⑰ 『推理』
夜 アパート・メイメン戸森
関吾は優斗に押されて彼を家に連れてくることになった。
曰く、『独り身は寂しい』とのことらしい。
こういう時に断れないのが関吾の性格の出る所だった。
「お帰り……って、え?」
戸を開けると、最早当たり前のように刹那がいた。
幸い軽装ではなく、机の上で作業をしていた。
「お、嬢ちゃんか。よぉ」
「……何でその人がうちに?」
刹那は実に嫌そうな顔をしている。
「いや、ここはお前のうちじゃないぞ? 何でお前もいるんだよ」
「……課題をやる場所が欲しくて」
「自習室か僕の家は」
刹那はスンとしてそっぽを向いた。
「酒買ってきたぞ。嬢ちゃんも飲むか?」
「……私飲めません」
「何だ? やっぱり本当はまだ未成年だったのか?」
「……『下戸』という意味です」
刹那はバチバチと痺れさせるような視線を送るが、優斗は気付いていない。
関吾はサッサと部屋に入っていった。
今日は優斗と自宅で飲むつもりだった。
刹那は一応従妹でかつ成人しているので無理に帰す気もない。
そうなると、三人でちょっとした飲みの席が開かれることになった。
***
酒の缶を開けて少し経つと、早速今後の調査についての話し合いが始まる。
関吾と優斗、あるいは関吾と刹那の間では共通の話題があっても、三人の間となればおのずとそれしか話題が無くなるからだ。
「……俺はそろそろ次の仕事に移ることになりそうだ。もっとも、勝手に『SP協会』について長く調べてただけでもあるんだが……」
「僕ももう仕事自体はとっくに佳境を超えています。ただ……上沼さんから得られるかもしれない情報を無視することは出来ない……」
関吾と優斗は二人ともベッドに腰を下ろして片手に酒を握りつつ話していた。
刹那は机上で課題を進めながら時折会話に入る。
彼女が飲んでいるのは元から家にあったオレンジジュースだ。
「そのためには上沼昌平のアリバイを崩さなきゃいけないんでしょ? 出来るの?」
「……それが出来ないから僕は困っているんだけど」
関吾は溜息を吐いて項垂れた。
それを見て優斗は目を細くし、酒を飲んだ。
「……アリバイ自体は解けるだろう」
「え?」
関吾と刹那は同時に優斗の方を向いた。
「……問題は、その後だな。なぁカンちゃん。お前はどうする気なんだ?」
「え? どうって……」
「今日、あの会長さんにあって、カンちゃん露骨に苛ついてたろ?」
「それは……」
「どうしてだ? どうして苛ついたんだ?」
刹那はわけもわからずただ関吾を見つめた。
関吾は両手で缶を握る。
「……苛ついたというか……その……悲しかったんです」
「悲しかった?」
先程の場にいなかった刹那には何のことやらサッパリだ。
「彼らは……いや、永島陸彦、夢咲楓、そして多々良伸二は、自ら望んで自殺した。そして……彼らはその死に意味を与えるかのように、独自の『儀式』でもって他人に弔いを頼んだ。どうしてそんなことをしたのかは……僕にはわかりませんが、そこに疑問を持たないどころか、関心すら持っていないような態度を見せられて……虚しさを覚えたんです」
苦虫を噛み潰すような表情を見せる。
優斗はそんな彼を見て、不思議と笑みを浮かべた。
「……そうか」
「でも、僕にそんなことを言う資格は無いんです。僕だってただ仕事で調べる気になっただけで、今は逆に興味が湧いたから調べているだけ。徹頭徹尾、自分の為なんです。僕も淀川会長も、何なら神原さんだってそうでしょう?」
「……ああ。まったくその通りだ。俺も仕事で『SP協会』を調べることになっただけ。偶然だ。死んでいった奴のことに興味なんか持っていなかった」
「……瑠璃宮さんは夢咲楓から何を聞いたのでしょう? どうして彼女に対して『儀式』を行うことにしたのか……。上沼昌平は、アリバイを作った上で何故一度自首したのでしょう? 警察に自分のアリバイを崩せるくらい詳しく調べてほしかったから? 永島陸彦と多々良伸二は何故自殺したのでしょう? 夢咲楓のように何かで悩んでいたから? それは命を捨てなければならないほどのことだったのか……」
疑問をいくら出しても答えは出てこない。
出てくるはずがなかった。
しかし――。
「……さっき、『アリバイは解ける』って言いましたよね? 神原さん」
優斗は酒を飲み干した。
「ああ。俺はわかった。警察だって少し考えりゃきっとわかってた。でも、別に犯人が見つかったから調べようとしなかったんだ」
「……やっぱり僕は駄目ですね」
間吾は自嘲して項垂れた。
優斗にわかった謎が自分にはわからない。
彼は、自分には能動的に行動する才能がないと考えていた。
結局自ら動いても何の結果も出せなかった自分が情けなく感じてしまっていた。
「カンちゃん……」
刹那はもう課題をする気を失っていた。
目の前の関吾がとても小さくなってしまっていて、放っておけなかったのだ。
「……教えて下さい。神原さん。僕は……やっぱりいくら主体的になっても駄目なんだって思い知らされました」
「……ンなことないさ。カンちゃん」
「……お願いします」
優斗は切なそうな目をして一度息を吐いた。
そして、話し始める。
「……カンちゃんは、上沼昌平の同僚の証言をどこまで信じてる?」
「……え? それって……彼らが嘘を吐いていると?」
「いいや違う。ただ、カンちゃんが彼らから聞いた台詞がどうも適当だったもんだからさ」
「適当……? 彼らの証言が曖昧だと?」
「ああ。『はずだ』とか『思う』とか『だろう』とか。一人くらい断言できる奴はいなかったのか?」
「それは……」
確かにいなかった。
関吾は昌平の会社の多くの同僚たちに聞き取りを行ったが、ハッキリと強い言葉で証言を残した人間は一人もいない。
皆見聞を話しているようだった。
「それで何となく考えたんだ。そもそも……そいつらは上沼昌平のことを何も知らなかったんじゃないかって」
「え……?」
「知っていたら簡単に解けるアリバイだったんじゃないかって。そんな風に……思ったんだ」
「どういうことですか? 知っていたら簡単に解けるって……」
「……通勤手段だよ」
「え?」
「電車じゃなくて車ってこと?」
そう言ったのは刹那。
しかし、これには関吾が反論する。
「そんなはず……。交通ICカードには履歴がしっかり残ってるんだ。確かに車の方が電車より速く――」
そこまで言いながら、関吾は時間の計算を始めてしまった。
上沼昌平の家から会社まで、電車なら片道三十分。
車なら遠回りをせずに行けるので片道十分は速くなる。
つまり、電車なら往復一時間の道のりを、車なら四十分で行けるのだ。
「……神原さん。取り敢えず続きを」
一旦頭を落ち着かせて優斗に任せる。
何かが見えそうになっていた。
「一橋清宗朗の自白は上沼昌平の自首のすぐ後だった。警察は上沼昌平にアリバイがあるとわかるや否や一橋清宗朗を疑い始める。つまり、アリバイはほとんど詳しく調べられていないんだ」
「でも、交通ICカードに関してはすぐに調べられた。それが決め手になったわけですが……」
「ああ。一見すればそれで十分アリバイの証拠になる。少なくとも別の容疑者の取り調べに移るには十分だろう」
「……もしかして、神原さんはこの証拠が偽造だったと?」
「いや。この履歴は間違いなく本当だろう。偽造する手立ても無いしな」
「じゃあどういうことです?」
刹那は疲れたかのように手を投げ出して尋ねた。
「だから車を使ったのさ。牧村駅まで予め車でやって来ていれば、そこからはおよそ十分足らずで会社に到着できる。電車ならおよそ十五分だから、大体五分の時間短縮だ。加えて家から牧村駅までの時間も短縮できているからプラス五分か? まあ、大体十分もあれば多々良伸二の自殺の時間もハナミズキを刺す時間も十分確保できる」
「いやですから、上沼さんは電車に乗っているんですよ? 車には乗れない」
「乗っていなかったとしたら?」
「……え?」
「上沼昌平は電車に乗っていなかった。ただ自宅の最寄り駅の改札に定期を通しただけで、すぐに車に乗り換えた。十分後に牧村駅に着くと、そこで多々良伸二の自殺を目撃し、『儀式』を実行。そこからまた車に乗って十分後に会社に着くと、一度最寄り駅に向かって、普段使う電車が到着したタイミングでそこの改札の反対側から定期を通す。それで履歴は残るだろ? 本来三十分掛かる道のりを車で二十分に短縮し、工作の時間に残り十分を使ったのさ。あとは何食わぬ顔で入社すればいい。果たして本当に『いつもと何も変わらない様子だった』かどうかは……わかりようがないがな」
関吾は驚き立ち上がった。
「ま、待って下さい! 交通ICカードをタッチするだけで改札を通らないというだけならともかく、改札の反対側にタッチしたりなんてしていたら駅員に止められませんか?」
「そうか? 別にそれで得をするわけじゃない。むしろ電車に乗ってないのに金を払ってるんだぜ? それに……怪しまれたくなけりゃもう一つ予めICカードを持ってりゃいい。一度そのICカードを使って改札の中に入り、いつも乗っている電車が到着したタイミングで、降りて来た客に混じって、家の最寄り駅の改札に通したICカードで改札を出るんだ。どっちにしろ、履歴の残った交通ICカードは簡単に作れる」
「……!」
関吾は唇を噛んで言葉を飲み込んだ。
そして、静かに崩れるようにベッドに再び座った。
「カンちゃん?」
刹那は心配して椅子から立ち上がった。
しかし、関吾は彼女が近寄る前に手で制した。
「……そうか。確かに……そうだ。その通りだ。どうして……どうして僕は気付かなかったんだろう……」
「いやぁ、こういうのは単なるひらめきさ。時の運だよ」
「……理由の無いひらめきはありませんよ。僕にはわからないものが神原さんにはわかった。そこには必ず理由がある。僕には確かに足りないものがあったはずなんです」
「そうかなぁ……」
関吾はまた項垂れ始めた。
「……刹那は車を使った……もしくは電車に乗っていなかった可能性を考えたか?」
「え? いや……考えはしたけど……。だって、電車を使ったってカンちゃんから聞いてたし……」
「ああ、そうなんだよ。僕は上沼さんの同僚の一人が、『彼はいつも電車で通勤しているはずだ』と言ったのを、『彼は今日も電車で通勤している』と根拠や確信を持って言ったかのような意味に捉えてしまった。どうしてそんな勘違いをしたと思う?」
「え? わ、私に言われても……」
「答えは簡単だ。僕は神原さんのように、同僚の人達が上沼さんのことを何も知らないでいたとは……気付けなかったんだ」
「? どういうこと?」
これには優斗が答えた。
「あのな、嬢ちゃん。嬢ちゃんは例えば大学の同じサークルの人間の通学手段……みんな知ってるか?」
「……知らないけど」
「俺もそうだ。で、カンちゃんはどうだ? 近しい奴の通学・通勤手段、そう言ったモンを把握してるか?」
「……僕はそれくらい把握します。それが……当然だと思ってた」
刹那はハッとした。
関吾は確かにコミュニケーション能力に長けていた。
それは彼が周囲の人間の情報をなるべく詳しく知ろうと努力しているからだ。
そういう意味では、関吾は他人に関心を持たない人間とは全く正反対の人間で、客観性を重視する仕事を生業とする一方で、彼の本質はそこにあった。
ただ、関吾のような人間はごく少数だ。
「……『はずだ』なんて言葉を使っても、同僚の通勤手段なんて知っていて当然だと考えていた。そして……その『変更』も……」
「……通勤手当がある以上、車で会社に通勤するには予め申請する必要がある。会社の駐車場に無許可で止めることは出来ない。カンちゃんは……」
「はい。申請書は会社で貰う。上沼さんが直属の上司以外に車通勤を申請していたとしても……周囲の同僚が彼のそういった行動にまったく気付けないはずがない。……僕はそう思ったんです」
関吾は自分の無能さを嘆くように目を伏せる。
刹那はどう声を掛けたらいいかわからなくなってしまった。
「……俺はたまたま同僚たちがそこに気付かなかったという前提で思考を進めていただけさ。むしろカンちゃんの方が正しいロジックに見えるぜ?」
「いいえ。違います……違うんです。僕は……」
「まだ答えが決まったわけじゃない。本当は全部俺の妄想かもしれない。同僚連中はいい加減なことを言ったわけじゃなく、ちゃんと上沼昌平のことを見ていたかもしれない。無関心じゃなかったかも……しれない……。そうだろ?」
優斗は自分で言いながらそれが苦しいと気付いていた。
推理は的を射ていて、上沼昌平は周囲の自分に対する無関心を利用した。
それを否定することは困難だった。
「……多々良伸二が亡くなっても、会社は平常運転だそうです。彼らは誰に対しても……無関心なのでしょうか?」
「……別にその会社の人間に限った話じゃない。誰だってそうだ。自分や自分の愛する人のことくらいで精一杯。他の人のことなんか考える余裕が無い。普通のことだ。カンちゃんがたまたま珍しい、色んな人のこと気に掛けられる優しい奴だったってだけの話さ」
「……違います。僕も同じです。僕だって……客観性を重視するルポライターだ。事実を記録することだけしか……出来ない人種だ」
初めは飲み会だったこの空間も、静けさしか残らなくなった。
関吾は少しずつ、自殺という選択をした人間たちの心を理解し始めていた。
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