第5話 アルストロメリアな君へ⑤

 さかのぼること3年前。当時中学に上がったばかりの僕は小学校の友だち全員と離れ離れになってしまい新たなクラスにも馴染なじめず、内気で嫌なことを嫌と言えない優柔不断に笑う子どもだった。家庭はそれなりに裕福で、小学校までは両親と家にいることが多かったのだが、僕が中学に上がったことで制限していた海外出張を解き、今ではほとんど家に帰って来なくなっている。元々父さんと母さんは総合商社に勤めている関係で国外での仕事が多く、家にいない分僕に必要なだけのお金と食事と娯楽を与えてくれた。


 羽鳴さんとの出会いは体育の授業後のこと。当時の僕はとにかく運動が苦手で入学式を終えた四月中盤の体育は器械体操を中心としたマット、鉄棒、平均台、跳び箱を使った運動がメインだった。最初の授業だったので新入生たちの運動能力を見るだけの軽い形式だったそうだが、そんな軽い運動ですら全身の毛穴から汗がにじみ出るほど僕にとっては大変な授業だった。


 体育の授業が終わり、独り体育館から教室に戻っていると一人の女の子が僕に声をかけた。その女の子こそが羽鳴さん。声をかけられた時点では接点もなかったので、突然の呼びかけに僕は大いに驚いた。緊張しながら「何か用?」と返すと開口一番に彼女はこう言った。


のろい男は嫌われるわよ」


 羽鳴さんは真剣な表情で僕に注意したのだ。両親に怒られているようにも思えて、僕の心と体は萎縮していった。ちなみにこの時、僕は羽鳴さんの名前すら知らなかったので本当に困惑することしかできなかった。


「えっと急になんなのかな? 体操服着てるってことは同じクラスだよね? 同じ時間帯に別のクラスで体育することあんまりないし」

「今は私のことなんてどうでもいいでしょう? それよりさっきの私の忠告、どう思った?」

「えっと、鈍くて、ごめんね? 僕何かしたかな? 確かに鈍いのは事実だけど」

「……そこ、笑うとこ?」


 いつもの優柔不断な笑みを浮かべ、羽鳴さんは眉間にしわを寄せる。


「笑っていれば何もかも水に流されるわけでもないのよ? そのままのあんたじゃきっとこの先辛いことになる」

「体育の、授業より?」

「体育なんて目じゃないくらいに」


 何を根拠に彼女は僕に関する先のことを言ってるのか、この時はわからなかった。きっとどこかで僕の態度が気に食わなくなって叱りに来たのだろうと勝手に解釈し「それはいやだなぁ」と悪癖の笑みを表に出す。忠告も無視して口角を上げる僕に溜め息を吐いて、羽鳴さんは背を向けて遠ざかっていく。


「最後通告。そのままだとあんたは絶対に不幸な目に遭う。でもそれはあんたの性格にも問題があるからよ。次はないわ」

「そんな言い方、ないよ」

「そのなんでも諦めた声と目が気に入らないって言ってんの。でもまあ私には関係のないことだからあとは勝手にどうぞ」


 最後まで、僕は彼女の忠告の意図をくみ取れずその場は収まった。しかしその数日後に僕は彼女の忠告の意味を嫌というほど知ることになる。


 四月下旬。僕はこれまでの受け答えや性格のこともあって、同じクラスの男子たちにいびられるようになった。

 最初は靴や文具を隠されたりするのから始まり、僕が何も言わないと知るや今度は学生鞄の中を物色し、僕の所持品を自教室以外の他教室に隠したり、机に並べたりと日に日にエスカレートしていった。その他にも机の中にゴミを押し込まれていたりと意地悪の内容も悪質になっていった。直接手を出されることはなかったが、陰湿になっていく彼らの戯れに僕の精神は確実にすり減っていた。両親に悩みを打ち明けたいと何度も思ったが、二人の仕事が海外を拠点に行われるためほとんど家にいない両親に心配させまいと、僕は同級生からの仕打ちを耐えるしかなかった。


 いつの日か僕は学校に行くことも億劫になっていて、何もできずにされるがままの自分にさえ嫌気が差し始めていた。

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