父、撃退


 領地に戻るや否や、俺は華衆院家の筆頭家老である松野重文に怒られていた。


「國久様! 先の手紙について説明していただきますぞ! 皇族との間に結ばれた契約を、我々に何も知らせずに話を進めるとは何事ですか!?」

「悪かったって。お前たち家臣に何も言わずに話を進めたのは本当に悪かったって思ってる」


 雪那と結婚すると誓ったあの夜、早馬で届けた手紙の内容……黄龍城で俺がしたことに対する事後報告を聞けば、そりゃあ誰だって怒りたくなるのも分かる。それに関しては、本当に申し訳ないと思っているが、雪那と結婚するためには仕方なかったし。


「でも重文、お前だって皇族の懐事情は分かってるだろ? 幾ら契約書があるって言っても、それが金って形で返してくれるとは到底思えんぞ」

「むぅ……確かに、東宮大橋の一件は皇族にとってあまりに痛かったはずですが……」


 そもそもの話、東宮大橋の件で結ばれた契約は書面上、借金じゃなくて報酬の支払いに関するものだ。これは借金なんてワードを前面に出して皇族のイメージが悪くなるのを防ぐために、先代当主である母が譲歩する形で結ばれた契約だ。皇族だって自分たちの威信にかけて契約を履行しようとするだろうが……如何せん、連中には金がない。

 東宮大橋は氾濫で流されたから修理というか新しく掛け直したし、材料費やら人件費やらがとにかく掛かった。ぶっちゃけ、皇族に払えるとは思えない。


「なにせ向こうの方が身分が上なんだ。金以外の方法で報酬を渡すなんて言われたら、こっちも頷くしかないって。その内、皇族の遠縁に当たる、どこぞの名家の娘との結婚が用意されてたりしたんじゃねぇの?」

「……確かにあり得そうですな」


 今にして思えば、原作の國久が美春の婚約者になったのは、東宮大橋の一件を盾にして俺の父親である前久が押し進めたんじゃないかと思う。領主としての仕事も碌に知らないくせに、変な知恵ばかり働くもんだ。


「だったら、今の内に欲しいものをねだって手に入れた方が建設的だろ?」

「色々と納得しかねるところもありますが……まぁ良いでしょう。それで、求めたものが雪那王女殿下とのご婚約であったと?」

「不満か? 忌み子と噂される皇女との婚約は」


 赤目の人間は不吉の象徴である……そんな迷信を信じている人間の大半は高齢者だ。重文は体格の良い初老の男で、まさに迷信を信じている年齢層にがっつり入っているが……。


「いいえ。確かに良くない評判は耳にしますが、実際に会ったこともない相手の事を伝聞だけで評価するつもりはございませんな。それに忌み子だ何だという迷信も、私くらいの世代が中心になって騒いでいるだけの事。時を経て上の者が定年で退陣していけば、そのような迷信も自然と無くなる事でしょうし」

「俺お前のそういうところが好きだわ」


 真面目で実直、そして偏見の眼を持たない重文には、色々と尊敬できるところが多い。こういう人間が傍にいるのは幸せな事だと俺は思う。


「まぁ俺の独断で勝手な事をして、お前たち家臣に変な気苦労を与えてしまったのも事実だし、これからは働きと実績で返すさ」

「という事は、手紙に書かれていたことは本当ですか……!?」

「あぁ。華衆院家は俺が正式に継ぐ。その為に動く。手紙に書いてた通りだ」


 それを聞いた重文は、感極まった様子で畳に両拳を突き、頭を下げてきた。


「よくぞ……よくぞご決心してくださいました! 家督を継ぐ気はないと言い出した時はどうなるかと思いましたが……國久様のご決断には先代だけではなく、先々代もきっと、草葉の陰でお喜びに……っ!」

「おいおい……泣くなよ」


 松野重文は元々、別の領地を治める貴族の末っ子で、先々代の当主である俺の爺さんに恩義があって華衆院家に仕えてきた人間だ。

 その忠誠心が爺さんが死んだ後も無くなってなかったことからも分かる通り、とにかく義理堅く真面目な性格で、かれこれ三十年以上に渡って領主の傍らで領地運営を補佐してきた家臣で、両親から見向きもされなかった俺にとって、実の親も同然に接してくれた存在だ。


(気が付けば、重文もここ数年で皴と白髪が増えたな)


 これまでは「次期当主として~」と、平民として生きるつもりだった俺にとっては色々と煩わしいところもあったけど、それだって俺の将来を心配しての事だってことくらい分かる。

 母は仕事は出来るけど人間としては色々とダメで、婿入りしてきた父はろくでなし。そして跡取りであるはずの俺はやる気がない。そりゃ重文も心配のしすぎて心労も溜まるよなって話だ。

 雪那との結婚の為に当主の座を継ぐと決めたが、重文の心労が減るなら結果オーライかもしれん。これからは精々真面目に生きて、重文の皴と白髪が増えるのを抑えてやるとするか。


「俺が二十歳で正式に当主の座を継ぐまでの間、本当なら当主代行を据えるべきなんだろうが、金食い虫の父を追い出すと決めた以上、華衆院家はこれから七年間、俺が当主代行を兼ねることになる。こんな前例は幾らでもあるけど、他の領主から軽んじられるのは目に見えている。それを乗り越える為には重文たち家臣の協力が必要だ。苦労を掛けるけど、よろしく頼む」

「ははぁっ! この重文、骨身を惜しまず全力でお仕えさせていただきまする!」


 若すぎる子供の次期当主は、華衆院家の威光があっても、他の貴族からも下に見られる。それをカバーできるのは、貴族の血が流れ、実務能力が優秀で、他の家臣や領民からの信頼が厚い重文だけだ。子供の頃から本当に世話になったし、マジで大切にしよう。


「しかし國久様、何故いきなり家督を継ぐとお決めになったのですか? 昔からあれほど自由に生きたいと仰っておられたのに……」

「それはな、重文。恋が人を不自由にするからだ」

「……………………は?」


 雪那の事を思い出し、切ない声を出す俺に対して、重文は一言……いや、一文字でそう返した。なんだその反応は? こっちは真剣だというのに。


「確かに自由気ままに生きることに憧れていた。しかしそれ以上に素晴らしい未来を俺は知ってしまった……ただそれだけの事なんだよ」

「も、もしや……皇女殿下との婚約を性急に取り付けたのは……」

「当主の座を継ぐのにこれ以上ない、素晴らしい動機だろ?」

「………………も、猛烈に今後の事が不安になってきました」


 何てことを言うんだ。


 =====


 それからしばらく経ち、関係各所とのすり合わせが終わってから母の死を公表、葬儀を行った翌日。父が突然、華衆院家の居城である饕餮城に戻ってきたと報告を受けた。

 どうやら愛人とその子供原作ヒロインを連れてきて、「当主代行として戻って来たぞ」と騒いでいるらしい。それを聞いた俺は筆を置いて立ち上がり、父たちがいる正門まで向かった。


「おい! なぜ私を通さないんだ!? 私は当主代行だぞ!?」


 そこには門番に止められて喚き散らしている、みっともない父の姿が。人通りの多い正門で何時までも騒がれたら迷惑だし、俺自ら追い払うか。


「これはこれは……十三年以上もまともに戻ってこなかった男が、今さら何をしに来たんだ? あんたの荷物なら無いと思うんだが」

「な、何だお前は!? 関係ない奴はすっこんでいろ!」

「関係ない? 華衆院家次期当主として、我が城の前で騒ぐ不逞の輩を追い払いに来ただけなんだけど?」


 その言葉を聞いてようやく俺が自分の息子だと分かったのか、父は目を見開いて凝視してくる。


「そ、そうかお前が……! だったらこの門番どもを下がらせろ! 私は子供のお前に代わって、華衆院家を取り仕切りに来てやったんだ!」

「必要ない。とっとと帰れ」

「ひ、必要ないわけないだろう!? 私がいなければ、一体誰が家と領地を取り仕切るんだ!?」

「少なくともあんたじゃねーよ。婿入りしてきてからというもの、碌に領地運営を手伝ったこともねーじゃん。そんな奴が当主代行とかありえねーから」


 そう言い返してやると、父は怒りで顔を真っ赤にしながらプルプルと震え始めた。


「だ、だが慣習では、当主が死んだ時にはその伴侶が代行を務めるのが習わしで……!」

「大丈夫大丈夫。皇帝陛下にも認めてもらってるから。あんたに当主代行を務める資格はないってな。分かったらさっさと帰れ。何時までもあんたの相手してるほど、こっちも暇じゃねーんだ」

「さ、さっきから黙って聞いていれば……! お前は私の息子なんだろう!? だったら親の言う事に黙って従え!」

「あれ? 俺が息子だっていう自覚があったの? 今日まで一度も話した覚えもなければ、母上の葬儀にまで出席しなかった男が?」


 そう……実はこの男、領内に母の訃報を知らせたというのに葬儀の場に現れなかったのだ。

 多分面倒事は全部無視して、当主代行の座美味しいところだけは持っていきたかったんだろうな。葬儀には他所の領地からも貴族が参列してたし、そういう連中に会いたくなかったっていうのもあるのかもしれん。


「今まで散々妻子を放っておいて、他所で愛人囲って遊び惚けてた奴の言葉にしては、虫が良すぎやしねぇか?」

「……私だって……好きであんな女と結婚したわけではない……!」


 怒りと共に、絞り出すようにそう呟く父。

 両親の間にどんな事があったのか……具体的には知らない。分かるのは、父に惚れ込んだ母が華衆院家の力を使って、ほぼ無理矢理婿にしたことと、後々その事を悔やんだ母が父に対して強く出れなくなったという事だけ。


「そうだとも……! 私は元々、あんな女好きでも何でもなかった! 実家に圧力さえかけられていなければ、私はもっと自由な人生を歩めたはずなんだ!」


 どうやら父は元々、母との結婚に乗り気ではなく、母は一方的に父に執着していたらしい。そんな夫婦関係が上手くいくわけなく、結果として父は愛人を作って帰ってこなくなり、母は自分の財産から父の遊び代を捻出しながら、健気に夫が戻ってくるのを待つという、酷く歪んだ夫婦が出来上がったわけだ。


「だとしてもだ。あんたは一度は母上との結婚を了承し、子作りだけはしっかりとやったんだろ? なのに後になって他に愛人を作り、「本当は結婚なんてしたくなかったー」なんて言って妻子を蔑ろにするなんて、あまりに筋が通らない話じゃねーか」


 こんなのにせっせと貢いでた母も母だが、一度は結婚した相手をぞんざいに扱って愛人を作り、被害者意識全開でゴチャゴチャ言いながらも金だけはもらう父も父だ。


「とにかくお引き取り願おう。もう華衆院家に、あんたの居場所なんてないんだ」

「だ、だが……! この城に戻れなければ他に行く場所がないんだぞ!? あいつが死んでから金も送られなくなったし……そ、そうだ! お前は息子として父を助けろ! これからも毎日遊んで暮らせるだけの金を渡せ!」

「渡す訳ねーだろ」


 俺に援助するつもりがない事くらい、今までの話の流れで察してほしい。しかも遊ぶ金って。


「じゃあ私たちはこれからどうやって暮らせっていうんだ!?」

「実家の五条家にでも帰ればいいだろ? 手紙くらいなら書いてやるぞ?」

「馬鹿を言うな! とっくに兄上に代変わりしていて、居場所なんてない!」

「じゃあ知らん。真面目に働いて平屋でも借りろ」

「もう十数年働いてないんだぞ!? 今さら働けるか! お前、実の父をここまでぞんざいに扱って、心は痛まないのか!?」


 そんな事言われてもなぁ……正直、特大ブーメランとしか思わない。


「今まで碌に会ったこともない癖に何言ってんだ? そもそも、あんた俺の名前覚えてる? ていうか知ってる? 家族の情を訴えてくるくらいなら、当然知ってるよな?」

「え……あ……その……た、辰吉?」

「國久だバカ! 一文字も合ってねぇじゃねーか」


 仮にも自分の息子の名前すら知らないなんて、どれだけ俺に興味なかったんだ。それで家族の情を訴えかけてくるなんて、ヘソで茶を沸かすとはこのことだ。


「さぁもういい加減に帰れ。これ以上しつこくするようなら、愛人と子供諸共牢屋にぶち込むぞ!」

「く……くそっ!」


 父は憎々し気に俺を睨みつけ、愛人と子供を連れて立ち去って行った。

 ようやく本当の意味で、家督相続の問題は終わった。もう父と関わることはないだろうし、境遇が大きく変わった原作ヒロインがどうなるか分からないが、俺の知った事じゃない。

 それにしても……強烈なくらい性格と頭の悪い父親だった。取柄と言えば顔くらいなところも相まって、原作の國久は間違いなく父親似だな。原作だとよくあんなのを当主代行として迎え入れたもんである。


「何はともあれ、これでやっと次の段階……武力を磨くことに集中できるぞ」





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