転生者疑惑の悪役。そして閑話休題


 西園寺家からの使者との謁見を済ませ、当主の部屋へと引き籠った俺と雪那、重文の三人は届けられた書状を囲んでいた。

 議題はずばり、この手紙の内容に関してだ。


「馬鈴薯と油に関する取引と、両家の今後の親交に関する誘いですか」


 西園寺家次期当主、晴信からの手紙の内容は実にありきたりなものだ。

 ジャガイモの種芋と栽培方法を熟知する人間の派遣、それに伴って流行となっているフライドポテトの材料に必要な油や塩の取引内容の変更がしたい。対価は勿論用意している。そしてこれを機に両家の次期当主同士で会見を行い、より強い親交を結べたら幸い……貴族の間ではよく見られる、流通や商談に関する提案だ。


「西園寺家……華衆院家と並ぶ帝国西部の大家ですね。馬鈴薯の普及具合を知って、真似をしたいといったところでしょうか?」

「そうかもしれませんな。内陸の領地ゆえに港こそありませんが、領土の広さや土地の肥沃さで言えば、華衆院家すら凌駕する国内最大の穀倉地帯です。海外から輸入された作物の栽培が成功したことを知って、その栽培方法ごと買い取りたいと言ってきてもおかしくはありません」


 大きな港があり、様々な人種や物が行き交い、石材で整備された街道がどこまでも伸びる、まさに都会といった様相の華衆院領とは異なり、西園寺領の風景は田畑が延々と広がり、山と森ばかりの田舎といった感じだが、決して貧しいというわけではない。

 それどころか大和帝国最大の牧場を持つ大地主で、その生産量は国内各地に食材を輸出してもなお余るほど。農作物だけじゃなくて牛、豚、鳥といった家畜も手広く育てているし、町が発展しているように見えないから力のない領地だというのは大間違いだ。


(内陸の領地だから、塩や輸入品の取引は昔からしてたんだよな)


 そして西園寺家からは米や小麦といった、国民全体が毎日大量消費する作物を取引させてもらっていたというわけだ。隣接しているわけじゃないが、西園寺領は華衆院領から比較的近い距離にあるし、華衆院家の特産物は、塩を除けばどちらかというと嗜好品寄りの物が多く、米や小麦にはそこまで力を入れていないからな。割とWINWINな関係を築かせてもらってる。


「……それで向こうが対価として提示してきた条件が、米や小麦の五年間の割引か」

「……破格ですな。引き受けない理由はないように思いますが」


 地球の方じゃどうか分からないし、たかが五年と思うかもしれないが、少なくともジャガイモ一つでこの条件は、この世界では十分破格だ。


「しかも会見には、雪那の事も招待してて、ぜひ挨拶がしたいみたいだな」

「……私としては、それが一番気がかりですね」


 忌み子と疎まれる雪那は、領地の外で行われる交渉や外交の席に出ることを自粛している。それは華衆院家に嫁ぐことが決まってから今日にかけて国中で認知されてきた暗黙の了解みたいになりつつあったんだが、西園寺晴信はその上で雪那の事を招待しているわけだ。


「俺と本気で親交を深めるために、雪那に対しても礼を尽くそうっていうんなら、その目論見は大成功だな」

「あぅ……く、國久様」


 大真面目に呟いた俺の言葉に、雪那の頬が朱色に染まる。

 これまで雪那の事を侮ってかかり、俺との交渉でもそれを隠さない奴が多かっただけに、雪那の事も尊重するようなことが書かれていた手紙の内容を見て、俺は既に絆され気味である。

 この書状を届けに来た使者も常に礼節をわきまえ、慇懃とした態度を貫いていたし、西園寺家は決してこちらを侮るつもりはなく、取引で出し渋りはしないということだろう。


「西園寺家の本命は、馬鈴薯では無いのではないでしょうか? 國久様が首都で美春たちと起こした騒ぎは、国内中に知れ渡ってしまいましたし……」


 そう言って、雪那は悲しげに眉尻を下げる。どのような経緯があったとしても、かつて親しくしていた腹違いの妹が評判を下げている事を嘆いているんだろう。

 美春たちの評判が下がったのには俺も関わってはいるが、原因は美春たちにあることは雪那も理解しているらしく、その件について何か言及してくることはなかった。


「皇族の求心力の低下と、先の美春の一件……帝国の未来に不安を抱いているのはどこの領主も同じです。華衆院家と同じように、情勢の乱れに備えて協力者を求めているのでは?」

「私も雪那様と同意見で、馬鈴薯はあくまで表向きの理由。本命は華衆院家との密約にあると存じます。両家は昔から交流がありましたし、有事の際に手を結ぶ相手として適切だと判断されて不思議ではないかと」

「それに関しては俺も二人と同じことを思っている。何せ向こうは、次期当主同士の会見を望んでいるんだからな」


 領主っていうのは多忙で、主な移動手段が馬である今の時代、おいそれと自分の領地を留守にすることができない。今回のような物流に関するやり取りにしても、外交官を通して行うのが普通で、わざわざ領主同士が顔を合わせて話し合うことは少ないのだ。

 次期領主という立場ならある程度身軽なんだけど、華衆院家の場合、俺が当主代理も兼任してるからな。


「西園寺家当主、高時たかとき殿は……」

「……病が悪化し、ますます体力が低くなったとのことです。領民たちもここしばらくの間は姿も見ていないそうで、通常の公務はもはや難しい状態なのでしょう」


 数年前、西園寺家の当主であり、晴信の父である高時が病に倒れた。それからは俺と同じように、晴信が当主代理としての務めを果たすようになったと聞いている。つまり身軽な立場ではないということだ。

 そんな状況下で、西園寺晴信はわざわざ会見を申し出てきた。それなりの理由があると思うのが普通である。


「晴信殿はどのような人となりだったっけ?」

「直接面識はありませんので伝え聞いた話になりますが、冷徹冷静で落ち着きのある性格をした方であり、当主代理としての務めも実直に見事に果たしておられることから、臣民からの信頼も厚いとは聞いております」


 そこである。転生者として一番気がかりなのは、西園寺晴信という男に悪い噂が聞こえてこないということだ。

 普通なら全然悪いことじゃないし、これから交渉しようって相手が善政を敷く貴族っていうのは、むしろ良いことのはずなんだけどな。


(だが俺が知っている原作での西園寺晴信っていうのは、性格最悪の悪役貴族のはずなんだよな)


 原作における西園寺晴信は、冷血非情を絵に描いたような男で、権力を笠に着て私利私欲に走るのは当たり前、忌み子への偏見も酷いし、自分の欲望を満たすためなら殺しも略奪も詐欺も辞さないし、作中では父親である高時が邪魔になったから、病気になったのを良いことに暗殺したり、刀夜たちを苦しめるためだけに食料の流通をストップしたりと、原作版の國久とは比べ物にならないレベルの悪党だ。

 ぶっちっゃけ、先日首都で会った実際の刀夜の方がまだマシなくらいである。


(そんな極悪人街道まっしぐらのはずのキャラが臣民から慕われていて、原作開始時点でも父親である高時が生きている……この事実と原作知識の齟齬に理由があるとすれば)


 俺と同じく、西園寺晴信は転生者である可能性が否定できない。

 そんなことあり得るのかとも思うが、俺という前例がある以上、他にも転生者が存在していたというのも、可能性の一つとして考慮するべきだろう。


(そんな転生者疑惑のある奴が、俺に直接会いたいと言ってきた。この意味はでかいぞ)


 無論、警戒は必要だ。相手が転生者なら原作知識は一切通用しないものと思ってもいいから。

 しかし原作知識によって今後の展開を知って、俺に協力を求めてきたというのなら……会う価値は十二分にある。


「よし……会おう! 俺はこれから西園寺晴信殿との会見を進める。雪那と重文も、そのつもりで準備を進めていってくれ!」


 そう決断した俺はさっそく準備に取り掛かるために動き出す。

 仮に晴信が転生者でも何でもなくても、西園寺家はこれから訪れるであろう情勢を乗り切るために、また俺の目的を果たすために手を結ぶべき絶好の交渉相手。如何なる経緯があろうとも、原作と違って性格が良いというのなら、手を結ぶに越したことはないはずだ。


   =====


 それからしばらく経ち、西園寺晴信との会見とその日時が正式に決定した翌日。会見に招待され、その場に相応しい装いを用意することになった雪那は、侍女の宮子や護衛を伴って、華衆院家ご用達の呉服屋へ絹織物の着物を見繕いに行った。

 雪那が身に着ける服飾に関する事柄を一身で管理する宮子や呉服屋の店主の手によって、着せ替え人形の如く様々な着物を延々と着せられ続け、それがようやく終わって一段落した雪那と宮子は、茶屋で休憩することに。


「おぉ、いらっしゃいませ雪那様!」

「こんにちは、奈津。席は空いていますか?」

「えぇ勿論! いつもご贔屓ありがとうございます! ささ、どうぞこちらへ」


 雪那と同様に、すっかり大人の女性へと成長した奈津に先導された先にあったテーブルに、宮子と向かい合う形で座る。

 本来なら侍女と一緒に座って菓子を食べるなど、貴人としてはあまり褒められたことではないのかもしれないが、「公の場でなければ」と大目に見られているし、この五年で雪那たちもすっかり城下町では馴染みの人間だ。この程度で目くじらを立てるような人間は城下町にはいない。

 街を歩けば気軽に談笑する者も多いし、忌み子である自分が誰にも咎められる事なく、親友である侍女と一緒に甘い物に舌鼓を打つ時間は雪那の楽しみの一つだ。


「……ふぅ」


 そんな折角の一時に、雪那は少し重い溜息を吐く。


「どうしました姫様。流石に緊張していますか?」

「……そうですね。何せ私にとって、初めての外交になりますから。國久様の足を引っ張らないよう、気を引き締めて取り掛かりませんと」  


 相変わらず大真面目な雪那を見て、宮子は思わず苦笑する。

 親友にして主君である少女のこういうところが宮子は好きだが、今からそんな気を張っていたら倒れてしまいそうだ。ここは一つ、女らしい話題でも振って雪那の緊張を解してやろうと、宮子はニンマリと笑う。


「そうそう姫様。若様にはもう好きって言えたんですか?」

「ひえっ!?」

「あ、それ私も気になりますね」


 一瞬で顔が茹蛸のように赤くなる雪那。そんな場面に丁度良く注文の品の茶とカステラを持ってきた奈津は、手際よく茶菓子を机の上に並べながら口を開いた。


「雪那様と國久様って逢引きでうちの店を頻繁に使ってくれてますけど、色んな意味で積極的な國久様に対して、雪那様はまともに喋れないくらいタジタジって感じですからね。ちゃんと進展してるのか気になってたんですよ」

「な、奈津までそんな……! うぅう……っ」


 さっきまでの緊張はどこへ行ったのか、今にも溶けてしまいそうなくらい赤くなって俯く雪那を見て、宮子と奈津は進展していないことを察した。


「そんな調子じゃ何時までたっても進展がありませんよ? 若様の事、今ではちゃんと異性として好きなんでしょう?」

「………………はぃ」


 今にも消えてしまいそうな小さな声で返事をする雪那。

 三年前の土蜘蛛との戦いを機に、雪那は國久の事を異性として意識することになった。元々無自覚のまま好意を育んでいたところに、自分を守るために強大な妖魔に立ち向かう背中と、龍印が宿ったことで国中から狙われる未来を知った時に「皇族を敵に回してでも守る」と誓ってくれた熱い眼差しを見せつけられて、男女の情愛を自覚できないほど雪那も鈍感ではいられなかったのだ。


「國久様のあの調子を見る限り、あんまり心配はなさそうですけど……気を付けた方がいいですよ。男の中には何時まで経っても振り向かない女に見切りをつけたりするのも居ますからね」

「わ、分かってはいるのです……! いつまでも國久様のお気持ちに応えないわけにはいかないというのは……! で、ですがどうしても恥ずかしくて……!」

「見てる側からすればじれったくもありますけどねー。いっちょ抱き着いて少し雰囲気作れば、接吻まですぐに漕ぎ着けられそうな雰囲気出てますし」

「せっ……!? む、無理! 無理です! そんなことしたら、私の心臓が爆発してしまいます!」


 國久と口づけを交わす……そんな展開を想像してしまった雪那は首まで赤くしながらブンブンと首を左右に振る。

 雪那の控えめな性格や恥じらいの強さは、もはや生まれつきのものだ。これは簡単には直せないし、もっと積極的に生きられたなら雪那の人生は今とは違ったものになっていたことだろう。


(このままだと本当に進展がなさそうなんだよなぁ。何かあともう一押しあれば、姫様も一歩踏み出せそうではあるんだけど……)


 家臣団も「あの調子では世継ぎは何時になるのか」と零しているし、家のため、主君のため、そして何よりも親友の為にどうすればいいのか、宮子は湯気が出そうなくらい恥ずかしがっている雪那が無自覚に放つ惚気を浴びながら考えるのだった。


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