御剣刀夜という男
御剣刀夜の家は、代々古流武術を継承してきた武闘家の家系である。祖父母や両親がそうであったように、その家の後継ぎとして生まれた刀夜も子供の頃から武術を叩き込まれて暮らしてきた。
鍛錬の日々は苦しい事もあったが、刀夜は才能に恵まれていたし、尊敬する祖父母や両親、仲の良い義理の妹である御剣朱里、幼馴染の羽田真琴との交流もあって、自分の人生に何ら不満を抱いたことはない満たされた人生を送って生きてきた。
『いいか、刀夜。鍛錬で身に付けた力を男が振るう時は、女の子を守る時に使うんだ。その力で妹を守ってやるんだぞ』
そんな刀夜という人間の根底には、幼い頃から武術と一緒に教え込まれてきた「男は女を守るもの」という教えが刻み込まれていた。
男なら女を守って当然。男なら女を助けて当然。男なら女を庇って当然だと、そう思って生きてきた刀夜は、気が付けば同年代の格闘家の間では敵なしと呼ばれ、どんな悪漢からも女を守れるフェミニストになっていた。
(特に朱里や真琴は特に可愛いからな。すぐにガラの悪い奴らに目を付けられちゃうし、俺が傍で守ってやらないと)
そんな刀夜にとって、年の近い身近な少女たちは最優先で守ってやらなければならない存在だ。その為なら何だってできる……それこそ、ナンパしようとした男たちを追い払い、しつこいようなら叩きのめすことだって、躊躇いはない。男と女で扱いが違うのは当然の事だからと。
ちなみにそんな刀夜の姿を見た朱里と真琴の二人は、自分を守ってくれたというシチュエーションに恋心を見事に射抜かれて、刀夜に家族や幼馴染以上の感情を抱いているのだが、当の本人はそれに気付いていなかったりする。
(……でも、こうやって身に付けた力を使う機会って、あんまり無いんだよなぁ)
何せ刀夜たちが暮らしているのは、治安が良い平和な日本だ。大切な二人に近づいてくるガラの悪い男を叩きのめす事くらいにしか力の使い道がない。その事に刀夜は仄かな不満を抱いていたのだが、運命とは時として予想だにしない事態に人を巻き込んでいく。
簡単に言うと、刀夜は朱里と真琴の二人と一緒に異世界へと転移してしまったのだ。しかもその世界は昔の日本を思わせる文化を築きながらも、魔術が科学の代わりを務め、妖魔といった脅威が蔓延る、平和とは程遠い世界。そこに迷い込んだ刀夜たちは、当然のように妖魔から襲われることになった。
「グォオオオオオオオオオオオッ!!」
「きゃあああああああああっ!?」
「危ない、二人とも!」
受け入れがたい非現実的な現状に加え、襲い掛かってくる見たこともない
二人の美少女の命の危機を自分が救ってやっているというシチュエーションに、本人すらも気付かない内に気分を高揚させながら刀夜は勇ましく叫んだ。
「掛かってこい、化け物! 二人は俺が必ず守る!」
「と、刀夜お兄ちゃん……!」
「うぅ……! 今そんなこと考えてる場合じゃないのに、やっぱり刀夜ってカッコいい……!」
背中に注がれる好意や尊敬の視線を無自覚の内に心地よく感じながら、刀夜は妖魔たちと戦う。
そんな魔術も使わず、木の枝で怪物たちと互角以上の立ち回りに興味を抱いたのは、偶然にも増えてきた妖魔を掃討するために部隊を率いて刀夜たちの前に現れた、大和帝国皇太女、天龍院美春だった。
「魔術も使わずに妖魔と戦えるなんて、なかなか面白いわね。貴方、私の部下になりなさい!」
こうして美春との邂逅を果たし、この世界の事を知った刀夜たちは、美春の客将という形で働くことになった。
見知らぬ世界で生き抜く為に、衣食住を確保する為という理由も勿論ある。しかし刀夜にとっては、世界中のあちこちで人々が妖魔の脅威に脅かされているという事実に、心を燃やすものがあった。
(そうか……俺はこの世界で女の子たちを守る為に強くなったんだな!)
妖魔に襲われる女を自分が助けてあげる……そんな状況がこの先多くある事を知った刀夜は、使命感と、自分でもよく分からない感情で、刀夜自身も自覚しないまま興奮する。そうしてこの過酷な異世界で刀夜たちが生き抜く為に力を付けていく中で、様々な美少女と出会い、絆を育んでいった。
大和帝国の皇太女である美春は勿論のこと、美春の護衛兼侍女である
これまで自分が助け、自分を慕う美少女たちに囲まれ、満たされた気持ちを味わっていた刀夜。そんなある日、彼の耳にとある男の情報が飛び込んできた。
「土蜘蛛殺しの英雄? 何それ?」
「私もよく分からないよ。お城の侍女の人が「もうじき黄龍城までくるから目の保養になる」って噂してたのを聞いただけだし……」
「切子は何か知ってるか?」
黄龍城の一角にある、皇太女の為に立てられた奥御殿の一室。そこで朱里や真琴と世間話をしている時に真琴が口にした噂話に、刀夜は眉を顰めながら近くで茶を飲んでいた、一見すると青髪の美幼女にしか見えない宝刀の化身、切子に問いかけた。
「さて……分からんの。察するに土蜘蛛を倒した者に与えられたあだ名のようなものだと思うが、妾は
土蜘蛛の事を詳しく聞いてみると、全長十メートルは超える生きた天災とまで呼ばれる強大な妖魔の事らしい。放っておけば幾つもの町が消えるとされ、それを単身で倒したのなら英雄と呼ばれてしかるべきだと。
「…………」
それを聞いた刀夜は、何だか面白くなかった。
侍女たちが目の保養が出来ると騒いでることから、英雄と持て囃されている件の人物が男であるという事は分かるのだが、その事の何が面白くないのか、刀夜自身にも理解できなかったのだ。
……これでもし、例の土蜘蛛殺しの英雄が女性だったなら話は違っていたのだが、当の刀夜にその自覚はないことは、今は誰も知らない事だった。
「随分賑やかね。何の話をしていたの?」
「あ、丁度よかった。美春って、土蜘蛛殺しの英雄の事は知ってる? 今黄龍城の侍女の間で話題なんだけど」
そんな時、奥御殿の主である美春が茉奈を連れて刀夜たちが談笑していた部屋に入ってきた。
彼女なら土蜘蛛殺しの英雄について何か知っているのではないか……そんな軽い気持ちで真琴が問いかけたのだが、当の美春は思い切り眉根を寄せて嫌そうな表情を浮かべた。
「悪いんだけど、私の前でそいつの事を話題にしないで貰える? 思い出したくもない、忌々しい奴の事まで思い出しちゃうから」
「え……? あ、ごめん……」
「美春? 一体どうしたんだ?」
「……ごめん、ちょっと頭冷やしてくるわ。事情は茉奈に聞いてくれる?」
そう言い残し、茉奈を置いてその場を去っていった美春を呆然と見送る事しかできない刀夜たち。説明を求めるように茉奈に視線を集中させると、茉奈は嘆息しながら口を開いた。
「では僭越ながら説明させていただきますが……刀夜様たちは、美春様に姉君がいることはご存じですか?」
「そ、そうなの?」
それを聞いた朱里は思わずと言った様子で聞き返した。この世界に来て、美春と出会ってからそれなりの時間が経過しているが、彼女に姉がいることなんて聞いたことも無いのだ。
「私も幸香様や菜穂様から伝え聞いた話なのですが……美春様の姉君である雪那皇女殿下は故あって城内での立場が悪く、皇太女である美春様とは交流を制限されていたのですが、幼少の頃はそれは仲の良い姉妹だったそうです。美春様もいずれは和解したいと願って、同じ黄龍城に居ながらも離れて暮らしていた雪那殿下を見守っていたのだそうですが、お二人を無理矢理引き離して雪那殿下を遠くに連れ去ったのが、他でもない土蜘蛛殺しの英雄と呼ばれる、華衆院國久……私の腹違いの兄にあたる人物です」
茉奈の血を分けた兄と聞いて、その場にいる全員が目を見開く。
そこから更に詳しく事情を聴いてみると、華衆院國久は姉との和解を願う美春や雪那の気持ちを考慮せず、借金の返済代わりにと雪那との婚約を皇帝に求め、そのまま領地へと連れ去ってしまったらしい。
理由はただ、帝国内における華衆院家の地位を高めるため。皇族との縁続きを求めて、雪那を利用するためだ。
「な、何だよそれ! そんな下らない理由で女の子を金で買うような真似をするなんて、最低な男じゃないか!」
利益の為だけに当人の意思を踏み躙り、金の力に物を言わせて無理矢理結婚を迫る……それは刀夜にとって許し難い所業だった。
「実際、美春様がどのように思っているのかは測りかねますが……雪那殿下は碌な目に遭っていないと思います。何しろ華衆院國久という男は、自分が権力を得る為なら実の父をも追放する冷たい人間ですから」
茉奈曰く、華衆院國久は前当主である実母が死んだ時も、実父である前久を葬式にも参加させず、非情にも無一文で追放したという。
おかげで茉奈の両親は勿論のこと、茉奈本人も苦労が絶えない日々を送ることになり、結果として金銭的な問題で一家は離散。美春に拾われなければ、茉奈はどこぞの野盗の慰み者になっていても可笑しくなかったらしい。
「あり得ないだろ……!? 血の繋がった親や妹に、どうしてそんなことが出来るんだ……!?」
國久の行いを聞いた刀夜は怒りで体を震わせることしかできなかった。自分なら絶対に茉奈を見捨てるようなことはしない。半分しか血が繋がっていなくても、ちゃんと家族として迎え入れて大切にするのに……と。
「後これは噂で聞いたことなんですが……どうやら華衆院國久は五年前、決闘を挑んて来た女性を完膚なきまでに叩き潰したとか。これらの事実を考慮すれば、華衆院國久が如何に冷徹非情な人物であるかを理解してもらえるかと」
それを聞いた刀夜は、とうとう開いた口が塞がらなくなった。それは話を聞いていた真琴や朱里、切子も同じだ。皆が國久の悪行に義憤を燃やしている。
「女の子の自由を金で奪うだけじゃ飽き足らず、暴力まで振るうなんて……! 俺はその國久って奴の事を許せそうにない! いつか絶対にぶっ飛ばしてやるぞ!」
=====
「皇太女である天龍院美春殿下が、刀夜と名乗る剣の達人を客将として迎え入れた……か」
土蜘蛛との戦いから早三年。領内で増えた妖魔の討伐に出ていた俺の元に届けられた、首都の別邸を拠点に仕事をしている家臣たちからの手紙を見て、深く息を吐く。
この手紙が意味するところは一つ……遂に原作が開始されたのだ。今日これからの時に備えて準備を進めてきたが、その成果が試されようとしている……そう思うと、緊張するのを禁じ得なかった。
「原作は既に変わった。ハーレム主人公、御剣刀夜がどう動くかはもう予想できんが……やってやろうじゃねぇか」
俺の邪魔をしないというのならどうもしない、好きにすればいい。だが俺の邪魔をするというのなら、容赦なくはっ倒す。
丁度、定期報告の為に近々黄龍城まで登城する予定になっている。その時にでも原作主人公がどんな感じなのか、見極めさせてもらおうじゃないか。
「おっと、その前に……コイツを処分しとかないとな」
俺は超巨大な岩の龍に咥えさせ、浮かび上がらせていた土蜘蛛を一瞥し、岩の龍の顎を全力で閉じて土蜘蛛を噛み潰す。
三年前は雪那の助けがあってようやく倒せた妖魔を、今となっては一人で倒せるようになった。土蜘蛛の断末魔と一緒に妖魔特有の緑色の血をまき散らしながら、俺はこの三年間の成長を確かに実感するのだった。
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