閑話休題・天龍院雪那の悶々


 迎賓館へ向かう道中、雪那は目の前を歩く薫の後姿を見ながら、先ほどの事を考えていた。


(あの様子を見る限り、惟冬殿の言葉に嘘偽りは感じられなかった)


 これまでの交流と言えば世間話程度しかしていないので、雪那は惟冬の事を殆どよく知らないが、薫に向けた視線の熱も、悪気無く袖にされた時の落胆ぶりも、どれも本心からのものに感じられた。むしろあの様子が全て演技だとすれば、とんでもない役者である


(どうやら惟冬殿は本気で彼女を娶りたいと思っているのでしょうが……彼女自身は、惟冬殿の事をどう思っているのでしょう?)


 雪那は基本的に、他人の込み入った事情に土足で踏み込むような真似をする人間ではない。誰にでも、触れられてほしくない部分というのが存在するのは、龍印という大和帝国の情勢を揺るがしかねない力を隠している雪那が、誰よりも理解しているからだ。

 しかし、そんな雪那でも興味が惹かれる事柄が存在する。ズバリ、他人の恋愛事情だ。


(他人様の色恋沙汰に踏み込むなど、それこそ下世話な事ではあるのですが……今の私には、それを抑えるのにも一苦労です)


 何しろ、雪那は今まさに自分の色恋沙汰で悩んでいる立場なのである。

 勇気を振り絞り、國久と正式に想いを通じ合わせてしばらく経つが、それ以降進展らしい進展は無かった。他の誰でもない、雪那の心の準備が出来ないからだ。

 

(このままではいけないとは思うのですが……恥ずかしいものは恥ずかしいですし……!)


 正直に言って、ちゃんとした両想いになったところまでが雪那の限界だった。

 周囲の女性から話を聞く限りだと、世の恋人同士というのは当たり前のように手と手を繋ぎ合い、二人っきりになれば唇を合わせ、夜になればしとねで陸み合うのだという。そしてそんな状況を、自分と國久に当てはめて想像すればどうなるか……。


(……し、心臓がもつ気がしません……!)


 手を繋ぐだけでも精一杯だというのに、接吻などすることを想像すればそれだけで心臓が爆発してしまいそうだし、さらにその先の事をするとなれば、全身の体温が上がり過ぎて茹で死んでしまうかもしれない。


(というかど、同衾って……そういうことは、夫婦が子を成す時だけにするものだと思っていたのですが……!?)


 結婚前から裸を見せ合うような関係など、皇族として生まれ、大貴族の跡取りの婚約者として教育を受けてきた雪那からすれば信じられない事だ。

 端的にいえば、とても破廉恥な事である。はっきり言って、いざ國久と正式に夫婦になったとして、手を繋ぐ以上の関係に進める気が全くしない。

 しかしそんな雪那にとっての常識とは裏腹に、婚前から肉体関係を持つのは別に珍しい事ではないという。少なくとも、平民である宮子や奈津からすれば割と普通なのだとか。


(貴族と平民とでは価値観が違うのでしょうか? それともこんな風に考えているのは私だけ……?)


 少なくとも、これまで受けてきた貞操観念に関する教えが嘘であるとは思えない。しかし、その一方で性に関して大らかな男女付き合いがあるというのも事実。人によって考え方が異なるこの議題には、雪那も混乱しっぱなしである。


(でも……國久様も、そういう事をしたかったりするんでしょうか……?)


 元から愛情表現が直球だった國久だが、大奉納祭の夜以降、その態度は更に熱烈なものとなった。

 今までは肉体的な接触と言えば手を繋ぐ程度だったというのに、抱きしめられたり膝の上に乗せられたりと、雪那の許容上限を超えて頭が真っ白になるような恥ずかしい事を頻繁にしてくるようになったのだ。

  

(それは別にいいんです……恥ずかしいけれど、嬉しくもありますし)


 だが逆に言えば、それ以上の事を國久から未だに求められていなかった。その理由も、雪那には察しが付いている。


(私に合わせてくれているから……ですよね)


 國久は出会ってから今日まで、雪那が本気で嫌がることだけはしてこなかった。だから色恋沙汰の進展に関して臆病な雪那の心の準備が整うのを気長に待ってくれているのだと理解できる。

 

(ですが初めて会った時から國久様には良くして貰ってばかりで、私から國久様の為に何かをしてあげられることは滅多にありません。今の私が自由にできる金銭や権限の殆どが、衆院家次期当主の婚約者だからこそのものですし、物品などで國久様へ気持ちを伝えるのも何か違うように思えます)


 ならば、この体一つで出来ることをするというのは一つの正解なのではと、雪那は考える。

 若い男ともなると情事に関する欲求は相当強いと宮子たちから聞かされているし、國久の為に出来ることがあるのなら、婚前交渉に踏み切る必要性もあるかもしれない。


(ですが正直に言って出来る気がしませんし、何よりこの決断が見当違いなものだとすれば、私はとんでもなくふしだらな女という事に……!)


 もう完全に底なし沼に両足を突っ込んだかのような、答えが全然出てこない悩みに陥った雪那。

 國久との恋愛はいつもこんな感じだ。自信を持てる答えというのが出てこない。だからこそ、こういう時にどうすればいいのか……他の女性はどうしているのかという事例が知りたくて、雪那は他人の恋愛事情に興味を抱くのだ。

 向こうからしたら溜まったものではないだろうが、欲求が湧くことだけはどうしても抑えられない。


「雪那殿下」

「ひゃ、ひゃいっ!?」


 そんな風に悶々としていると、不意にこちらを振り返った薫が雪那の名前を呼ぶ。それに対して嚙みながらも慌てて返事をすると、薫は深々と頭を下げた。


「先ほどは若様が妙な冗談を口走ってしまい、申し訳ありません。我が主君に代わって、謝罪いたします」

「い、いえそんな……どうかお気になさらないでください。私は全く不快に思っていませんし……というか、あれは本当に冗談だったのでしょうか?」

「えぇ、間違いなく冗談です。これでも若様とは幼少の頃からの付き合いですから、間違いありません」


 やけに自信満々といった様子で断言する薫。


「殿下もご存知かも知れませんが、我が主である惟冬様には今現在、婚約者がいらっしゃりません。どうも若様は魔道具技術や領地の発展にかまけて、婚約者を作ることを面倒くさがっておられるようなのです。その事を家臣一同気にかけて昔から進言しているのですが、若様ったらその話が出る度に私を婚約者にして家臣たちの追及を止めようとして……最早あれは口癖みたいなものなので、どうか殿下もお気になさらずに」

「はぁ……そうなのですか?」


 つまり薫は、惟冬が何時まで経っても婚約者を作ろうとしないのは、仕事で忙しい時にポッと出の女にかまけている時間はないからで、適当な身近な女性である薫を婚約者扱いしているという事だが、あの惟冬の様子を見る限り、雪那にはとてもそういう風には思えない。


「勿論、いずれはきちんとした貴族の出のお嬢様を娶る必要があるという事は本人も理解しておいでなのでしょうが、今は次期当主としての務めに集中していたいのでしょうね。だからと言って、たかが陪臣ばいしんの娘を娶ろうなど冗談が過ぎるのですが……若様の結婚願望の無さにも困ったものです」

「……他家の婚約事情に嘴を挟むつもりはありませんが、宮代家のほどの家格があれば、勅使河原家次期当主の正室になることに不備は無いのでは?」


 そう言いながら、雪那は脳裏に燐の姿を思い浮かべる。

 燐と薫、家臣の身で次期当主から想いを寄せられているという点で共通している二人だが、世間一般的に卑しい身分とされている忍者の燐とは違い、領内限定ではあるが何世代にも渡って勅使河原家を支え、豪族という準貴族に分類される地位を得た宮代家の娘なら、多少格は落ちるが貴族の正室に迎えるには十分な身分だ。


(それに宮代家と言えば大和帝国全体から見ても特殊な家系で、一代に一人は極めて特異な魔術を仕えると聞いたことがあります)


 そんな魔術の今代の使い手が、他の誰でもない薫なのだ。

 領内の結束を強めることにも繋がるし、惟冬と薫の結婚は政略的な意味でも決して悪くはないと思うのだが、当の薫はあっけらかんと答える。


「そうは仰いますけど、普通に考えて貴族の方を娶った方が勅使河原家の為になりますし」

「まぁ……確かにその通りですが。では貴女はどのような方が惟冬殿の婚約者に相応しいと考えているのですか?」

「うぅん……家臣の身で主君の婚約者に条件を付けるような真似は無礼ではあるのですが、強いて言うなら……」


 薫は両眼を閉じて少しの間悩み、そして口を開いた。


「まず名門である勅使河原家と家格が釣り合っているのが大前提として、目を瞠るような美貌の持ち主であり、武術と魔術の腕前が優れ、誰にでも好かれる人格者で、家事全般の腕前も達者。更には知識や教養が豊かであり、礼儀作法は完璧。あと外国語を修めているのも必須ですね。国内外の情勢にも明るく、それでいて惟冬様の代役が務まるよう、領地運営の手腕にも優れていて、大勢の臣民を従える威厳も備えている……というのが最低条件でしょうか?」


 それを聞き終わった雪那は思った……そんな完璧超人、どこに居るのかと。


「それは何と言いますか……惟冬殿の婚約者を探すのも苦労しそうですね」

「え? そう……でしょうか? 我らが敬愛する若様の隣に立つなら、このくらいの条件は満たしてもらわないと困るのですが」


 さも当然のように無理難題な条件を大真面目に言ってのける薫に、雪那は顔を引き攣らせる。

 惟冬が結婚する気が無くて嘆いている薫だが、実は薫の方こそ惟冬を結婚させる気が無いのではないかと疑いたくなる鬼畜条件だ。


「……ですが、貴女方にとって惟冬殿はそれほどまでに尊敬できる主君という事なのでしょうか? 城下町を視察する時も、惟冬殿の良い評判はよく耳にしましたし」

「はい! それはもう!」


 よくぞ聞いてくださいましたと言わんばかりに、薫は表情を輝かせた。


「我らが主、勅使河原惟冬様は文武に優れているだけでなく、魔道具職人としても大変優れたお方で、ほぼ改良の余地なしとまで言われた既存の魔道具に革新的な改良を施し、品質の向上させつつも、より低予算でより大量に生産させて勅使河原家を発展に導くことに成功した功績はあまりにも有名。それでいて驕ったところもなく、臣民には誰に対しても心を砕いて行動をしてくださる、まさに命を賭してお仕えするに値するお方なのです! しかもそれだけに留まらず、惟冬様は戦う力に乏しい大多数の一般人でも妖魔に対抗できる最新型魔道具の開発に成功していて――――」


 惟冬の事が褒められて嬉しいのか、途端に饒舌になって息継ぎもせずに怒涛の勢いで語り始める薫に雪那は思わず圧倒される。 


「――――というわけで、昔から思っていたんです! 若様は絶対に歴史に残る名君になるお方だって! その証明に勅使河原領は若様の功績で発展しましたし、今回のように他の大貴族とも縁を結ぶことも出来た。昔は私よりも小さかった若様のご活躍には、かつての世話係としても大変感慨深いもので…………あ……も、申し訳ありません。私ったら、若様の事になるとつい熱が入り過ぎてしまって……」

「……いいえ。私も興味深い話が聞けて楽しかったですよ」


 話の途中でふと正気に戻ったのか、恥じ入るように身を縮こませる薫を見て、雪那は微笑ましいものを眺めるような微笑みを浮かべた。

 

(……頑張ってください、惟冬殿)


 どうやら薫自身は色々と自覚が無いようだが、この様子を見る限りだと十分に脈はあるように思える。

 自分と同じく恋愛に四苦八苦している惟冬の事を想い、雪那は心の中で応援をするのであった。


 

――――――――――


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