ようやく本当のスタートライン


 饕餮城の門を出て、俺たちは馬に乗りながら城下町を進む。

 自分で豪語できるだけあって、華衆院領の城下町は首都以上に発展している。イメージ的には、徳川幕府のお膝元だったという江戸や、昔の日本の流通拠点だった堺とでも言えば良いんだろうか?

 

(俺自身、昔の日本の光景なんて直接見たことが無いから上手い例え方が思いつかないんだけど、江戸時代くらいの日本の都会もこんな感じだったんだろうな)


 茶屋や呉服屋、鍛冶場に工房と、建ち並ぶ店も多いし、港もあって海外からの貿易船も来てるし、前領主であった母を始めとした歴代当主の手腕も相まって、華衆院領は帝国でも屈指の賑わいと発展を見せている。


「雪那殿下、初めての馬の乗り心地はどうですか? 気分が悪くなったりしなければいいんですが」

「そ、そちらは大丈夫です……で、ですが、その……公衆の面前でこれは、恥ずかしいものが……!」


 これ……とは、鞍に跨った俺が、横向きで馬に座る雪那を後ろから抱きしめるように手綱を握っている状態の事を言っているんだろう。

 それに関しては、正直に言って俺もかなり恥ずかしい。俺の顔は城下町じゃ有名だし、見知った顔も多いのだ。おかげでさっきから行き交う人間全員からジロジロと見られるもんだから、俺の中の童貞魂が「今すぐ目立たないように動こう、そうしよう!」と叫んでいる。


(でもせっかくのデートなのに、まるで流浪人みたいにコソコソさせるのもな)


 好きな女をエスコートするのに、相手に不便を掛けさせるのも良くない。……まぁこうやって移動すれば注目を集めるから究極の二択ではあったんだけど、次期領主とその正室になるって二人が城下町で堂々とデートすることの何が悪いんだって話だし。

 幸いにも、華衆院領では忌み子に関する偏見は殆ど存在しない。あれは元々、妖魔の被害が大きい地域で広まっている迷信だし、防衛がしっかりしてて、比較的妖魔の被害が少ない領地では殆ど信じられていないのだ。だからこの城下町では、忌み子だからと雪那が周りの目を気にする必要はない。


「か、華衆院殿はなんだか手馴れていますね……こういう経験は、豊富なのでしょうか……?」


 すぐ下から聞こえてくる雪那の声には、若干不安が混じっているように感じた。

 ……これはいかんと、俺は思った。もしかしたら、十三歳にして女遊びに慣れているプレイボーイなんて言う、軽薄な男みたいな印象を持たれつつあるのではないかと。


「そうでもありませんよ。何せ初めての逢引きですから、格好悪いところは見せまいと、これでもかなり必死です。おかげでさっきから心臓がバクバク鳴ってますよ」


 俺は理性を総動員させながら、表面上は平静を保ちつつ、本音を口にする。変な誤魔化しは余計な誤解を招く。ここは恥をかき捨てて、素直に答えるのが吉だろう。 


「……本当、ですね。心臓が凄く早鐘を打っているのが分かります」


 雪那は片手で俺の着物の左胸辺りを掴んで、そう呟く。

 くぅ……! こうも改めて確認されると、童貞に恥ずかしすぎる……! しかも雪那の鼓動まで伝わって来そうなくらい密着してるから、下半身がムラムラして仕方がねぇ! 


(だってね、すっごい良い匂いがすぐ真下から漂ってくるんだもの!)


 魔術の創始者となった人物は、人間が清潔であることの重要性を誰よりも理解していて、それらの問題を解決する魔術の開発にかなり力を入れていたらしい。

 だから一見すると江戸時代くらいの文明レベルのこの世界では、構造は大きく異なるが水回りが平成の日本と遜色がないくらい発展している。トイレは水洗だし、糞尿は自動で一か所に集められて処理されるし、石鹸もあって熱湯も魔術で生成できるから毎日湯船に湯を張って風呂に入れるときたもんだ。


(だから前世での中世みたいに、貴族ですら不潔みたいなことはない……それは喜ばしい事なんだけど、今この状況で萎える要素が一切無いっていうのも問題だ! 良い匂いがする好きな女に密着されて、健全な十三歳にムラムラするなって言われても無理だよ!)


 幸いにも、お互い厚手の着物を着ている。位置とか角度に気を付ければ、下半身がムラムラしてることまでは気付かれないっていうのがせめてもの救いか。流石に殆ど交流もない状態でそっち方面を匂わせるのは早いし。……まぁ俺としては今からでも良いんだが。


「こういうところも、私と同じですね」


 え? 同じ!? ムラムラしているところが!?


「……私も、恥ずかしくて凄くドキドキしています……」


 ……あ、そっちね。

 なんか少し……いや、かなり残念だ。初デートから童貞卒業するビジョンが一瞬で見えたから、余計にな。

 まぁ恥ずかしがりながらもはにかむ雪那はマジで眼福だから、それを見れただけでも良しとしよう。


「さて、殿下はどこか気になる店とかはありますか? なかったら女性が気に入りそうなところを順番に巡りますが」

「……そうですね。それでは、華衆院殿にお任せしてもよろしいですか?」

「心得ました」


 この城下町は俺の庭同然だ。女に人気の店というのも把握している。その中でも自信を持ってお勧めできる店に連れて行くとしよう。


(これまで着飾ることが出来ない環境に居たから、そっち方面の好みを開拓するのにはまだ時間が掛かるだろうが……食い物なら自分の好みを見つけやすいだろ)


 今回のデートの名目は、雪那の好きな物を見つけることだ。人間にとって一番身近な食事なら、万人共通で楽しめるはず。その為に時間を調整して、小腹が空くこの時間帯にデートに出かけたんだからな。

 という訳で、俺たちがやって来たのは城下町でも評判であり、俺の行きつけでもある茶屋だ。近場に馬を停めて店の前まで行くと、黒髪の看板娘が俺たちを出迎えてくれた。


「いらっしゃい、國久様! ……っと、そちらの方ってもしかして……!」

「この度俺の婚約者となった、天龍院雪那殿下だ。席は空いているか、奈津」

「その方が噂の! はぁ~……評判通りのお綺麗な人ですねぇ! ささっ、どうぞこちらへ!」


 俺にとっても馴染みの看板娘である奈津に先導されて、俺たちは店でも一番良い席へと座る。

 店内は和風ファンタジーと呼ぶには似つかわしくない、テーブルや椅子が並べられた西洋よりの内装となっていた。俺は椅子を引いて雪那に座るように促すと、彼女はおっかなびっくりと言った感じで椅子に座る。

 

「随分と変わった内装ですね。この卓なども、見たことがありません」

「この店は貿易に来た外国人でも気軽に使える店として建てられましたからね。品書きは勿論、内装にも西洋の文化を取り入れられているんですよ」


 城下町には茶屋は幾つもあるが、そこで扱っているのは饅頭や団子のような和菓子がメイン。カステラやプティングのような海外から伝わった菓子を楽しめるのは、華衆院領でもこの店だけである。

 今の大和帝国で洋菓子を楽しめる店自体少ない。砂糖を始めとした材料が大量に手に入る上に製菓技術も高い職人を多く抱えている華衆院領では庶民でも手を出せるリーズナブルな値段設定になっているが、これが他の領地となると高級菓子なのだ。皇族ですら気軽には食べられない。


「海外の人間は畳の上に座るのではなく、土間の上に机や椅子を置いてそこに座る文化が当たり前なのだとか。だからそういう貿易に来た者たちに合わせた店構えになっているんですが、それが発端になって大和帝国では徐々に海外の文化が地元民の間でも浸透してきているそうですよ」

「なるほど……海の外の影響力とは、それほどまでに大きいのですね」


 デート中にうんちくを垂れ流すのも良くないと思ったんだが、雪那は興味深そうに呟きながら周囲をつぶさに観察している。……そういえば、原作でも雪那は知識欲が強いキャラとして描かれてたな。何らかの質問を受けた時にスマートに格好良く答えられるよう、色々と知識を蓄えておくのも良いかもしれん。


「この店も、物珍しいだけではなくて味も保証できます。おすすめは――――」

「あー! 國久様が女の人と逢引きしてるー!」


 突如として店内に響き渡った子供の声に振り返ってみると、十歳にも届いていなさそうな子供の集団が、俺たちを指さしていた。


「もしかしてこの人が國久様のお嫁さん?」

「馬鹿、婚約者だよ!」

「それってどう違うの?」

「わぁー……! きれーな人……本物のお姫様だぁ!」


 そいつらは城下に遊びに行ったら何かと会う事が多い、俺にとっても馴染みの連中だ。名前は上から金蔵、千絵、太一、香苗。見ての通りまだまだ子供で、周りの大人みたいに空気を読んでそっとしておくということが出来ないらしく、ワラワラと近寄ってきた。


「えぇい、寄るんじゃない! 今の俺は逢引き中なんだ! あっちに行ってろ!」

「何だよー。國久様のくせに生意気だぞー」

「そーだそーだ! こないだだって、私たちに「お嫁さんを逢引きに誘うにはどうしたらいい?」って泣きついてきたくせにー!」

「な、泣きついてはいねーよ! ちょっと切羽詰まって誰でも良いから助言が欲しかっただけだ!」


 これから口説こうとしている相手を前にして何暴露してんだこのキッズどもめ! そのKYっぷりは子供だからと言って容赦できんぞ!

 生意気なこいつらをどうしてくれようかと考えていると、奈津が小走りで走り寄ってきた。


「はいはい、お二人の邪魔をしちゃいけないからあっちにいってましょうね」

「えぇー。でも奈津姉ちゃん。國久様がさー……」

「奈津、料金は俺が持つから菓子でも出してそいつらを黙らせてくれ」

「お菓子!? ホントに!? ありがとー、國久様!」


 菓子と聞けば興味が全部そっちに持っていかれたのだろう。キッズどもは素直に奈津に連れられて、遠くのテーブルに行儀よく座る。

 そんな様子を見ていた周りの地元客たちは、苦笑しながら軽く慰めの声を掛けてきた。


「大変ですね、國久様も」

「頑張ってください、遠巻きから応援しています」

「……あぁ、頑張るよ」


 何かもう、スマートにデートをエスコートしようと頑張ってたのが台無しになった感はあるけど。近場で逢引きするっていうのも、色々と考えものだと身を以て実感した。

 幸いにも、雪那は気を悪くした様子はなく、穏やかに微笑んでいたというのが救いか。


   =====


 その後、俺たちはこれ以上の邪魔が入ることはなく順調にデートすることが出来た。呉服屋に行ったり、簪や櫛を取り扱っている店に行ったり、雪那が興味を惹かれて鍛冶場や工房が密集している区画の見学に行ったり。

 そして今、俺はデートの締めとして城下町を一望できる高台へと雪那を連れて来ていた。


「どうです? ここは私のお気に入りの場所なんですが、気に入ってくれましたか?」

「はい。とても素晴らしい景色です」


 夕焼けに染まる城下の町並みを見て、雪那は弾んだ声で答えてくれる。


「この領地は素晴らしいところですね。素晴らしい物で溢れ、人々は活気に満ちている。ここに来てまだ間もないですが、私もこの領地が好きになれるのではと、そう思います」

「本当ですか?」

「はい。領民たちは皆優しかったですし、ご馳走になったかすてらも、美味しかったですしね」


 それを聞いて、俺は心からホッとできた。色々と予期せぬトラブルに見舞われたが、初デートとしては成功なんじゃなかろうか。


「……ですが、余計に分からなくなりました。華衆院殿はどうして私などを好きになってくれたのかと」


 そんな風に浮ついていると、雪那は急に声のトーンを落として呟く。


「初めて会った時、貴方は私の事を「他人を思いやれる好感を持てる人物」であると評してくれましたが、私自身は自分の事をそうは思っていません。黄龍城での暮らしの中、家族に疎まれ臣下に見下される事実に、私の胸には醜い感情が何度も宿りました。宮子の存在が無ければ、今の私がどのようになっていたのか、見当もつきません」


 そうだろうなって、俺は思った。原作を知る転生者として、雪那が辿っていたであろう未来を知る人間として、極々自然に彼女の言葉を自然に受け入れる。


「華衆院殿は、家臣だけでなく領民からも慕われる素晴らしい人です。そのような方に嫁げるというのは、政略結婚が当然の皇族として幸運に他ならないと思いますが、貴方なら他にもっと素晴らしい女性を娶ることも出来た筈です」


 ……それはどうなんだろう? 慕われてるっていうか、舐められてる割合もかなり大きいぞ。何せ碌に結果も出していない、ちょっと前まで家督を継ぐ気もなく遊び惚けてた放蕩息子として有名だったし。

 まぁ現代日本から転生したのもあって、身分差とか気にしないから、家臣や領民からすればかなり接しやすい領主だと思うけど。


「改めて聞かせてください。どうして華衆院殿は私の事が好きになったのですか?」

  

 ……ここは大きな分水嶺だ。どんな答えを出すかで未来が変わると、俺は感じ取った。

 でもまぁ、難しく考える必要もないとも感じた。ありのままの理由を答えればいいと。


「はっきり言って……外見が凄い好みだったからです。それで何となく気が合いそうだから求婚しました」

「え……えぇ!?」


 まさか外見が理由に挙げられるなんて思ってなかったのか、驚いたような、呆れたかのような声を上げる雪那だったけど、本当にそれが理由だったんだから仕方がない。とってつけたような誤魔化しなんて通用し無さそうだったし、だったらこっちも本音でぶつかるしかないだろ。


「そもそも、人が人を好きになるのに大層な理由なんて必要ありませんよ。外見が好みで、何となく性格が良さそうだった。結婚したいと思うようになるのに十分な理由です」

「で、ですが私はそこまで褒められた性格ではないと思うのですが……」

「醜い感情を抱かない人間なんて居やしません。自分の事が不当に扱われたら怒るなんて、人間なら当たり前です」


 性格に何の瑕疵もない人間としか結婚したくないなんて言ってたら、俺は一生結婚できないだろう。

 雪那だって、何でも笑って許せる完全無欠の聖人君子って訳じゃない。そんな事は原作知識で承知の上で、俺は求婚したんだ。

 それに基本的に善良であることに変わりはないし、俺が求婚を渋る理由にはならない。


「殿下、細かい事は気にしなくても良いんですよ。そりゃあ一緒に暮らすからには互いの嫌なところだって見つけることになると思いますけど、それ以上に好きになれるところを見つけていく……それが仲の良い夫婦になる秘訣なんじゃないかって思いますし、殿下とそういう関係を築いていきたい」


 雪那が断れない形で婚約して、俺自身簡単に手放してやる気が無いっていうのが恐縮だけど、これが俺の偽らざる本音だ。


「本当に、そんなことでいいのでしょうか?」

「そんな事でいいんです。政略結婚が当たり前の今の時代、結婚してから互いの良いところを見つけて好きになっていく関係も、悪くないと思いません? そういう夫婦だって世の中にはごまんといる訳ですし、殿下の悩みは大したことじゃないですよ」

「……確かに、そうかもしれませんね」


 そしてようやく笑ってくれた雪那の姿は、夕日の補正もあって本当に綺麗だった。


「まだ貴方の事を、その……異性として好きになれるかは分かりません。判断を下すには、まだまだ華衆院殿の事を知らなさすぎるから。それでも、貴方と互いを尊重し合える夫婦にはなってみたいと、今は本心から言えます」

「という事は……!」

「まだまだ不肖の婚約者ではありますが、互いにとってより良い妻になれるよう努力しますので、その……改めて、よろしくお願いできますか?」

「えぇ、勿論です」


 キ・タ・コ・レ!!

 雪那に俺との結婚を前向きにさせることに成功したぞ! ついに俺の真心が届いたんだ!

 雪那の好感度を上げるにしても、本人にその気がないと始まらない。金の力をフル活用して無理矢理結んだ婚約だったから、ぶっちゃけかなり不安だったんだけど、これでようやく本当の意味でスタート地点に立てた!


「それで、ですね。華衆院殿……一つ、お願いしてもよろしいでしょうか?」


 内心でブレイクダンスを踊りたくなるくらい舞い上がっていると、雪那はおずおずと恥ずかしそうにそう聞いてきた。


「はい、勿論です。何でしょうか?」

「私の事は名前で呼んで、話す時は敬語を外すことは、出来るでしょうか……?」


 これには俺も思わず驚いた。婚約者とはいえ、相手は皇族。だから俺は雪那の事を敬称付きで呼んで、話す時は敬語で話してたんだけど、まさかこんな早い段階でそれを外す許可を本人が出すとは。


「家臣や領民の方々と話す時と、私と話す時とでは随分違うと思ってて……これから夫婦になるのでしたら、もっと自然体で話せるようになれたら……嬉しい、です」


 指をこね、顔を赤くしながら呟く雪那はべらぼうに可愛かった。思わず抱きしめたくなる衝動に駆られるが、俺はそれをグッと我慢して表情を引き締める。


「……分かった。それじゃあこれからは普通に話させてもらう。これでいいか? 雪那」

「は、はい……! 大丈夫です」

「しかしそうなると、俺の事も名前で呼んでくれないとな。何時までも華衆院殿なんて他人行儀な呼び方をするのもどうかと思うし」

「た、確かにそうですね……で、では……!」


 雪那は意を決したかのように息を吸い込み、顔を耳まで赤くしながら消え入るような声で、俺の名前を呼んだ。


「く……國久、様……~~~っ!」


 男の名前を呼ぶだけで、恥ずかしさの余り悶える雪那だったけど、呼ばれた当人の俺は嬉しさのあまり昇天しかけた。

 たかが名前呼びで大げさだと思うだろ? しかし、好きな女から恥ずかしそうに様付きで名前で呼ばれるというシチュエーションは、前世含めて三十年以上童貞だったオタク男子には余りにも衝撃的なのである。端的に言って、すっごいムラムラしたね!


 まぁそんなこんなで、ようやく本当の意味で婚約者になれた俺たち。そうして互いの事を知りながら関係を深めていき、気が付けば二年の月日が流れていた。

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