第2話 アルストロメリアな君へ②

 全員分の自己紹介が終わると、担当教師は「本日はここまで」と自主解散を告げて教室を出た。先生曰く「この後、会議がある」のだそうだ。

 時刻は11時30分。自由を手に入れた新入生たちは同じ中学からやって来た者同士で集まったり、校内で待っている親の元へ急ぐ者もいたりで様々だった。中には初対面にもかかわらず、果敢に同級生たちに話しかける猛者もいた。

 望んだ学び舎で学べる嬉しさや、この先に待っている高校生活に期待を抱いていることは一目瞭然いちもくりょうぜん。だが今の私にそんな前向きな気持ちは微塵みじんもなかった。

 私の心にあるのはただ一つ。孤独に、静かに過ごすこと。


「……入学早々、風邪引いても良いことはあるんだ」


 視線の先にいるのは四人の男子たち。楽しそうに笑い合いながら教室を後にしようとしている。その内の一人が大きなくしゃみをした。周りの三人がくしゃみをした男子に「大丈夫か」と面白半分で心配している。

 ただしその心配は的中でくしゃみをした彼は数日後、風邪を引いて最初の授業に出ることは叶わない。

 何故そんなことが断言できるのか。それは忌々いまいましい私の呪いのような力にある。

 私は幼い頃より人の起こす「小さな動き」から派生して起こる「大きな結果」をその途中経過まで知ることができる。さっきまでのことを例に挙げよう。


四人組の一人、男子Aがくしゃみをする

男子A以外の男子たちが風邪を引いたと決めつける

風邪ではないと言い返すために、男子Aは自宅の浴槽に冷水を溜め全身つかる

冷水につかったことが原因で男子Aは風邪を悪化させ、最初の授業に出席できなくなる

最初の授業から三日経ってから出席するも、仲の良いグループはでき上がった後で孤立

孤立している彼を心配して同じクラスの女生徒が話しかける

二人は最初の会話をきっかけに友人になり、恋人になる


 こんな感じで一見なんのつながりもない小さな行動が、巡り巡って大きな影響を及ぼすことはしばしばある。私はそんな一連の流れを見ることができるのだ。音のない動画を見るようなもので、今回みたいに良い結果に落ち着くこともあるけど、基本的には悪い結果しか見ないので、悪意も込めて『虫の知らせ』と呼んでいる。

理由は一度『虫の知らせ』を見てしまうと、見た結果から逃げることも変えることもできないからだ。


 幼稚園児の頃、動物園への遠足当日に友だちが新しいくつを履いて来たためにけがをする『虫の知らせ』を受け取ったことがあった。これが初めての『虫の知らせ』であったため、私は友だちに「新しい靴で遠足に行かない方が良い」と教え、その理由まで説明した。だが友だちは事前に外行き用の靴を新調していたこともあり、私との言い合いの末、私の忠告を無視して遠足当日に新しい靴を履いてやって来た。動物園に到着し園内を散策している間は誰一人危険な目に遭うこともなく、最初の内は友だちも私も遠足を存分に楽しんでいた。時には私の忠告に対して「嘘つきだ」とからかう場面もあったくらいだ。

 だが遠足が終わり幼稚園に戻った後、自分たちのクラスに戻る途中の階段で友だちは段を踏み外して転んでしまった。原因は新調した靴をみんなに自慢するために動物園内を走り回り、溜まった疲労から足を上げる力が足らず段差に足を引っかけたことにあった。


 幸い友だちは高さの低い場所で、なおかつ前のめりに倒れ込んだこともあって、顔と足を痛めるだけに終わった。ただ友だちはその一件以来、私のことを気味悪がって卒園するまで近づくことはしなかった。

 未来に起こる不幸を事前に知り、他者に伝えた私は友だちからすれば悪魔か妖怪に近い存在に見えたのかもしれない。


 幼稚園で『虫の知らせ』を経験して以来、私は幾度となく避けようのない未来の不幸を見続けた。毎回見る理不尽な結末に負けたくない一心で、何度も『虫の知らせ』に抗ったが、回避できたことは一度もない。その中でも私の心をくじいた決定的な出来事が『虫の知らせ』が家族にもその影響を与えたことだった。


 私の父、羽鳴源五はなりげんごと母、すずめは町の定食屋を営んでおり、平日でも予約を入れないと一時間待ちになってしまうほど人気だったりする。もともと宿泊業界のレストラン部門に席を置いていた二人は職場結婚し10年目に退職後自分たちの店を経営し始めた。食品管理から調理までを父が、接客と会計を母が担当しており、お店が大繁盛している時は私も配膳と接客を手伝っていた。


 そんな両親は自他共に認める親馬鹿で、私に関するイベントは必ず店を閉めて参加している。私が中学に上がった時も、入学式出席のため店を閉めることを話し合っていた時に『虫の知らせ』が流れ込んで来た。


蝶子の入学式当日、天候は雨で雨脚は強まる

源五と雀は身支度を整え店の戸締りをする

家を出て玄関の鍵をかけている時に二人の後ろからワゴン車が突進する

定食屋の玄関に突っ込み店舗は半壊


 今でも鮮明に思い出される。当時『虫の知らせ』を受けた直後の私は目の前が真っ暗になり、立つこともままならないほどの気持ち悪さを覚えた。私の異常を目の当たりにした両親は全身の血の気が引き、小刻みに震える私の身を案じてくれたが、両親の心配を無視して私は大声を上げて懇願した。「一生のお願いだから入学式には来ないでくれ」と。もちろん二人は「何故だ」と尋ねた。なりふり構っていられなかった私は『虫の知らせ』のことを包み隠さず伝えた。このままではお店も二人も危ないと。必死の説得に父も母も「わかった」と答えて私の入学式には行かないことも約束してくれた。幼稚園児の頃と違い、言い合うこともなく両親は私のことを信じて行動してくれたのだと心底から安心した。


 そして入学式当日。朝からバケツをひっくり返したような雨の中、私たちの定食屋にワゴン車は突っ込んだ。父と母が出かけようと玄関の戸締りをしている最中に。原因は運転手の居眠り運転。大雨の影響で地面が濡れブレーキも効きづらくなっていたので、気づいた時には店に突撃していたそうだ。


 この事故のせいで、母は帰らぬ人となった。


 お店の修繕はひと月ほどかかり、両親が入っていた保険や事故を起こした会社からの修繕費もあって店の被害は最小限に留まった。しかし私が負った心の傷はお金で埋まることは決してなかった。入学式中に事故のことを教員から聞き、急いで家に帰ってみると無残な店の惨状と放心状態の父の姿があった。車の突進に直前で気づいた母が父を押し倒したことで父は助かったのだが、目の前で大切なものを失った父は立ち上がる気力すら残っていなかった。『虫の知らせ』があったにせよ、私の言葉を信じてくれなかった父を糾弾したかったが、大事にしていた母とお店を一瞬で失くしてしまった哀れな父を見て私はただ黙って涙を流すしかなかった。


 こうして『虫の知らせ』に抗うことはできないと骨の髄まで思い知らされてからは、他人はもちろん父とも距離を取るようになった。母が存命だった時は明るく元気でおしゃべりな性格だった父も、今はお店をする時だけ挨拶をする寡黙な人になってしまった。私と一緒にいる時も「ああ」とか「うん」しか返さないので、距離を取りたい私としては好都合なのだが、お店にやって来る常連さんからは父の変わりように驚きと憐みの声をあげていた。


 私はというと、中学では友人を作らず帰宅部で家に帰っては勉強の毎日。志望校には受かれたが枯れた中学生活を送る羽目になった。もちろん私だっていろんな友だちを作って、部活や学内イベントや休日の外出、たくさんの楽しい思い出を同年代のみんなと分かち合いたかった。でも万が一にも友だちになった人たちの生死に関わる『虫の知らせ』を受け取り、取り返しのつかない運命を知ってしまえば、私は二度と立ち上がることができない。そう考えるだけで私は迂闊うかつに他人と接触することができなかった。友だちになろうと近寄ってくれた女の子たちを無下に断るたび私の心は痛み、彼女たちから発せられる「あの子には近づかないでおこう」という声に涙しそうになった。


 それでも母と同じ過ちを繰り返さないため、私は他人の人生に介入しないよう努めた。そんな唯一の抵抗が功を奏したのか、父を含めた私の周りに関する『虫の知らせ』は見たことがない。せめて父だけは何事もなく平穏無事に生きていてほしいのだが、『虫の知らせ』が起こってしまえば何かあっても私にはどうすることもできない。この後の人生はとにかく何事もなく終わってほしいと切に思う。


 よって高校生になっても他人とは極力不干渉。誰ともつながらず誰とも交わらない。ただしそれだけ守っていれば、平穏無事な毎日が待っているのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る