第7章 学園都市メルキス編 第3話(7)

 そうして、ゲルマント達が書庫で資料調査に取り組んでいた頃。

 クラウディアとサリューは、学園の敷地内にある大聖堂を訪れていた。

 眼前に聳え立つ聖堂は、神聖不可侵の雰囲気を醸し出している。この場所の歴史と、そこを治める人の心性を思い返しながら、クラウディアとサリューは扉の前に立っていた。

「いよいよね。クレア様、変わりないのかしら」

「ああ、あまりお待たせするのも失礼だ。行こう」

 短く言葉を交わし、クラウディアは両手で、厚い木造の扉を押し開けた。

 ギイ、という重厚な音と共に扉は開き、聖堂内の様子が目に入ってくる。

 扉の真正面には説教台と、装飾の無い白色透明のステンドグラス。そこに続くように、両側に並ぶ木造のベンチの間の白石造りの道がある。広い空間を満たすのは、祈りを捧げる人々の願いを秘めた神秘に満ちた静寂と、敬虔な信心の空気を照らす清澄な光。

 神秘の静寂に満ちるその建物の奥正面で、ガラス越しの光に祈りを捧げていた女性が、訪れた二人を迎えるように立ち上がり、ゆっくりと振り向いた。

「来ましたね……クラウディア、サリュエリス」

 穢れを知らない処女天使のように白い肌に、荒野に映える芒のように白い髪。向けられる銀色の瞳は、この世ならざるものを見通すような、さながら神界の者のそれ。

 薄幸の色を纏う《六星の巫女》の一柱、《白明の光星》シンクレア・セフィールに、クラウディアとサリューは揃って目礼を返しながら、聖堂の中へと足を踏み入れた。

「お久しぶりです。クレア様」

「随分長いことご無沙汰してました。お変わりなさそうでよかったわ」

「ええ。私は何も変わっておりません。この聖堂を守護するだけの身ですから」

 そう言いながらシンクレアは二人を見て、娘の成長を喜ぶように柔らかく微笑んだ。

「あなた達は立派な女性になりましたね。瞳を見ればわかります」

「光栄です。再びこうしてお目見えできること、恐悦至極に存じます」

 礼を返すクラウディアの傍らで、サリューは流れを探るように言葉をかける。

「私達が来ることは、もうわかっていたみたいね」

「ええ。学園長から事前に伺っておりました。《先見の明》を用いるまでもありません」

 そう言いながら、シンクレアは不穏なものでも視るかのように、微かに眉を顰めた。

「どうやら、良からぬものも近づいてきているようですが」

「え……?」

 その言葉に虚を突かれたクラウディアとサリューを前に、シンクレアは端然と言った。

「クラウディア、サリュエリス。再会を喜びたい思いも山々ですが、時はそれを許さないようです。積もる話は、あなた達が運命の嵐を乗り越えてからに致しましょう」

 シンクレアのその言葉に、何かを察したサリューが訊いていた。

「クレア様……もう、何か見えているの?」

「ええ。あなた達の動きに連なる、大いなる運命の流れを感じます。女神と王の秘跡に触れようとする、傷付いた時を追う人の思惑……あなた達がまさにその渦中に巻き込まれていることも」

 それに答え、シンクレアは未来を見通すような瞳をクラウディアとサリューに向けた。

「あなた達がここを訪れたことも、必然なのでしょう。時間はあまり多くはありません。あなた達が知るべきことを私が与えられるよう、あなた達の現状を教えてください。至るべき真実への足掛かりを掴む……あなた達はそのために来たのでしょう?」

 シンクレアのその言葉に、クラウディアとサリューは揃って脱帽する思いになった。

「全部お見通しか。さすがはクレア様ね」

「ああ、そうだな。こちらも話が早くて助かる」

 そして、その端緒に乗るように、訊くべき話を切り出した。

「クレア様。お伺いしたいことがございます。この王国に渦巻いている運命の流れについて、女神の遺志と共にこの王国を見守って来た、あなたの知見をお授けください」

 クラウディアのその言葉に、シンクレアはある一つの問いを投げた。

「それは、あなたがセレニア・イグニシアの娘として知りたいことですか」

 その問いかけに、クラウディアはわずかに思案した後、毅然として答えた。

「それもあります。ですがそれ以上に、王国の人々の平和を守る自警団員として……私の果たすべき責務として、知りたいことです」

 真っすぐに見つめてくるクラウディアの視線に、シンクレアはふっと表情を緩めた。

「善い目をするようになりましたね。その凛とした瞳の光、まるでセレニアのよう」

「クレア様……」

 言葉を失ったクラウディアの意志を受け取ったように、シンクレアは言った。

「良いでしょう。まずはお話しなさい。あなた達が立つ渦中のことを」

 その言葉に、心中の決意を一層強くしながら、クラウディアは話した。

 王国の水面下で進む《魔戒計画》と、それを阻止するために自分達に託された、アルベルト・ハインツヴァイスからの密命のことを。

「そうですか……アルベルトが、そんなことを……」

 一通り話を聞き終えたシンクレアは、彼らの過去を知る者として、小さく息を吐いた。

「お世話になったクレア様に心配をかけるなんて、アルもつくづく罪な男ね」

「良いのです。彼もまた忠義の士。思う所があるのでしょう。あれから今までずっと、あなた達を守り続けていたこと……私は、息子に等しい彼のその志を誇りに思います」

 憂いを帯びた表情に頬笑みを浮かべた彼女に、クラウディアは恐れながらも訊いた。

「クレア様は、何か……そういったものの気配をご存知でしたか?」

「明確には。ただ、王国全土を覆うような動乱の気配は、薄々感じていました」

 シンクレアのその言葉に、クラウディアとサリューの関心が向く。

「具体的にどんなものを感じていたか、訊いてもいいかしら。クレア様」

 サリューの問いかけに、シンクレアは静かに目を閉じると、心の内に浮かんで見えるイメージを探るように、言葉を口にした。

「天の嘆き……地底の蠢き……因果の収束……悲願の渦……そして……」

 最後の言葉を口にしようとしたその時、シンクレアは光に打たれたようにハッと目を開いた。茫然とした様子のシンクレアに、クラウディアが窺う声をかける。

「クレア……様?」

 その声が耳に入るか入らないかの内に、シンクレアはふいに眦を険しくした。

「どうやら、来てしまったようですね……ゼノヴィア」

「え……」

 そして、状況を把握できていないクラウディア達に、シンクレアは言った。

「クラウディア、サリュエリス。その身に課された運命に立ち向かう覚悟があるのなら、ここに残りなさい。使命を果たそうとするなら、あなた達は彼女と対面する必要がある」

 強い語調で告げるシンクレアに、サリューが状況を確認するように訊いた。

「何が起きたの、クレア様」

 サリューのその問いに、シンクレアは険しい目つきのまま背後を振り向き、光の差し込むステンドグラス越しに天を見上げて、切迫した語調で答えた。

「ゼノヴィアがこのメルキスを訪れたようです。彼女の狙いはおそらく、この私です」

 シンクレアのその言葉に、クラウディアとサリューは即座に状況を呑み込む。

《墜星》の、六星の巫女を狙った攻勢が、再び訪れたのだ。それも今回は本丸が直々に。

 向こうはここで、本丸が表に出るその危険性に見合うだけの何かをしようとしている。それが今回の計画についても大きな意味を持つであろうことは、容易に推測できた。

 であるならば、こちらもそれに対応するために動かなければならない。計画の進行に後れを取らないためにも、何より、自警団員として、町に被害を出さないためにも。

「クララ……どうするの?」

 決断を迫るサリューの言葉に、クラウディアはその真意を確かめるようにシンクレアに訊いていた。

「クレア様。もしもゼノヴィア様がこの町の人々に害を為すおつもりなら、私は自警団の人間として、ゼノヴィア様を止める義務があります。それをご承知の上で、ここに留まれと仰られたのですか」

「そうです。あなた達は己が向かうべき真実を探すためにここに来たのでしょう。であれば、彼女――ゼノヴィアから話を聞くことが何よりもその目的に適うはずです。彼女は今この王国を覆おうとしている《因果の渦》の中心にいる一人ですから」

 平然と答えたシンクレアは、それに、と付け加えるように言った。

「ゼノヴィアに余計な被害を出す思惑はありません。周囲が邪魔をしなければ、ですが」

「そっちの方を早く言って、クレア様!」

 サリューの声を背に、クラウディアは自警団のリーダーとして間髪入れずに決断した。

「クレア様、失礼いたします。私は皆の前に立たなければなりません。外の危険を放っておいたまま、ここで時を待つことはできません」

 クラウディアのその言葉を聞いたシンクレアは、その意志を肯定するように言った。

「そうですか……それがあなたの意志であるならば、私は止めません。それに、道中の被害を食い止めようと動くのであれば、いずれゼノヴィアに相対するのは自明です」

 そして、戦地に赴こうとする二人の娘に、忠告するように言った。

「ただし、ゼノヴィアは強敵です。対面する際には、くれぐれも注意を」

「ええ。事を片付けたら、また戻って来るわ。その時には、落ち着いて話を聞かせてね」

 サリューの言葉とクラウディアの瞳に、シンクレアは勇気を与える眼差しを返した。

「あなた達の意志、確かに承りました。行きなさい、二人とも。どうか無事で」

「はい……失礼します。行くぞ、サリュー」

「ええ。クレア様も、無事でいてね!」

 聖堂を飛び出した二人の背中を見送りながら、シンクレアはその成長に想いを馳せた。

(運命を坐して待つのではなく、己の身を以てその流動に立ち向かう……貴女に似て、逞しい子に育ちましたね……セレニア)

「天央の女神よ……どうか、彼女達に、今少しの時の猶予を……」

 そして、大窓越しに降り注ぐ光の向こうに揺蕩う女神の懐に、二人の無事を祈った。

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