第7章 第3話

第7章 学園都市メルキス編 第3話(1)

 セイランド学園長と事情を話し合い、学園長室を出た後。

 一行はカルル、リヴ、ゲイツの三人に先導され、聖堂学園の学生食堂を訪れていた。

「ここなら落ち着いて席が取れるし、皆も雑談の中だから邪魔は入らない。皆さんは朝もまだということでしたし、よければ軽く食事でもとりながら話しましょう」

 カルルのそんな提案を受け、一行は会議前に三人と共に学食で軽食を取ることになった。皆が食事を取りに行く中、クランツはルベールとセリナに軽い注文を出して、皆が戻るまでなぜか同じようにその場に居残ったエメリアと共に席番をすることになっていた。

「はぁ……」

 そんな訳で席番をやることになったクランツは、机に突っ伏して重い息を吐いていた。昼時の近づいている学食は、授業の合間を過ごす学生達の歓談の声で朗らかに賑わっていた。

「どうしたんですか、クランツさん。お顔の色が晴れませんねぇ」

 対岸に座るエメリアの言を受けてようやく顔を上げたクランツは、不満も露わに言った。

「別に、そういうわけじゃないけどさ……」

「でもでも、随分思い詰められてるようにエメリアちゃんには見えますよぉ。心配ですぅ」

 不可思議とばかりに言うエメリアの言を、クランツは真っ当なものだと思う。

 事実、先程の場ではクラウディアとカルルが親しげにしていた、それが気に障ったのだろうと事情を知る人なら感じるだろうとクランツは思うし、実際そういう側面もあった。

 だが、今回に関しては、クランツの懊悩の直接的な原因は、クラウディアではなかった。

(エメリア……さっきのあれは、いったいどういうつもりだったんだ……?)

 自分の味方を公言するエメリアが、カルルとクラウディアの間を取り持つような行動を取ったこと。一時的なことではあるが、この時のクランツの心中はクラウディアではなく、エメリアのことで占められていた。

(カルルとクラウディアの間に入るなんて……彼女は、僕の味方じゃなかったのか?)

 彼女はいったい、どういう意図であんなことをしたのか。これまでに彼女が見せて来てくれた支持の態度があるだけに、クランツの中でその疑念は大きくなってしまっていた。

 懊悩に囚われるクランツの元に、当のエメリアが首を傾げながらこちらを覗き見てきた。

「変ですよぉ、クランツさん。何かお気に障ることでもありましたか?」

 対岸の席にちょこんと腰かけながら伺ってきたエメリアに、クランツは思わず抗議した。

「君が変な態度を取るからだろ。さっきの、いったいどういうつもりなのさ」

「別に変な意図なんてないですよぅ。ああでもしないと場が固まっちゃいそうでしたし、そうなったらカルルお坊ちゃまのペースのままになっちゃうでしょう?」

 説得するようなエメリアの言に、クランツは信を得るために訊き返した。

「じゃあ、さっきのあれはカルルから話の流れを取り返すための演技だったってこと?」

「当たり前でしょぉ。エメリアちゃん、こう見えて意味のないことはしない女なんですよぉ」

 そう言うと、クランツの心中の懊悩を見て取ったエメリアは、悪戯っぽい眼をしてみせた。

「もう、変に勘繰っちゃって。クランツさんったらそんなにエメリアちゃんのことが気になっちゃうんですかぁ? その気もないのに純情なクランツさんを誘惑しちゃうなんて、エメリアちゃんも罪な女ですねぇ。自分の魅力が怖いですぅ」

「だから話を膨らませすぎだって。別にそういうんじゃ……」

「やあ。随分仲がいいんだね、二人とも」

 おどけるエメリアと音を上げるクランツの間に、当のカルルが割って入ってきた。

「あらぁカルルお坊ちゃま。ご機嫌麗しゅう♡」

「こちらこそ。それより、君とちゃんと話したことはなかったな、エメリアちゃん」

 エメリアの対岸に腰かけたカルルは、不敵な笑みを浮かべながらエメリアに言い寄った。

「ハーメスで少し顔を見た程度か。随分とお喋りなんだね、楽しそうな子だ」

「お前……!」

 クランツが声を上げかけた途端、エメリアの笑顔と視線が酷薄なものに変わった。

「あらぁ、いいんですかぁ? お嬢様やクランツさんを差し置いて、エメリアちゃんに色目をかけるなんて。お嬢様とエメリアちゃんの二股なんて、首が飛んでも知りませんよぉ?」

「エメリア……」

 豹変したエメリアに怖気を覚えるクランツの前で、カルルは参ったように笑ってみせた。

「はは、随分と警戒されてるみたいだね。別にそんなつもりはないよ。ただ、君も随分とクララさんと親しい間柄みたいだし、彼女に協力するなら親睦を深めたいと思っただけさ」

「ホントですかぁ~? エメリアちゃん、こう見えて男の方には厳しいんですよぉ。あなた、な~んか信用できないんですよねぇ。裏に何かありそうって、エメリアちゃんのセンサーがビンビンに反応してるんですぅ。それを表にしてくれない限り、エメリアちゃんはあなたを心から信用なんてできませんからねぇ」

 警戒心を露わにするエメリアに、カルルは観念したように軽く息を吐くと、言った。

「やれやれ、それは残念だな。ただまあ、君がその気なら信じてもらえなくても仕方ない。たとえ君の信用を得られなくとも、僕は王国とクララさんを守るために行動するよ。そういう意味では、君とも足並みは揃えることになると思うから……と思ってたのだけどね」

 その言葉に含みを匂わせるカルルに、エメリアはその真偽を問うように訊いていた。

「カルルお坊ちゃま。あなたはどうしてそこまで、クララお嬢様にこだわるのですか?」

 エメリアの問いに、カルルはわずかに思案顔になった後、答えた。

「そうだね……とても一言では表せない想いから、という所かな」

「一言で、なんてエメリアちゃんは一言も言ってないですけどぉ?」

 その言葉に微かな表情の揺らぎを見せたカルルに、エメリアは探るように言った。

「あなたがクララお嬢様にこだわる理由……単なる恋慕の情だけじゃないんですね?」

「さあ、そこはご想像にお任せするよ。彼女の傍に常にいたいのも事実だけれどね」

「ホントですかぁ~?」

「おいおい、そこまで疑われちゃ敵わないな……ならそうだな、ヒントをあげよう」

 エメリアの執拗な追及を躱すように、カルルは言った。

「この聖王国の王子である僕が、クララさんを狙う理由……何が思い当たるか、考えてみるといい。君達の考えが正しければ、そこには僕なりの正当性があることがわかるはずだ」

「カルル、お前……!」

 思わず声を上げかけたクランツを前に、カルルは食堂の呼出器に目を遣って言った。

「おっと、膳ができたみたいだ。取りに行ってくるよ」

 そう言って席を立ったカルルは、去り際にエメリアにこう言った。

「あまり警戒はしないでもらいたいな。僕も彼女を助けたいと思ってるんだから」

 そう言い残して去って行ったカルルの背中を睨みつけながら、エメリアは零した。

「むぅ~、やっぱり怪しいですぅ。エメリアちゃん、やっぱり好きにはなれませんねぇ」

「エメリア……それもあるけど、さっきの……」

「カルルお坊ちゃまがクララお嬢様を狙う理由、ですか?」

 即答したエメリアに頼もしいものを覚えつつ、クランツは頷いた。

「うん。それ……どういうことだろう?」

「そうですねぇ……額面通りに捉えるなら、カルルお坊ちゃまが王子様なのは事実です。それにさっきの言い方からすると、お嬢様のご身分がそれに一枚噛んでるみたいな言い方でしたねぇ」

「クラウディアの、身分……」

 エメリアの言葉に、クランツは思案する。

 王族であるカルルことカール王子が、六星の巫女の娘であるクラウディアに拘る理由。

 カルル当人やエメリアの言う通り、両者の間に何らかの関係性がありそうな所まではわかるのだが、その時のクランツにはそれを直接の繋がりとして見出すことはできなかった。

(この国の王族と、六星の巫女……それが、あいつがクラウディアに拘る理由なのか?)

 確認出来る限りのその事実を、クランツは理解はできるが、納得ができない。

 何か、引っ掛かる。

 パズルのピースが一つだけ欠けているような、あるいはいくつもの点が線で結ばれそうなその一歩手前に、それらを繋ぐ何かが足りない、見えていないような感覚を覚える。

(もどかしいな……いったい、何が足りないんだ……?)

 自分が気付かない内にカルルの魔の手がクラウディアに迫るような錯覚を危惧するように、クランツはいよいよ頭を悩ませた。

 だから、対岸に座るエメリアが嬉しそうな笑みを浮かべてこちらを見ているのに気が付くのが、少し遅れた。

「な……何、どうしたの?」

「いえいえぇ。クランツさんも随分成長なさったなぁと思ってたら、何だか嬉しくって」

 喜色の笑みを浮かべるエメリアに、その真意を測れないクランツは気分を乱された。

「からかうなよ。こっちは真剣なんだから」

「あらぁ、心外ですねぇ。こう見えてエメリアちゃんだって真剣なんですよぉ。こんなに近くで熱心に応援してるのに、クランツさんったらいつまで経ってもいけずぅなんだからぁ」

「だったら少し静かにしてくれよ。何かが繋がりそうなんだから……」

 絡みつく言葉を払い除け、思案に戻ろうとしたクランツに、エメリアがふいに言った。

「何をお考えか想像がつきますけど、たぶん、今のクランツさんではそこまで繋がらないというか、まだ辿り着けないと思いますよぉ」

「え……」

 呆気にとられたクランツに、エメリアは、クランツさん、と説いて訊かせるように言った。

「クラウディアお嬢様は、元々からお一人ではありませんでした。アルベルト様やサリューさん、王都の自警団の皆さん、そして旧知の使徒の皆さんに六星の巫女様方……お嬢様はたくさんの方の愛と絆に守られて、ここまで歩んでこられました。憚りながらクランツさんは、お嬢様の歩まれてきたその道を、お嬢様の辿って来た歴史を、まだ十分には知られていません。お嬢様の過去の一切を引き受けるには、クランツさんはまだ、お嬢様のことを知らない」

「そ、それは、確かにそう、だけど……」

 現実を突きつけられ揺れるクランツに、エメリアは軽く追い打ちをかけた。

「お嬢様も一人の女性ですから、人の全てを知ることなんて誰にもできませんけど……少なくともお嬢様には明らかに抱えておられるものがあります。それを明らかにしないことには、クランツさんもカルルお坊ちゃまも同じ位置と言わざるを得ませんねぇ」

「う……」

 目の前で戸惑いを見せるクランツの瞳を、けど、と、エメリアは魅入るように見つめた。

「だからこそ、あなたは特別なんですよ。クランツさん」

「え……」

 当惑するクランツの瞳を覗き込みながら、エメリアは語った。

「今まであなたみたいに見境の無い憧れをお嬢様にぶつけられて、その理屈の無い情熱でお嬢様の心を変えてしまった方なんて、エメリアちゃんの知る限りでは今までいらっしゃいませんでしたから。お嬢様も最初は戸惑われてたと思いますけど、今では随分クランツさんの猛アタックのおかげで乙女のお心も鍛えられたみたいですし……お二人とも、この旅を始めてからまだ間もないのに素晴らしい変化です。お二人を陰から見守り続けるキューピッド仔猫のエメリアちゃんにしてみれば、お二人が互いに高め合って成長するのを見るのは本当に、単純に嬉しいんですよ。お二人の幸せは、エメリアちゃんの幸せですから」

「エメリア……」

「こう見えてけっこうマジメだって、クランツさんには言ってませんでしたっけ?」

 諭すように言うエメリアに、クランツは頭に登りかけていた血が引いていくのを感じた。

「その……ごめん。僕の方が少し気が逸ってたのかもしれない」

「お気になさらず。クランツさんがお嬢様のことで頭に血が昇るのは、重々承知ですから」

 クランツの自責を軽く流すと、とにかく、と、エメリアは再びクランツの瞳を見つめた。

「エメリアちゃんが誤解されやすいのはまぁエメリアちゃんもわかってますけど、エメリアちゃんは何があってもクラウディアお嬢様の味方ですし、お嬢様を想い続けるクランツさんの味方です。それだけ忘れないでいてくれれば、エメリアちゃんは十分ですから」

 いつにないエメリアの真っすぐな言葉に、クランツは思わず訊いてしまっていた。

「エメリアは、その……何で僕に、そんなに味方してくれるの?」

「えー、さっきも言ったじゃないですかぁ。エメリアちゃんはお嬢様をお慕いしています。クランツさんもお嬢様をお慕いしています。だからエメリアちゃんはクランツさんもお慕いしてるんですよぉ。これぞいわゆる三段論法です!」

「三段論法って……何?」

「細かいことはいいんですよぉ。要はエメリアちゃんにとってはお嬢様と同じくらいクランツさんのことがお好きってことです。もうっ、何度も同じこと言わせないでくださいよぉ。無自覚に女の子に恥ずかしいことを何度も言わせるなんて、クランツさんのエッチ!」

「そ、そんなつもりじゃ……っていうか、え、エメリア、今、僕のこと、好きって……?」

 思わぬ引っ掛かりに踏み込みかけたクランツの慢心を、エメリアの酷薄な眼が制した。

「はーいそこまでですよぉクランツさん。さっきカルルお坊ちゃまにも言いましたけど、お嬢様の目の前で他の女に浮気なんかするようでしたら、たとえそれがこの可愛らしくて愛くるしくてたまらないキューティ仔猫のエメリアちゃんであっても許されませんからねぇ。エメリアちゃん、こう見えて首狩りもちょっとだけ得意なので、試してみます?」

「い、いや……ごめん、何でもない。何にも言ってない」

「よろしい。まぁ誘惑しちゃったエメリアちゃんにも責任はありますので、ここはお互い手打ちってことで。随分脱線しちゃいましたし、そろそろ話を戻しましょうか」

 完全に翻弄され疲労を覚えるクランツを前に、エメリアは話を仕切り直した。

「そういう訳ですから、エメリアちゃんとしては何としてもカルルお坊ちゃま改めカール王子様の魔の手からお嬢様を守らなければならないと思うんです。当然、クランツさんにも無視できないお話のはず。ここは一つ、改めてお手々を取り合うべきだと思いませんか?」

「それは、そうだけど……けど、探ろうにも取っ掛かりが何も……」

「やあ。相談は捗ってるかい、クランツ?」

「!」

 割って入った爽やかな声に、クランツは思わず勢いづいて声のした方に顔を向けていた。

 そこには、自分達の分と待っていた二人の分の昼食を持って帰って来た、セリナとルベールの姿があった。クランツは警戒を解いた反動で思わず脱力してしまった。

「ルベールか……驚かすなよ」

「驚かせたつもりはなかったんだけどね。邪魔しちゃったかな?」

 何かを気遣ったようなルベールに、クランツはエメリアを牽制するように言った。

「別に、邪魔されて困るような話はしてないし」

「あー、ひどいですぅクランツさん! エメリアちゃんとの二人っきりの秘め事をそんな簡単に払い捨てるなんてぇ……えーんセリナさぁん、お昼ごはんくださぁい」

「あんたも全然気にしてないじゃないのよ……はい、サンドイッチ。これでいい?」

「わーい、ありがとうございますぅ。こう見えて優しいんだからセリナさぁん♡」

 相変わらずのエメリアの道化芝居に、セリナは呆れたような目をクランツに向け変えた。

「遠目からでもけっこう盛り上がってたみたいだけど。二人して何の話してたのよ?」

「うん……団長とカルルのことで、少し」

 憔悴気味なクランツにパンを受け渡しながら、ルベールが、ふむ、と納得する。

「なるほど。確かに、君達二人が話し合うにはこれ以上ない話題だね、それは」

「ふーん……ま、確かにあの子、カルルもけっこう団長にイケイケで迫ってるわよね」

 話しながら席に着いたセリナとルベールに、クランツは己の胸の内を吐露した。

「そうなんだよ……あいつが何考えてるかわからないから、余計にタチが悪いっていうか」

「ふむ……確かに、気になると言えば気になるな。彼はこの聖王国の直系の王子で、団長は六星の巫女の《炎星》の娘……この聖王国の勃興の発端に関わる二つの系譜を継いでる二人っていう間柄からしても、彼が何かを企んでいるような気はしそうだ」

 ルベールの言葉に、クランツは何か、既視感のような引っ掛かりを覚えて訊いていた。

「この王国の……勃興の、発端?」

「あれ、もしかして知らないのかい、クランツ。この国の王族と魔女の関わり合いの歴史について。そのほとんどはいわゆる聖人王伝説によるものだけど――」

「お・待・た・せ。もうお揃いみたいね、若い子達は」

 ルベールの口に乗りかけた話は、後から来た清流のような声に割って入られた。

「サリューさん」

「お酒はやっぱり置いてなかったわ。仕方ないから話を進めましょ、皆揃ってるしね」

 視線と共にサリューに水を向けられたゲルマントが、膳を机に載せながら言った。

「食いながらでいい。話を始めるぞ。俺達の今後の方針についてな」

 その言葉で、カルル達を交えた王都自警団一行のささやかな昼餐が始まった。

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