第13話 アルストロメリアな君へ⑬

 桶屋君の覚醒とともに、私の頭に激痛が走る。


 強烈な痛みのために声を上げそうになったが、私は気力で口を閉じ、代わりに座っていた椅子から転げ落ちる。『虫の知らせ』なのはわかっている。だが桶屋君の覚醒直後に流れ込んできた情報量は今までに受け取ったものとは比較にならない。まるで情報の洪水だ。


「は、羽鳴さん!?」


 覚醒してすぐに私が椅子から転げ落ちたから、桶屋君は自分の状態よりも私を気にかける。大丈夫だと伝えたかったが、桶屋君に気を遣えるだけの余裕はなかった。流れ込んでくる映像を見る限り、高校生で体験する内容だけではない。高校を卒業した後、おそらくは大学を卒業した後の光景も垣間見える。しかもどの光景も私は桶屋君と行動をともにしている。映像には靄(もや)がかかったようにはっきりしないものばかりで、確定された結果というわけでもないようだ。とにかく私の頭を割らんばかりの情報がひっきりなしに流れ込んでくる。


「羽鳴さん!!」


 桶屋君は枕元にある黒縁眼鏡をかけてすぐに私の手を掴み取る。


 刹那、永遠に感じた情報の洪水は突如として終わりを迎える。

 そして最後に見せつけられた映像ははっきりとしたものだった。


○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

蝶子は風戸と結婚する


「なんでよ!」


 病室に響き渡るほどの声量で私は突っ込んだ。


「は、なりさん? その、大丈夫?」


 桶屋君の声には心配と恐怖が入り混じっていた。冷静に考えればその感情は当然で、目を覚ますと病室に安置され、すぐ隣にいた女子が頭痛を起こし、挙句に大きな声で「なんでよ!」である。平然としている方がどうかしている。


 でも今はどう思われていようと関係ない。こっちは将来設計に大きな変更と確定が設定されたところなのだ。


「なんで、なんで私が、そんな……」


 頭を抱えながら私は椅子に座り直す。頭痛は驚くほどあっさり引いてしまい、残ったのは大量の冷や汗と今後どうするべきなのかという悩みだけだ。


「痛む? もしかしてあの後、梶谷君が何かしたのかな?」


 桶屋君の言う梶谷というのは彼を刺した男のことを言っているのだろう。彼は刺された後の記憶がそのままになって、あれから日が経っていることに気づいていないようだ。


「そのことなら心配しないで。あなたを刺した男は逮捕されたから。私も無傷。あなたのおかげでね」


 私は桶屋君にこれまでの事情を説明した。入学式に私と会った後、彼が腹部を刺され緊急搬送後にそのまま手術をしたこと。事態が完全に落ち着くまで一日が経過したことまで。全部の説明を終えた後、桶屋君は放心状態になっていた。


「そう、なんだ。あれから一日経ってたんだ。あまり実感が持てないんだけど」

「刺されたお腹は痛くないの?」

「痛いね。少し」

「じゃあそれが証拠よ。ちゃんと実感してちょうだい。手術は成功したから心配しないで。臓器も無傷だし、上手くいけば一週間で退院できるんだって」

「僕が大丈夫なのはわかったけど、羽鳴さんの頭痛が心配だよ。本当に大丈夫?」

「……大丈夫、痛みは引いたみたいだから」


 桶屋君に心配されるのは何か違う気がするが、確かにそれどころではなかった。何しろ見てしまった。受け取ってしまったのだ。途中経過はわからない部分が多いので、変更可能ではあるが最後にはっきり見てしまったあの結果は何をどうしても変更ができない。


 ただ、あやふやになるであろう私の高校生活に一つの指針ができた。


「どうにも上手くいかないわね、本当に」

「上手く?」

「高校に入学してから本当に面倒なスタートを切ったなって」

「それって、僕のせいかな?」

「半分はね」

「そう、だよね……」


 見てわかるくらい落ち込む桶屋君に、私は右手を差し出す。


「でももう半分は私自身のせいだから、これから私のできる範囲であなたと向き合うつもり」

「向き、合う? それって」

「私は高校生の間に桶屋君、あなたと本当の意味での友だちになるわ。でもそれ以上の関係はお断りするから、そのつもりで」

「友だち!? 友だちで止まっちゃうの!?」

「あなたに拒否権ないから。とりあえずこれからよろしく。私は羽鳴蝶子。羽が鳴る、蝶の子と書いて羽鳴蝶子よ」

「横暴だ!」

「そうよ! こんな横暴納得できないもの! 私は私のやり方であなたとのこれからを変えてやるから」

「何の話をしてるのさ!」


 こうして私、羽鳴蝶子と桶屋風戸は再会した。今のところ『虫の知らせ』に振り回される人生は継続中だけど、見た結果に怯えることだけは止めて行こうと思いつつある。

 そう思わせてくれたのは間違いなく、自分が傷付いても私を助けようとしてくれた桶屋君。だから彼のとの関係は恋愛絡みにならない程度に継続していくだろう。


 ナイトチェストにはもう一つ桃色の花が活けられた花瓶が置かれており、美しく咲く花が風で揺られている。その花は入学式の時に私たち新入生が胸に付けていた花と同じものだ。まるでこれからの私や桶屋君に、頑張れと告げているようで少しだけ気恥ずかしくなった。

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蝶の羽音は、桶屋に恋の風を生む suiho @togekuribo

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