悸を抑えながら、これまでに起こった事の詳細の要点だけを冷静に、それでいて分かりやすく説明する。


「そうですか……國久様が、私に力の限り・・・・協力してほしいと……そう仰ったのですね」


 事情を聞いた雪那は、前で組んだ両手にギュッと力を込めながら、噛み締めるように呟く。

 そしてその数秒後、穏やかさはそのままに、どこか覚悟を決めたような目で薫を見据える。


「宮代殿、何も聞かずに手を握らせてもらってもよろしいですか?」

「え、えぇ……承知いたしました」


 その事に戸惑いを覚えつつも、薫は馬から飛び降りて片手を差し出す。その手を雪那が握った瞬間、度重なる未来視と身体強化魔術によって枯渇していたはずの魔力が、溢れ出さんばかりの勢いで急速に回復したのだ。

 自身の許容量を超えてもなお止まらない、正真正銘無尽蔵と言える魔力供給を受けた薫は目を白黒させながらも、この常軌を逸した魔力量の正体が、皇族に語り継がれる特殊な能力である事に気付く。


「せ、雪那殿下……貴女はもしや龍印を……!?」

「……本来なら、この事は限られた者にしか教えるつもりはありませんでした。しかし、他の誰でもない國久様が私の助けを求めているのなら、知られることに否やはありません」


 そうは言っても、龍印は間違いなく華衆院家の秘中の秘であり、それを知る人間を増やすというのは、とんでもなく危険な行為だ。例え同盟を結んだ家の人間であってもそれは同じこと……ましてや薫は当主でも何でもない、一介の家臣でしかないのだ。

 しかも薫はあくまでも当主の護衛であり、情報戦が得意という訳でもない。そんな立場の人間に、龍印の事を明かしてもいいのかと視線で訴えかけると、雪那は強い意志を宿した目で見つめ返してきた。


「……西園寺家の次期当主、晴信殿の時もそうでしたが、どういう訳か國久様は会って間もないはずの惟冬殿の事をとても深く信頼しておられる様子です」


 自分なりに國久の事を深く理解しようとしてきたからこそ分かるが、國久は決して愚直に人を信頼するような人間ではない。まずは相手を慎重に見極めながら、信頼関係を築くことから始めようとする。

 そんな國久が、何故か晴信や惟冬とはすぐに信頼関係を築いた。二人と腹を割って話すことで何か感じるものでもあったのか、國久たちの間に感じる特別な絆のようなものには、思わず嫉妬を抱いてしまいそうなほどだ。


「お二人の間に何があったのかは聞いていません。ですが、私は國久様の事を信じています。そして國久様が信じる惟冬殿と、その惟冬殿に確かな忠義を示す宮代殿の事を信じようと、そう思ったのです。次期当主の婚約者としては浅慮な決断であるとは思いますが……貴女は主君の信頼を貶めるようなことをする人ではないでしょう?」


 雪那の言葉を聞いた薫は、卑怯な言い回しだと率直に思った。思いっきり図星だったし、そんな風に言われたら口外することも出来ない。利益だけを求めて龍印の事を口にし、結果として惟冬の評価を貶めることは、薫には死んでも出来ないことだ。

 もしかしたら、そんな薫の心情を國久にも見抜かれていたのかもしれない。だから雪那に力を借りるように言ったのだとすれば納得もいく。


「貴女が主君の為に領地と民草を守りたいと思っているのと同じように、私は今も戦っている國久様をお支えしたい……その為に協力してくれませんか?」

「……承知いたしました。殿下、どうかお力をお借りいたします!」


 二人の意思が完全に一致すると同時に、薫は無尽蔵に供給された魔力を使ってより正確な未来を観測し、雪那は秋葉の方に振り返る。


「秋葉、西園寺領での時と同じように、龍印と月龍の力があれば、空から降り注ぐ妖魔の攻撃から勅使河原領を守ることは出来ると思いますか?」

「……難しいかもしれません。確かに雪那様が月龍を使えば広範囲にわたって強固な結界を張ることは可能ですが、それも完全無欠の絶対防御ではありません」


 確かに魔力は無限であるため、勅使河原領全域を覆う結界を張ろうと思えば張れる。しかし月龍の性能にも限界があり、町やその辺り一帯を覆う程度の規模ならばともかく、領地全てを守るための超広範囲の結界を張るには時間がかかるのだ。


「四半刻もあれば領地全体を覆う結界を張ることも出来るでしょうが……」

「それでは間に合いません……攻撃は六百と三十二秒後には始まります」


 末来視によって攻撃が開始される正確な時刻を知った薫は深刻そうな表情で告げる。

 空を見上げて耳を澄ませてみれば、轟々と大気が唸るような音まで聞こえてきた。風も異様に強くなってきたし、領民たちも浮かんでいる雲が異常であることに感付き始めただろう。


「未来視ではあの雲から、領地中に村を吹き飛ばすほどの風が何度も何度も叩きつけられるのですが、攻撃される場所や正確な時刻がバラバラで法則性を感じられません。完全な無差別攻撃のようなのです」

「それは……」


 これには雪那も苦々しい表情を浮かべる。仮に妖魔の攻撃に順番があり、雪那たちがいる窮奇城から順に外に向かって攻撃されるというのなら、月龍による結界の展開も間に合ったかもしれない。しかし攻撃される地点と時間がバラバラとなると、防御結界で守れる範囲に限りがある。

 そうなると、領地運営の主要となる町村を優先して結界を張り、それ以外は見捨てるという選択肢も視野に入れなくてはならない。惟冬が不在の今、筆頭家老である薫の父に早急に話を通して、優先して守るべき町の選別をするべきかと、雪那たちが苦渋の決断を下そうとした時、秋葉がそっと片手を挙げる。


「あのぉ……要するに、結果的に被害が無ければ何でもいいんですよね? で、その攻撃はあの雲から放たれるという事で、問題ないですか?」

「は、はい。それが出来るなら手段は問いませんが……」

「なるほど……それじゃあ、どうにかなると思います」


 あっけらかんと言ってのける秋葉に雪那と薫は思わず瞠目する。この未曽有の危機をどうにか出来る秘策でもあるのかと。


「別に結界で攻撃を防ぐことに固執する必要が無いなら、どうとでもなりそうです。とりあえず雪那様には今から私が教える術式で魔術を発動してもらっても良いですか? そこに末来視の援護があれば、上手くいけば被害を零に抑えられる……かも?」 



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