御剣刀夜の懊悩
広大な庭園を有する黄龍城。そこからほど近い場所に位置する、天龍院美春が所有する屋敷は今、御剣刀夜たちが寝泊まりしている場所となっていた。
本来は城下町に下り、数日に渡って政務をこなす時などに使う屋敷だったのだが、異世界人である刀夜たちの住む場所に悩んだ美春が、そのまま貸し与えることにしたのである。
「ふっ! はぁっ!」
そんな屋敷の庭で、刀夜は練習用の刀を振るって形稽古に励んでいた。
長年続けてきただけあって、その太刀筋は素人目には達人のそれに映ることだろう。……しかし、見る人間が見れば、今の刀夜の太刀筋は精彩を欠くほどに迷いが透けて見えるはずだ。
他の誰でもない、刀夜自身がその事を自覚しているのだから。
「……はぁ……はぁ……くそっ」
荒くなった息を整えながら、刀夜は静かに悪態をつく。
黄龍城で華衆院國久と対面し、敗北してから、どれくらいの時間が経っただろうか?
あの卑怯な魔術を使って卑劣にも勝利を奪っていった國久の事が許せず、次に会った時こそ奴を打ち負かして、間違った婚約によって身柄を囚われている雪那を救うのだと、より一層激しい訓練に身を費やしていた刀夜だが、なかなか訓練に身に入らないのだ。
(……もしかして、スランプ?)
考えられる理由としてはそれだが、原因が分からない。
刀夜は精神的な変化が剣に出やすいタイプの人間で、負けた後とかはスランプに陥りやすいのだが、それでも時間が経てばスランプから脱することが出来た。実際に今までもそうやってスランプから脱け出してきたし、こうやって剣を振っていれば強くなることに集中できるはずだったのだ。
(なのに……何時まで経ってもモヤモヤした気持ちが晴れない……!)
刀夜は剣技の腕にまで影響を及ぼす悩みを晴らせずにいた。
やるべきことは分かっているのだ。國久が卑怯な力を使ってきても、今度こそ負けないくらいに強くなればいい。目標も手段も、刀夜にとっては明確なのだから迷うことなくそれに邁進すれば良いだけのはずなのだ。
だと言うのに、何かが心の中に引っ掛かる。
(負けたことがスランプの大きな原因じゃないとすれば…………心当たりが、一つだけある)
そんなことを考えていると、背後から人の気配が近づいてくるのを感じる。振り返ってみると、そこには美春の姿があった。
「お疲れ。今日も鍛錬に励んでいるみたいね」
「あ……あぁ。今度こそ華衆院國久に勝って、雪那を取り戻さないといけないからな! 安心してくれ美春。次こそは勝ってみせる……もうあんな卑劣な魔術を使ってくる奴なんかに負けはしない!」
「刀夜……えぇ、期待しているわ」
美少女から期待と好意に満ちた視線を向けられた刀夜は、自分の心が次第に軽くなっていくのを感じる。
華衆院國久からは逆恨み同然の侮蔑と軽蔑に満ちた視線を向けられていたが、本来自分に向けられるべき視線とはこういうものなのだと、刀夜は当然のように受け入れた。
(……幸香さんと菜穂さんの二人には、まだこういう視線を向けて貰えていないけど)
自分を褒め称えるどころか、何故か苦言を口にしてくる二人の美女の事を思い出して、刀夜は苦々しい気持ちが湧き上がってくるが、それをグッと堪える。
(二人は真面目で責任感がある大人だから、得体の知れない異世界から来た俺たちの事を、簡単に受け入れる訳にはいかないだけなんだ)
この世界に来てから、こんなにも訓練や戦いに身を捧げているのだ。きっと内心では自分の事を認めてくれているはずだし、いつか必ず、心置きなく自分の事を認めてくれるはず。そうなれば、あの大人の美女二人も、美春たちと同じように自分を褒め称えてくれる……そんな未来を想像すると、刀夜は胸に湧き上がっていた苦い気持ちがスッと消えていくのを自覚した。
「ねぇ、刀夜……よかったらこのまま、そこの寝室に行かない……? 私の為にこんなにも頑張ってくれている刀夜に、お礼がしたいの……」
そんな時、少し恥ずかしそうに頬を染めた美春が、柔らかで華奢な体を刀夜の腕に擦りつけながら、遠回しに同衾に誘う。
実を言うと、最近になってこういう機会が刀夜の元に舞い込むことが多くなった。文化や価値観の違いからか、刀夜の周りにいるこの世界の女性は、この手の事には積極的だし、義妹の朱里と幼馴染の真琴もそれに触発されて刀夜を同衾に誘ってくるのだ。
刀夜も男だ。見目麗しい少女たちに誘われれば悪い気はしないし、据え膳食わぬは男の恥と何度も思った。
「ご、ごめん。今日はちょっと疲れてるから、また今度な」
「……そう言って、いつも断るのね。私ってそんなに魅力が無いっていうの?」
「ち、違う! そんな訳ないじゃないか! 美春はとても魅力的な女の子だ!」
途端に機嫌を損ねる美春に、刀夜は慌てたように弁解する。
「ほ、ほら! 今の俺には、華衆院國久を倒すっていう、やるべきことがある! 今はそっちに集中したいというか……それに俺が急いで強くなれば、その分だけ雪那を早くに取り戻すことが出来るだろ? そうすれば美春だって雪那との時間を沢山作れるし……今はとにかく修行に専念したいんだ。分かってくれるよな?」
「…………そう、よね。ごめんなさい。刀夜は何時だって私達のために頑張ってくれているのに……」
「いいや、気にしないでくれ……美春の気持ちが嬉しいのは本当なんだから」
その後しばらくの間、他愛のない話をして帰っていった美春を見送り、その姿が見えなくなったところで、刀夜は盛大に溜息を吐いた。
「コレさえなければ、俺だって遠慮しなかったのに……!」
刀夜は忌々しそうに足元を……より正確に言えば、自分の股間を睨みつける。
以前、國久に戦いを挑んだ時にズボンのチャックを操られて股間を噛み千切られそうになるという大怪我を負った刀夜。朱里が持つ癒しの銅鏡、天魔鏡の力で怪我自体は無事に治ったのだが、男として股間を千切られそうになった経験は、想像を絶するトラウマを刀夜に植え付けた。
(まさか……折角怪我が治ったのに、勃たなくなってしまうなんて……!)
あの狂おしいほどの痛みを味わってからというもの、刀夜の股間はどんなに刺激されても快感を得られなくなってしまったのだ。
むしろ変に刺激を受けると、牙のように変形したチャックが股間の皮膚を食い破る痛みを思い出してしまい、逆に縮み上がってしまう。
端的にいえば、刀夜は若く健全な男でありながらED……勃起不全になってしまったのだ。
(それどころか……何だか最近、アレのサイズが小さくなってきたような……)
正直に言って、この事こそが最近のスランプの原因としか思えない。
健全な男として沽券を著しく損ねてしまっているのだから、刀夜がそう思うのも仕方のない話だ。
(くっ……! 華衆院國久め……! さては卑劣にも、俺に卑怯な魔術か何かで呪いをかけたな!?)
そう考えると、ここしばらくの絶不調に対して説明が付く。
剣技がスランプに陥ってしまったことも、EDになってしまったことも、ここしばらくの間、女性たちからの熱い視線が無くなったように感じるのも、全て國久が悪いと思うと、少なくとも刀夜の中では納得がいくのだ。
(華衆院國久って奴は、本当に男の風上にも置けない奴だ! 本来平等であるべき人を差別して、血の繋がった家族である茉奈を苦しめ、金の力で無理矢理女の子を自分のものにして、俺をこんな目に遭わせるなんて、絶対に許せないっ!)
改めて國久の言動を思い返し、刀夜は憎悪を滾らせる。
(しかもそれだけじゃない、あいつは領主を殺そうとしたとか、貴族として当然のことをとか、大袈裟に騒ぎ立てて、何らかの卑怯な手段を使って美春を謹慎にまで追い込んだ!)
刀夜は別に國久を殺そうなんて考えていなかった。ただ物の道理を分かっていない悪漢を懲らしめてやろうと思っただけ。それを大袈裟に捉えるなんて、刀夜からすれば実に男らしくない行為だ。
しかし権力だけは持っていた國久がこの顛末を大袈裟に吹聴したせいで美春は謹慎。そのせいで自分にも美春にも何の非もないというのに、周囲の人間から悪く言われるようになってしまった。こんなことを許せるはずがない。
(そもそもあの決闘だって、卑怯な魔術を使ってこなければ俺が勝っていたはずなんだ! このままじゃ絶対に終わらないぞ、華衆院國久……!)
思い出したら全身が熱くなるくらいの怒りが湧き上がってきた。この熱量をそのまま鍛錬に費やしてやろうと、形稽古を再開しようとしたその時、一人の兵士が屋敷の庭に駆け込んできた。
「突然の訪問、失礼いたします! 皇太女殿下の客将、御剣刀夜殿とお見受けいたします!」
「な……一体どうしたんだ? 何か事件が起こったのか?」
「正しくその通り! 首都近辺に大型妖魔、土蜘蛛が現れました! 今現在、巡回をしていた部隊が応戦中ですので、刀夜殿も応援に向かってほしいと皇太女殿下より伝言を預かっております!」
「何だって!? 分かった! すぐに行く!」
報告を聞いた刀夜は、部屋で寛いでいた宝刀鬼切丸の化身である切子を伴って現場へと急行する。
敵は生きた災害とまで称される妖魔、土蜘蛛。今こうしている間にも応戦している兵士たちは一人、また一人と倒れているかもしれない。だから急いで応援に駆け付けなければ……良識を持った普通の兵士なら、このように思うだろう。
(華衆院國久は土蜘蛛っていう妖魔を倒したことで大袈裟なくらいに褒め称えられていた……だったらその土蜘蛛って奴を倒して、俺もやれば出来るんだってことを証明してやる! 聞けばアイツが十五歳の時に出来た事みたいだし、俺だって同じことが出来るさ!)
しかし刀夜の頭にはそんな考えは微塵も存在せず、ただ國久への対抗意識ばかりが先行していることに、当人は自覚すらしていなかった。
=====
そして現場に駆け付けた刀夜は、土蜘蛛と応戦する部隊を見つける。
今の彼らは生み出された分身体を処理しつつ、土蜘蛛本体を十数人もの魔術師が生み出した魔力の鎖で何とか拘束することで拮抗状態を維持しているが、それは兵力不足による苦渋の選択……兵士たちの魔力が切れるまでの時間稼ぎにしかならないという事は、火を見るよりも明らかだった。
「今助太刀に来たぞ!」
「あ、あんたは確か、皇太女殿下の客将をしてるっていう……!」
刀夜は周囲で暴れる分身体を鬼切丸で数体ほど切り裂きながら、兵士たちの中でも指揮官相当の位の者だけが纏う事を許された鎧を着ている、無精髭を生やした中年の男に声をかける。どうやらこの男が部隊長であり、反応から察するに向こうも刀夜の事を知っているらしい。
「確かあんたが持っている刀は、魔力に由来するものなら何でも切っちまうんだよな? だったら丁度いい、土蜘蛛が生み出した分身をその刀で片っ端から処分していってくれ! 奴の分身は魔力で作り出されたものだから、その刀が有効なはず! 本体は拘束しているし、このまま時間を稼げば――――」
「そんなまだるっこしい事をしなくても大丈夫だ……俺が絶対、奴を倒してみせる!」
部隊長の言葉を遮り、刀夜は土蜘蛛本体の方へと向き直る。
「お、おいっ!? あんた何をする気だ!?」
『えぇい、さっきからやかましい奴じゃのぅ。あの程度の妖魔、妾と主様の力があれば鎧袖一触じゃ。黙ってそこで見ておれ』
「ば、馬鹿野郎! 止まれ! 止まれぇえええええええっ!!」
刀の姿になった切子の言葉に背を押されるように、部隊長の叫びを無視して走り出した刀夜。
この土蜘蛛は國久の名声を象徴する妖魔だ。そんな敵を前にして引き下がるという選択肢はないと言わんばかりに、刀夜は土蜘蛛を拘束する魔力の鎖を断ち切りながら、鬼切丸の刀身を土蜘蛛の太く大きな足に叩きつけた。
その一撃は確かに土蜘蛛を傷つけることに成功し、緑色の血が噴き出るのを見て、刀夜は思わず口角を上げるが……その喜びは長くは続かなかった。
「キョキョキョキョキョッ!!」
土蜘蛛は本当にギリギリのところで拘束されていたのだ。だというのに、他ならぬ刀夜が土蜘蛛を縛っていた魔力の鎖を切り裂いたことで均衡が崩れてしまった。
幾分か動きの自由を取り戻した土蜘蛛は奇怪な鳴き声を上げながら全力で暴れまわり、残りの魔力の鎖を引き千切り、刀夜は周りの兵士たちごと、土蜘蛛の八本の脚で蹴り飛ばされる。
「ぐああああああああああああああああっ!?」
幾ら魔力由来の力を切り裂く鬼切丸があり、古流武術を極めた刀夜であったとしても、全長十メートルを超えるような、実体を持つ巨大な怪物の前では蟻も同然。例えるなら、自動車に撥ねられたかのような衝撃を全身に受けた刀夜は鬼切丸を手放し、無様に地面に転がった。
「あが……が……っ!」
『主様!? しっかりするのじゃ、主様!』
幸い骨は折れていないようだが、あまりの痛みに身動き一つとれない刀夜。もはや戦況は逆転できないほど不利な状況に追い込まれてしまい、誰もが絶望した……その時。
「【明王身・武御雷】」
突如として現れた巨大な水の明王が、雷を束ねて作ったような剣を土蜘蛛に突き刺し、そのままあっさりと土蜘蛛を感電死させる。その事に唯々呆然としていると、颯爽と馬を駆る一人の男が現れた。
「土蜘蛛が現れたという知らせを受けて駆け付けたが……どうやら死傷者は居ないようで安心したぞ」
その男は、艶やかな黒い長髪と怜悧な切れ長の瞳が特徴的な、同性である刀夜も目を瞠るような絶世の美男子だった。人並外れた美貌という点においては、國久にも通じるところがある。
何とも言えない気持ちになって地べたに這いつくばりながら見上げていると、部隊長がその男に近づいていった。
「その出で立ちに、今しがたの魔術……失礼ですが、もしや貴方様は西園寺家の跡取りという……!」
「如何にも。俺が西園寺家次期当主、西園寺晴信だ。先の大奉納祭で起こったことを陛下に報告しに来たのだが……どうやら巡り合わせが良かったらしい。死人が出る前に対処出来て安心したぞ」
「おぉ、やはり! 助太刀いただき感謝いたします! おかげで俺も部下たちも、誰一人死なずに済みました!」
「気にするな。妖魔と戦い臣民を守るのは、大和帝国の貴族として当然の義務だ。それは治める領地が違えど変わらない」
感動したと言わんばかりの表情で礼を述べる部隊長に対し、晴信はどこまでも冷静に答える。
「す、すげぇ……! 俺たち全員掛かりで抑えるのがやっとだった土蜘蛛を一撃で倒しちまった……!」
「あれが噂に聞く西園寺晴信様の実力か……!」
「た、助かった……一時はどうなるかと思ったけど、これも全部あのお方のおかげだな……」
他の兵士たちも晴信の実力を称え、命を助けられたことへの感謝を口にしていた。
……本来なら、刀夜も彼らと同じように、晴信への感謝を告げるべきである。窮地に追い込まれたところを助けられたのだから、晴信に対して恩義を感じるのが普通だ。刀夜自身、頭ではその事を理解している。
しかし……この時の刀夜の胸中は、当の本人にもなぜ抱いたのか理解できない、晴信への敵愾心で一杯になっていた。
――――――――――
やたらと長くなったので、刀夜回は前後編に分けます
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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