覚醒の時


 俺は目の前にいる巨大な妖魔を見上げながら魔力を練り上げ、土蜘蛛に関する知識を頭の中で総動員させる。この世界で生きる以上、妖魔は避けては通れない存在だ。だから俺は子供の頃から魔術の訓練と並行して、この世界で伝わる妖魔に関する知識を【ドキ恋】の原作と照らし合わせながら蓄えてきた。


(数ある妖魔の中でも土蜘蛛は特に有名な力ある種類の一つ。巨体由来のパワーとタフネスに加え、速さまで兼ね備えた難敵だって話だったな)


【ドキ恋】の原作でも、巨体に見合わない反応速度と回避能力を持っていて、主人公陣営が放った隙の大きい一撃を当てられなかった。

 つまり、現状では発射する際には電磁力の充填や回転に時間が掛かる【鳴神之槍】は、闇雲に撃っても当てられないと考えていいだろう。……しかし、土蜘蛛の恐ろしい点は、そういった身体能力だけじゃない。


「キョキョキョキョキョキョッ!」


 耳障りな鳴き声を上げながら、土蜘蛛は尻を上空に向かって突き出し、その先端から三メートルほどの大きな白い繭を無数に放った。

 放物線を描いて落下した無数の繭は俺と雪那、兵士や人足たちを取り囲むように地面に落下したかと思えば、白い糸を突き破って中から三メートルほどの大きさを持つ、小さな土蜘蛛みたいな妖魔が出てきた。


(コレだ……! 土蜘蛛が強力な妖魔と呼ばれる理由になった、分身体を召喚する技!)


 これによって生み出された分身体の強さは赤鬼にも匹敵するという。ただでさえ本体が強いのに、そこに大型の妖魔を複数体味方に付けるんだから、主人公や武闘派ヒロインが苦戦するのも無理もない話だ。


(その上、頭も回ると来たか……!)


 こうして俺たちを取り囲むように繭を吐き出し、分身体を生み出したという事は、俺たち全員をここから逃がす気がないという事だろう。そんな土蜘蛛の悪意と害意がこの場にいる全員に伝わって来たのか、兵士たちは固唾を呑み、人足たちが取り乱そうとしている雰囲気が肌で感じ取れた。


「狼狽えるな!!」


 突如命の危険に晒されて生存本能が爆発し、人足たちが散り散りに逃げ出す……そんな事になる直前に、俺は身体強化魔術によって増強された声帯を震わせ、雷鳴のような大声でこの場にいる全員を一喝した。

 今人足たちに混乱されたら守れるものも守れなくなる。大人しく兵士たちが敷いた陣形の内側で縮こまってくれないと、被害は広まるばかりだ。そんな意図で放った、大気が震えるほどの大声に、狼狽えてた連中の動きがピタリと止まる。


「我が民たちよ、恐れることはない。この場に集いし兵士たちは皆、豊かな華衆院領を狙う妖魔や悪党どもから守り抜いて来た精鋭の中の精鋭。その薄汚い爪がお前たちに届くことは決してないだろう!」


 土蜘蛛の分身体を生み出す能力は弱点はない……が、付け入る隙が無い訳ではない。土蜘蛛は一度に十数体程度の分身を生み出すことしか出来ないからだ。

 そして一度腹の中で育てた分身体を全て生み出してしまうと、しばらくの間新しい分身体を生み出せなくなる。勿論、大型十数体は相当な数だが、華衆院領の兵士たちは皆精鋭揃い。土蜘蛛を倒すだけの兵力としては足りなくても、分身体を処理し続けることくらいは出来るはず。


「そして兵士たちよ、臆するな! 敵は音に聞こえし生きた災害、土蜘蛛。だが恐れるに値しない! なぜならば、この華衆院家次期当主、華衆院國久が土蜘蛛を打ち倒すからだ!」


 それは、兵士たちの戦意を消させない為の鼓舞だ。犠牲者をどれだけなくせるかは兵士たちの奮闘に掛かっている以上、この戦いに希望を持たせなくてはならない。ぶっちゃけ虚勢交じりだけど、ハッタリでも何でも叩かなくちゃならないのだ。

 そんな俺に対し、包囲網が完成した土蜘蛛は大口を開いて襲い掛かってくる。そのまま俺と、傍にいる雪那を一口で食い殺すつもりなんだろう。


「舐めんな……!」


 俺はカウンターだと言わんばかりに、向かってくる土蜘蛛の眼に向かって、頭上に浮かべていた鉄塊を巨大な鉄杭に変えて撃ち出す。

【鳴神之槍】ではない。単なる地属性魔術で放っただけの鉄杭だ。しかしどんな強大な存在でも眼を狙われたら避けたくなるだろう。そんな俺の目論見は的中し、土蜘蛛は体勢を崩すようにして横に避ける……その僅かな隙を見逃さず、俺は地属性魔術を発動させた。


「【岩塞龍がんさいりゅう天征てんせい】!」


 次の瞬間、地面から全長三十メートルは下らない長さを誇る岩の龍が空中を駆け抜け、土蜘蛛の全身に巻き付いて締め上げ、首根っこに噛みつく。

 二年前に青鬼を封殺した地属性魔術、その発展版だ。青鬼とは比べ物にならないほどのパワーを誇る土蜘蛛が暴れることで凄まじい勢いで岩の龍は折れ、亀裂が入るが、デカいだけに一瞬で砕かれるなんてことはない。壊れた傍から即座に修復すれば、土蜘蛛の動きを封殺するには十分……だが、俺はここで更に炎属性魔術を合わせる。


「【岩塞龍・炎天焔摩えんてんえんま】!」


 岩の龍全体が赤熱化するほど激しく炎上し、巻き付かれた土蜘蛛は甲高い悲鳴を上げながら全身を焼かれている。

 絶望そのものだった土蜘蛛が身動きも取れずに悶え苦しんでいる。それを見たことでこの場に居る人間たちは希望を持てた事だろう。それを見逃さず、俺は兵士たちに檄を飛ばす。


「本体は俺が抑える! 皆の者、奮起せよ! 我らはこの地の民を守護する者ぞ!」

『『『うぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』』』


 次期領主自らが一番の強敵である妖魔に立ち向かい、抑え込んでいる。それを見て奮起しない兵士は居ない。土蜘蛛という驚異に怯んでいた兵士たちは完全に戦意を取り戻し、刀を振るって魔術を発動し、分身体に一斉攻撃を仕掛けた。


(これで分身体の方は大丈夫……後は、この本体を仕留めれるかどうか……!)


 巨大な岩の龍を生み出し操る魔術、【岩塞龍】。

【鳴神之槍】もそうなんだが、俺は別に格好つけたくて魔術に名前なんて付けている訳じゃない。苦しい戦況を打開するだけの力を持つ、俺にとってのここぞという時に使う切り札的な魔術だとハッキリさせるためだ。

【岩塞龍】は対軍隊・対巨大妖魔を想定して編み出した俺の切り札。その効果はこうして土蜘蛛を抑え、苦しめていることから、成果は上々であると証明できている。


(……のは良いけど……! これマジでキッッツいっ!!)


 これだけの巨大な岩の龍を操り、土蜘蛛が暴れないように拘束し続け、更にはダメージを与えるために高出力の炎属性魔術も併用する……分かっていたことだけど、そんな事をすれば当然魔力がガンガン消費される。

 しかもここまでダメージを受けても土蜘蛛は弱る気配がないし、拘束を振り解かせないためにリソースを割きすぎて、他の魔術を使う余裕が一切ないときた。


(こちとら人足や兵士に家臣……そして何よりも雪那を守らなきゃいけない……っ。だからこんなデカい化け物に暴れさせないために初っ端から全力を出してるんだが……っ! これ土蜘蛛を仕留めるまで保てるか……!?)


 土蜘蛛のパワーもタフネスも、ハッキリ言って想像以上だ。ダメージレースは不利な状況を強いられている。長年の基礎訓練のおかげで俺の魔力量は図抜けて高いけど、切り札となる魔術の全力行使を続けるにはまだ鍛錬不足。せめて魔力が切れる前に【鳴神之槍】を頭にぶち込む余裕があれば……!

 勝機があるとすれば、兵士たちが分身体を早く片付けて助太刀に来てくれることだけど、それまで俺の魔力がもつかどうか。


「なんて……! 弱音なんぞ吐いてられっかぁあああああああああああああっ!!」


 この土蜘蛛は俺の敵だ。俺たちの命を奪うことで、俺の恋路を邪魔しに来た許し難い害虫だ。

 ならば引くわけにはいかない。根性論だろうが何だろうが絶対に負けられないと、俺はこみ上げる怒りを気力に変えて、土蜘蛛を締め上げながら焼き尽くす力を更に強めるのだった。


   =====


 強く、大きく、恐ろしい妖魔である土蜘蛛。その脅威は耳にしたことはあったが、実際に目の当たりにするとこれほどなのかと、雪那は恐怖と共に身を以て実感した。

 対峙しただけで生き残る事すらも諦めそうになる明確な力の差。種族からして次元が違うのではないかと思わせるような存在に、果敢に立ち向かっているのは、他でもない雪那の婚約者だった。


(この人は……こんな一面もあったんですね……)


 雪那はこの二年間、國久の事を傍で見てきた。

 気さくで懐が深く、我欲や目的の為なら如何なる努力も惜しまず、それでいて武を尊ぶ大和帝国の貴族らしくなく争いが嫌いで平和を好む人であり、見た目が好みだからと雪那に婚約を申し込み、何かにつけてはすぐに口説いてくる軟派なところもある人……それが雪那が知っている國久という人間である。


(そんな人が今、命を懸けて戦っている)


 それも自分の為だけではなく、民や臣下、そして何よりも雪那の為にだ。そして一見すると有利に見える戦況が、実は極めて危うい均衡で保たれているという事が、すぐ傍で見ていて分からないほど、雪那も愚かではない。

 歴戦の兵士でも裸足で逃げ出す強大な妖魔から逃げず、自分たちを守る為に真正面から死力を尽くして立ち向かう婚約者の背中を見て、雪那は自分の胸に熱いものがこみ上げるのが分かった。

 

(……このまま死なせるわけにはいかない……っ!)


 雪那は理屈ではなく血で感じた。例え疎まれた姫だったとしても、この身には戦う事で国と民を守ってきた皇族の血が流れている。自分たちの為に命を懸けて戦ってくれているのに、その事にただ甘えて守られるだけだなんて、自分で自分を許せそうにない。


(死なせたくないっ! 私はまだこの人と生きていたい……!)


 そして何よりも、雪那の魂が叫んでいた。

 だってまだまだこれからなのだ、雪那と國久、二人の日常は。

 未だに戸惑うことも多いけど、國久との時間がいつの間にか掛け替えのないものになっていたと自覚した時、気が付けば雪那は國久の背中に向かって走り出していた。


(私に何が出来るか分からない…‥それでも今何かをしなくては、もう二度と胸を張ってこの人の婚約者ではいられない……!)


 激情に突き動かされながらも、雪那は冷静に自分に今できる事を判断する。

 華衆院領に来てから二年。妖魔と戦えるほどではないが、雪那は幾つかの魔術を修めていた。その中の一つに、他人に自分の魔力を供給するというものがある。

 魔力操作訓練の一環で身に付けたのだが、軍でも使われている実践的な魔術だ。強大な魔術を継続して発動し続け、膨大な魔力を消費している國久を助けるのに、雪那が出来る最善の一手だろう。


(私程度の魔力量で、どこまで助けになるか分かりませんけど……!)


 それでも、何もしないよりかは断然良い。

 生きるか死ぬかの瀬戸際なら、最後の最後までこの人の支えになろう……國久の背中を支えるように抱きしめ、命を振り絞る勢いでありったけの魔力を注ぐ雪那。

 ……変化に気付いたのは、その時だった。背中が燃えるように熱くなったかと思えば、全力で注いでいるはずの魔力が一向に尽きる気配がないと気付いたのは。


 

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