第7章 学園都市メルキス編 第1話(2)

 学園都市メルキス。

 王国の建立から連なる歴史を持つ王立聖堂学園を擁する、聖王国随一の学都であり、王国の国教である七星聖教会の本拠地でもある。新進気鋭の学徒が全国から集まって学生生活に邁進している他、聖教の信仰者らの礼拝の来訪も多い。

 聖教の伝説は王国の歴史に深く根を下ろしているため、メルキスは王国内でも一際、国の特色の強い地であるともいえる。白い敷石で舗装された広く見通しの良い街路から、通りを闊歩する人達の清潔な白地の服装、街中で語らう人々の忙しすぎず大人びた賑わい方に至るまで、聖堂学園を有する学都らしい清廉潔白な雰囲気が町中に漂っている。

「うわぁ……なんかキレーな町だね。ちょっと苦手かも……」

 空港を出てメルキスの町に足を踏み入れるなり、そうした空気感を即座に感じ取って呟いたセリナに、近くにいたクランツがそれに気づいて声をかけた。

「どうしたのセリナ。大丈夫?」

「んー、いや……なんていうか、こういう上流階級みたいな雰囲気の所って肌に合わない気がするのよね。あたしってやっぱり野生児なのかなぁ」

 街を歩く人々の服装と所作の小綺麗さと、それらの人々から向けられる好奇の視線を気にしたセリナの呟きを、その少し先、クラウディアの後ろを歩いていたエメリアが拾った。

「不思議ですねぇ。暴れん坊な性格はともかく、セリナさんはれっきとした王都生まれの王都育ちでしょう? どこに出しても恥ずかしくないお育ちだと思いますけどねぇ」

「性格の話は余計だけど……なんていうか、自分がそういう階級の人間だって意識したことないのよね。王都育ちって言っても、あたしの家族は何の変哲もない家具屋だったし、親が亡くなってからは孤児院育ちだったからさ。こういう空気は肌に合わないっていうか」

 健康的に引き締まった臍を出している胸覆いとショートパンツのみの自分の軽装にどことなく劣等感を覚えているらしいセリナに、脇を歩くルベールがフォローを入れる。

「メルキスのこういう潔白な土地柄は他の町とも一際毛色が違うからね。けど、町の人達は皆学都の名に恥じない人ばかりでいい町だよ。そんなに気負うことはないさ」

「そっか……あんたはこの町に来たことあるの、ルベール?」

「進学先を探してた時に一度ね。結局入学はしなかったけど、いい町だと思ったな」

「ふーん、そうなんだ……まあ、あんたくらい頭が良ければ似合いそうだけどさ」

 不貞腐れたようにそっぽを向いたセリナは、隣を歩いていたクランツに目を向けた。

「あんたはどう、クランツ? なんか、その……居づらい感じとか、しない?」

「うん、あんまり感じないかも。綺麗な町だと思うよ」

 街並みを眺めながら平然と返したクランツに、セリナは小さく息を吐いた。

「そっかぁ。じゃあやっぱりあたしが意識しすぎなだけなのかなぁ」

「そうですよぉ。ご自分がこんなキラキラ感に釣り合わないんじゃないかってお気持ちはわかりますけど、そんなこと仰ったらセリナさんの行ける場所が狭くなっちゃいますよぉ。それとも、そんならしくないことを考えちゃうくらい、この町がお綺麗に見えますか?」

 エメリアのからかい交じりの返しに、セリナはぐっと押し返されたように言った。

「えー、そーよ。正直たかが町の雰囲気にこんなに気後れ感じるなんて思ってなかったわ」

「あらぁ、これは重症ですねぇ。気圧されるなんてセリナさんらしくないですよぉ」

 笑みながら気遣うように言葉をかけるエメリアを、セリナはキッと睨みつけた。

「そういうあんたも何ともないのね。まあ、気にしそうな頭じゃないのは知ってるけど」

「うふふ、お褒めに与り光悦ですぅ。エメリアちゃんは気まぐれな仔猫ちゃんですから、あんまり難しいことは気にしないんですよぉ」

 そう言うとエメリアは、それに、と、どこか感慨深げに付け加えた。

「エメリアちゃんはこの町というかこの辺りに、思い入れがありますからねぇ」

「思い入れ?」

「はいぃ。何といっても、エメリアちゃんとシェリルちゃんがアルベルト様とクラウディアお嬢様達に初めて出逢った場所みたいなものですから。ね、お嬢様?」

 問いかけるエメリアの言葉に、クラウディアはふと昔を懐かしむような笑みを見せた。

「ああ、そうだったな。今ここに至る私達は、この町から始まったようなものか」

「クラウディア……?」

 その言葉の真意を取れずにいたクランツを背に、クラウディアは前進の号令をかける。

「この町では、思っていた以上に話すべきことが多くありそうだ。宿に着いたら今後の行動の手順の確認と情報交換を行う。皆、それぞれに話すべき情報の整理をしておいてくれ」

 そう言うとクラウディアはふいに足を速めた。大股で歩く彼女のその後に急ぎ足で付いて行きながら、クランツは彼女の足を速めさせたのが何であったのかを図りかねていた。

《今ここに至る私達は、この町から始まったようなものか》

 ただ、その直前に彼女が呟いたその言葉が、やけに胸に引っ掛かっていた。


 ゲルマントが一行を先導して向かったのは、自警団協会メルキス支部の詰所だった。白石造りの建物は二階建てで、総本山の王都ほどではないにせよ十分な敷地が取られている。

 上等な木造の扉の前に着くと、ゲルマントは振り返り、一行に後ろの扉を親指で差した。

「宿周りの話はつけてあるが、ひとまず挨拶しとけ。《魔戒》の件もあるしな」

「そうね。行きましょう、みんな」

 ゲルマントに頷きを返したクラウディアが扉を開け、他の面々もそれに続く。

 建物の中は依頼掲示板も含めて綺麗に整頓されており、清浄な光と空気に満ちる空間は、清潔を通り越して神聖な感覚すら覚えさせるほどだった。

(うわぁ……なんか、ルセリア孤児院っていうか、マリア先生みたいな雰囲気だな……)

 その神妙な空気に慨嘆していたクランツは、少し奥の受付に立つ人影を目に留めた。

 麻布のように艶のある亜麻色の豊かな髪を一束に結わえて背に流し、細い銀のフレームの丸眼鏡をかけた、背筋の伸びた凛とした雰囲気の女性だった。ピンとした白い襟のシャツはその律とした雰囲気を醸し出すだけでなく、豊かな胸元をも悪意なく強調している。

「いらっしゃいませ……あら、ゲルマントさん」

 受付の女性はゲルマントを見ると、穏やかな笑顔を浮かべて一行を出迎えた。それに応えるようにゲルマントが先に立ってその女性に半ば申し訳なさそうに声をかける。

「よう、エマ。悪いな急に大勢で押しかけて」

「いいえ、自警団は助けを求めに来る方を選びませんから。それに、その方々はこの間ご説明のあった方々でしょう? 事情は承知しておりますので、驚くには及びませんわ」

 申し訳なさげなゲルマントに微笑しながら返すと、女性は一行に向き直り、挨拶した。

「自警団協会メルキス支部の受付を任されています、エマ・アークレイと申します。クラウディア様、それに王都支部旅団ご一行様、初めまして。そして、ようこそメルキスへ。歓迎いたしますわ」

 亜麻色の髪の女性・エマはそう言って、穏やかながら輝くような微笑みを見せた。

「うわぁ、まぶしい……この町ってやっぱみんなこんな感じなの……?」

「なんか、ネールさんを思い出すな……」

 その輝きに当てられるセリナとクランツの反応に瞬きを見せるエマに、ルベールが苦笑しながら色男めいた説明を挟んだ。

「すみませんね。貴女みたいに輝きに溢れた女性を見慣れていないもので、若いのが目をやられてしまって」

「あら、お上手ですのね。でも、私などにやられていては目が持ちませんよ?」

 エマの冗談交じりの返しに、クラウディアが真面目な態度で無自覚にそれに乗った。

「そうだな。貴女も存分に美しいが、この調子でクレア様を目にしたら……」

「はわわぁ……目が潰れちゃうかもしれないですねぇ。大変ですぅ」

 仰々しくおどけるエメリアを見たエマは、楽しそうにクスリと笑った。

「ふふ、面白い方々ですのね」

「そう受け取ってもらえると助かるわ。少し厄介になるけどよろしくね、エマさん」

「はい。こちらこそよろしくお願いいたします」

 サリューの締めに、エマは改まった口調で一行に事情を説明した。

「事情はゲルマントさんから概ね伺っています。セイランド学園長にもアポを取っておきましたので、連絡を取ればお話に伺えるでしょう。明日以降にお伺いください」

「そうか、感謝する。手間をかけさせてすまないな」

「いえ、お気遣いなく。これも仕事の内ですから」

 クラウディアの謝意に謙遜で返すと、エマはてきぱきと話を進める。

「長旅でお疲れでしょう。宿も手配しておきましたので、ひとまず今日はお休みになられるといいかと存じます。滞在中、何か入り用な事があればお申し付けください」

「話が早いわね、助かるわ。ちなみにエマ。貴女、お酒は飲める?」

 礼と共に唐突にサリューに訊かれたエマは、やや当惑しながら答えた。

「はあ、嗜む程度には……仕事柄あまり薦められたものではありませんが」

「そう、真面目なのねぇ。そういう所も貴女の魅力なんでしょうけど」

「サリューさん、真面目な女性をナンパするのはよしてください」

 サリューとルベールのいつもの調子のやり取りに、ゲルマントが代わって詫びた。

「すまんな、まとまりのない奴らで。あんたには少々毒かもしれんな」

「いいえ、むしろ受付仕事にはいい薬のようです。楽しい方々ですね」

「わぁ、褒められちゃいましたぁ。やりましたね、セリナさん!」

「話の流れ的にあんま褒めてる感じでもなさそうだけどね……」

 仲間達の冗談交じりの話を何の気なしに聞いていたクランツは、エマがどこか驚いたような目で自分を見ているのに気付いた。不審に思ったクランツが恐る恐るエマに訊ねる。

「あの……どうか、しましたか?」

「あ、いえ……知り合いに顔立ちが似ていたので……」

「知り合い……?」

 クランツがそう聞いた時、ちょうど扉が開いて、来客が訪れた。

「こんにちは、エマさん。あれ、お客さんでしたか……?」

 若々しく清冽な少年の声に、クランツを含め、その場の全員の眼が向いた。

 そして、クランツはそこにいた人物を見て、呆気にとられた。

 純白の襟服を身に着け、白金色の髪と目をした、若々しいながら気品に溢れる風貌。悠然と佇む痩身から滲み出す輝きのような風格は、さながら真の王族のもの。

「お前……カルル⁉」

 あまりの驚きに、クランツの声が思わず裏返る。

 そこにいたのは、商業都市ハーメスで行動を共にした謎の学生カルル・ハイムこと、グランツ王室第一王子カール・ローベルト・グランツだった。


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