出会い


 13歳になってしばらく経ち、本当に母が死んだ。ある日突然、朝になっても起きなくなって、そのままあっさりと。

 医者曰く、心労が祟っての事だろうとのことだ。何とか母を助けられないかと色々とやってみたが、結局どれも空振り。母は最後の最後まで父を盲目的に愛し続け、俺の言葉に耳を傾けることもなかった。

 火葬だけは済まして二週間以上経つが、それが悲しいのかどうなのかは、正直分からない。冷たいと思われるかもしれないけど、それくらい俺と母の間には何もなかったのだ。


「……で、その報告をしに皇族の居城まで来たわけだが……相変わらずデカいな、この城」


 大和の首都に存在する、皇族の住居にして帝国政府の中枢である黄龍城は、広大な庭園を要した豪華絢爛という言葉が似あう城だった。

 パッと見の外観は日本の城なんだけど、よく見てみれば要塞としての役割じゃなくて見栄えを重視した造りになっている。

 この黄龍城は、大和が内乱を乗り越えて平和になった後に建てられた城だから、機能性よりも権威を見せつける造りなんだろう。日本で言うところの江戸城的な? よく知らんけど。


「報告が終わったらとっとと戻ろうと思ってたんだけど、まさか数日待たされるとはなぁ」


 領地を治める貴族の当主が死ねば、国政に大きな影響が出る。公表するタイミングだって各所と相談しなきゃいけない。だから当主だった母が死んだことを黄龍城まで報告しに行くのは貴族としての義務な訳だが、肝心の皇帝陛下は今首都におらず、あと数日は戻ってこないのだとか。

 だから今の俺は黄龍城にある客室に泊まってるわけだが……まぁ暇だ。


「金は持ってきてるから、首都を散策するのも良いんだけど……」


 この金だって、将来の為の貴重な貯蓄の一部だ。無駄遣いはしたくない。

 だからこうして城の庭園を散策したりしながら、今後の方針を確認したり、練り直したりしてるわけだが、まぁ何事にも限度ってのはある。


「……そう言えば、この城にはメインヒロインも住んでるんだよな」


【ドキ恋】のメインヒロインであり、大和帝国の皇女である天龍院美春は、この世界に突然現れた主人公、御剣刀夜と出会い、護衛として雇用した人物であると同時に、原作ではこの俺、華衆院國久の婚約者でもあった人物だ。

 性格はとにかく勝ち気で意地っ張りな典型的ツンデレキャラ。そして貧乳。正直に言って個人的な好みからは外れているし、刀夜のハーレムメンバー代表みたいな奴だから関わらないようにしてたんだが、ちょっとくらい顔を見てみるのも良いかもしれない。


「言わば敵情視察って奴だな」


 何せ相手は大和帝国全土を巻き込む壮大なシナリオの中心的人物。顔を確認しておくだけでも価値はあるし、もし顔を見合わせることがあれば、無害アピールくらいはしても良いだろう。これから貴族を辞めるから関わることもなくなるんだろうけど、やっていて損はない。

 俺自身に悪評は立っていないはずだし、婚約話も持ち上がっていないから、悪くは思われていないはずだ。


「さて、そうと決まれば天龍院美春が良く居たっていう池の周りを……」


 その時、カランという硬くて軽い何かが石畳の上に落ちた……そんな感じの音が聞こえてきた。

 一体なんだろうと振り返ってみると、まず目に入ったのは誰かの足元に落ちている般若の面だ。留め紐が劣化して千切れてしまったのか、不格好に千切れた紐が付いた般若面の持ち主であろう人物は、クタクタに着古された灰色の着物を纏った小柄な女性だ。


「……あん?」


 皇族の居城である黄龍城で、襤褸の着物? 普通、城にいる人間というのは身なりがしっかりしているもんだろ。

 少なくとも貴族や宮仕えの人間じゃない。だったら使用人か何か? 


「……え?」


 そう思って顔を見て、俺は思わず固まった。理由は二つ。一つは、俺がその人物の事を原作知識として知っていたからだ。


「……て、天龍院雪那てんりゅういんせつな、皇女殿下……!?」


 俺は何とか敬称を付けて呼びながら、その場に右膝と右拳を地面に付けてひれ伏す。

 何を隠そう彼女……天龍院雪那はメインヒロインである春奈の腹違いの姉であり、大和帝国の皇帝の正室の娘……マジモンの皇女様であり、【ドキ恋】の登場人物だ。

 不意打ち同然に原作キャラと顔を合わせたことに慌てもしたが、それ以上に俺を驚かせたことがある。


 ……うっそだろ……!? 原作キャラって、実際に生で見るとこんなに可愛いの……!?


 抜けるような白い肌と、白桜のような淡い色の髪。どこまでも澄んだ濃い赤色の瞳。消えてしまいそうなくらい儚くて華奢な体だが、数年後には今は平たい胸が大きく膨らむことを、転生者である俺はよーく知っている。

 正直、原作ヒロインなんて見てもなんとも思わねーよって根拠のない自信を抱いてたけど、何だこれ? うまく言えないんだけどこう、下半身が凄いムラムラする。具体的にどこがとは説明しないが。


「お初にお目にかかります、殿下。俺……私は華衆院家嫡男、國久と申します。本日は皇帝陛下にご報告があって登城させていただいた次第です」

「あ、あの、顔を上げてください……私などにそんな畏まる必要は……」


 跪く俺を見てオロオロと狼狽えた声を出す雪那。鈴を転がすような聞き心地の良い声だ。声まで可愛いとか、もう反則だろ……!

 言われて顔を上げてみると、雪那は両手の指をこねながら真紅の眼の眉尻を下げて、所在なさげな不安そうな顔を浮かべている。不謹慎だが、そういう仕草にすら目を奪われる。

 もうね、メインヒロインの美春の事なんて頭から完全に吹っ飛んだ。雪那との出会いは、俺にとってそれくらい衝撃的だったのだ。  


 だって仕方ないじゃん! 原作キャラの中じゃ一番好きなキャラだったんだもん……!

 ストーリーはともかく、単体で見れば魅力的なキャラが多いのが【ドキ恋】というゲーム。その中でも俺が一番好きだったのが、何を隠そう天龍院雪那だ。

 そんな決して触れ合うことが出来ない空想上の人物だと思っていた相手が今目の前にいる……その興奮は、想像を絶するものがあった。 


「しかし私はあくまで臣下ですし、貴女は我が国の皇女です。敬意を表するのは当然のことだと思いますが」

「で、ですが……私などに跪くところを誰かに見られれば、貴方までよからぬ噂を立てられてしまいます。私は気にしませんから、どうか立ち上がってください」


 皇女とは思えないほど自己肯定感の低いセリフを聞いて、俺は彼女の境遇を思い出す。

 この国にはファンタジー作品の定番と言っていいモンスター……この国じゃ妖魔と呼ばれる人間にとっての敵性生命体が存在するんだが、その妖魔たちの眼が総じて血のように赤い事から、赤目の人間は忌み子だという根拠薄弱な迷信が蔓延っている。

 天龍院雪那は、大和帝国正妃の第一子として生まれながら、生まれついての赤目の持ち主だ。


 勿論、皆がそんな下らない迷信を信じている訳じゃない。しかし魔物の被害が多いこの世界では、そんな根拠のない迷信を信じ込んでいる奴が一定数居る。頭の痛い事に、貴族や皇族の中にもな。

 そうなれば、彼女の身に何が起きたのかは想像するのが容易だろう。特に権力者っていうのは醜聞を恐れる生き物で、忌み子の証である赤目の人間を庇い立てれば、自分たちまで風評被害に晒されかねない。

 だから雪那は、家族にも臣民にも疎まれ、終いには皇族の恥として黄龍城の片隅にあるボロい庵に押しやられた挙句、「その醜い目を見せるな」と仮面で顔を隠すことを強要された。


 しかしそこは流石にハーレム作品に出てくる美少女。主人公の行動によって雪那を見る周囲の目が変わっていき、立場が向上する兆しが見えたのだが……シナリオライターの性格の悪さが出ちゃったのか、後々とんでもない悲劇に見舞われた挙句に悪落ちして、最後には殺されるという、ハーレム主人公の刀夜ですら攻略できずに救えなかった、非攻略対象なのだ。

 人気も高かっただけあって、そのあまりに救いのない結末によって【ドキ恋】という作品の評価を真っ二つに割ったキャラである。大勢のプレイヤーから制作会社に非難の声やら、雪那生存ルートを求める声やらが殺到したものだ。ちなみに俺もちゃっかり雪那の個別ルート作れってクレーム入れてた。


「……ごめんなさい。私などと会ってしまったばかりに……さぞ不快だったでしょう……」


 促されて立ち上がると、雪那は本当に申し訳なさそうな声で謝りながら般若面を拾い上げる。それを聞いて俺は思った……そのセリフ、原作でも聞いたなって。

 主人公の刀夜にも似たようなシチュエーションで同じことを言ってたんだけど、ゲームじゃ刀夜はどんなセリフを言い返したんだっけ……? もう忘れてしまった。

 でも今ここで、何か言わなきゃいけない。そんな直感に突き動かされるがまま、俺は口を開いた。


「なぜ貴女が謝る必要があるのですか? 貴女は何も悪いことなどしていないではありませんか」

「……え?」


 出てきたのは紛う事ない俺の本音だった。特に考えて口にした訳じゃない。ただ本音で話さなければ、この人には響かないんじゃないかって、そう思っただけだ。


「殿下、貴女の話は私の耳にも入っています。確かに貴族ともなれば外聞を気にしなくてはならないでしょう。……ですが私から言わせれば、目の色一つでゴチャゴチャ言ってくる器の小さい連中に何を言われようと、痛くも痒くもないんです」


 確かに今のご時世、学説的根拠よりも迷信が信じられる傾向が強い。でもこちとら多様性社会で生きてきた元現代日本人の転生者だ。どこの誰が雪那を悪く言おうと、「だから何? 根拠と証拠は?」って感じである。


「それに、会って間もないのに言うような事じゃないと思うんですけど……自分に対する礼儀よりも、真っ先に私の進退を心配してくれた貴女は、他人を思いやれる心の持ち主だって、私はそう思いましたよ」


 人によっては卑屈だと感じるかもしれない。でもどんな形でも誰かに優しく出来るなら、それは悪い事じゃないはずだ。

 原作を知っているからとか、そういう話じゃない。こうやって実際に会って俺が感じたことをそのまま口にすると、雪那は目を見開いた。

 

「…………そのように言ってくれる人は稀です」


 そしてようやく申し訳なさそうな表情を崩した雪那は、眉尻を下げながら花が綻ぶように笑った。


「ありがとうございます、華衆院殿。貴方の言葉、本当に嬉しかった」

「……………」


 この時、俺の胸にでっかい矢が突き刺さるような衝撃を受けた気がした。そして下半身がとんでもなくムラムラした。具体的には言わないけど、とにかくムラムラした。

 その後、挨拶もそこそこに雪那と別れ、しばらく経ってからも、余韻が何時までも残り続けている。この感情の正体が分からないほど、俺は鈍感系じゃない。


「……やられた。してやられた」


 ぶっちゃけ原作キャラと深く関わる気なんてなかった。当初の目的通り、平穏に生きようと思ったらそれが一番だから。

 そりゃあ雪那は一番好きなキャラだったから、何らかの形で助けようとは思ったけど、その後はハーレム主人公様に丸投げする気満々だったんだよ。そうすれば後は上手くいくって。

 でもさ……美少女に性格の良さの片鱗を見せられた上に笑顔なんて向けられたら、前世含めて三十年以上は女子と接点の無かった童貞には効くんだわ。

 美少女の笑顔にコロッといっちまうんだから、男ってのは賢そうに振舞っても、結局は単純な生き物らしい。


「母上……今ならクズな夫でも待ち続けたアンタの気持ちが、少しだけ理解できるよ」


 恋愛っていうのは理屈じゃない……そう思い知らされた今日この時。悪役転生者の俺は、非攻略対象の皇女様に一目惚れしてしまったのだった。

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