⑯ 『無関心』

 数日後 ダウンダウンアップジム




「……で、どうだい? 調子は」


 例によってジムのベンチに腰かけながら関吾と優斗は会話をしている。

 ランニングマシンを終え、二人ともタオルで汗を拭っているところだ。


「……やっぱり上沼昌平から聞き出すしかなさそうです。でも……僕は彼に出された条件を達成できる気がしない」


 関吾はまだ上沼昌平が多々良伸二にハナミズキを刺したのかどうか判断が出来ずにいた。

 彼のアリバイを崩す手立てが思い付かなかったのだ。


「アリバイって奴か……。どんな内容だったっけな?」

「……多々良伸二が東栄線とうえいせん牧村駅まきむらえきで飛び込み自殺を図った時、上沼昌平は通勤中で別の東栄線の車両に乗車していました。牧村駅は上沼昌平の自宅の最寄り駅と会社の最寄り駅のちょうど中間にありまして、人身事故が起きてすぐ東栄線は運転を見合わせることになった。もし上沼昌平が一度牧村駅で降りて多々良伸二の自殺後にハナミズキの花を置いてから会社に向かった場合……確実に始業時刻に間に合いません」

「成程な……。でも電車に乗ってたっていう証拠はあんのか?」

「定期の……交通ICカードに履歴が残っています。そして、上沼昌平は始業時刻の数分前にはもう会社に到着している。同僚の証言もあります」

「ふむ……そいつは完璧なアリバイって奴だなぁ」


 納得する様に頷く優斗に対し、関吾は小さく溜息を吐いた。


「どう調べても上沼昌平が事件に関わっていない証拠しか出てこない。でも……そんなはずもない……」

「……カンちゃんは上沼がやったと見てるわけだな」

「……恣意的な見方ですがね……」

「いや、俺もそう思う。……上沼昌平はお前に暴いてほしいんだろうな。これくらいの謎も解けない奴に、創設者のことを教える気もないと」

「……でも、僕にはわからない。彼の同僚にも聞いたんです。一人は、『アイツは毎日規則正しく同じ時間、同じ電車に乗って通勤をしているはずだ』と話していました。加えて他の人は、『その日もいつもと何も変わらない様子だったと思う』と、そう証言しているんです。仮に同僚の自殺現場にいたのなら、そんなはずがないでしょう? あと、『上沼と多々良は何の関係も無い間柄だろう』と話している人もいました。もしそうなら彼が多々良伸二の『儀式』を手伝う理由が無い。一橋清宗朗からの頼みは断ったとも考えられるんです」


 優斗は目を細めた。


「……本当に同僚たちはそう証言していたのか?」

「はい」

「一言一句違わず?」

「……はい?」


 関吾は自分のメモ帳を広げながら話していた。

 そこに証言も記されているというのは、隣に座る優斗にもわかることのはずだ。


「……よし。カンちゃん、明後日暇か?」

「え? 何ですか急に」

「明後日、会長に会うんだ。『SP協会』の会長にな」

「!?」


 優斗はガバっと立ち上がる。

 頭に掛けたタオルがスルリと落ちると、地に付く前に手で掴んだ。


「一緒に来ないか?」

「……ぜひお願いします!」



***



 二日後 SP協会本部




 関吾と優斗の二人は本部一階のエントランスで会長が来るのを待っていた。

 大きな窓の傍にあるソファに座り、関吾は広々としたエントランスの空間を俯瞰する。

 全体として質素な様相で、人の通りも無いと言っていい。

 一階には受付の女性が一人いるだけで、物音一つしていなかった。


「……静かですね」

「騒がしかったら適わんだろ。ここは自殺防止を訴える善意の団体だぞ?」

「……」


 その団体の管理する掲示板サイトで『自殺予告』なるチャットルームが作られていたのだが、関吾は優斗の言葉が皮肉で言っているのか素なのかわからなかった。

 少しすると、二人の下に一人の女性が現れる。

 物静かな空間に似合う凛とした女性だ。

 歳は明らかに二人よりも上だったが、肌艶や髪質などはともかく、その眼差しからは底抜けのみずみずしい光が放たれているように感じられた。


「ご機嫌麗しゅう。神原さん」


 二人は彼女の到来と共に立ち上がる。


「ええ、こちらこそ。調子はいかがですか? 淀川よどがわ会長」

「無論です。そちらの方は?」


 関吾は優斗の紹介を待った。


「えっと……友人です。はい」

「? 何故神原さんのご友人の方がご一緒なのですか?」

「成り行きでして」

「? はあ……」


 関吾は優斗の雑な紹介に呆れた。

 彼はどうやらこれだけで関吾がここにいる理由説明を終わらせる気らしい。

 もっとも、淀川という人物はあまり気にしていないようだが。


「……さて。この前の話の続きですが……」

「取り敢えず座りましょう。何も出せませんが……よろしいですか?」

「ええ。もちろん」


 そう言って三人はソファに座る。

 淀川はこの場所で話を終えるつもりでいた。

 受付の女性以外は誰も周囲にいないとはいえ、関吾にはいささか彼女が気にしていなさ過ぎるように見えた。


「さて……神原さん。先日は非常に助かりました。まさか我が協会のサイトにあのようなものが存在していたとは……」

「ご存知なかったのですか?」


 関吾は咎めるかのように早速口を開いた。


「……ええ。申し訳ありません。私の管理不届きです」

「淀川会長。あのチャットルームはハッキリ言って質の悪い悪戯です。しかし……協会員が作ったことは間違いない。実際『花水木事件』の犯人である一橋清宗朗も協会員でした。それについてはどう思っていますか?」


 関吾はいきなりから質問を投げかける。

 てっきり優斗から話を受けると思い込んでいた淀川は少し驚いた表情をして一度優斗に視線を向けた。


「……あー……すみません、会長。答えて頂けますか? どうも彼は個人的に尋ねたいみたいなので」


 優斗は雑にフォローを入れる。

 僅かに目を細める淀川だが、仕方ない様子で口を開いた。


「……その人物について当方は把握していません。確かな情報ですか?」

「彼本人が口にしていました。すみません。失礼ですが、協会員のことを把握してはいらっしゃらないのですか?」

「はい。私は法人創設に与した協会員に選出された代表理事です。立場上は協会員の下。そして、協会員の管理は協会員によって行われています。我々理事は協会の運営を行い、協会員の総会において運営の方針が定められているのです」


 関吾は若干頭を悩ませる。

 彼はとにもかくにもチャットルームを立ち上げた人物を知りたかった。


「……では、協会員の方であれば例のチャットルームの創設者も把握しているでしょうか?」

「いえ。それは無いと思います。アレは基本匿名ですから。加えて先日発覚した問題は……元協会員でも掲示板の運営に関わることができてしまっていたということ。創設した人物は元協会員の可能性もあるのです。その場合知る由は皆無になります」

「え!?」

「これも神原さんの調査のおかげで発覚しました。そもそも、一度協会員を辞めた人間が掲示板を運営するということ自体、これまであり得なかったことでして……」

「何故ですか? 会員を辞めた人間が何か問題を起こす可能性はあるでしょう?」


 淀川は首を横に振った。


「元々『相談窓口』は人々が意見を交換するだけのサイトです。そこで起こせる問題などたかが知れています。今回の事件もたまたま犯人と被害者があのサイトを利用しただけでしょうし」

「ちょっと待って下さい。あのチャットルームでは『花水木事件』の関係者だけではなくもっと大勢が書き込みを行っていました。実際模倣犯と見られる悪戯も全国で確認されています。これは最早社会問題になりつつあるんですよ?」


 淀川は何故かキョトンとした顔をしていた。


「……まさか。確かにニュースで何度か見かけましたが、それがあのチャットルームの影響によるものとは限らないでしょう? ただ事件の模倣をしているだけ……。それに、きっと一過性のもので、暫くすれば事件のことも忘れられますよ」

「……!?」


 まるで、他人事のようだった。

 そもそも『チャットルームの影響によるものとは限らない』などと言うが、事件以降の模倣犯がチャットルームで予告されていたかどうかを調べるのはもう不可能だ。

 何故なら協会側が既にそのチャットルームを削除したから。

 刹那が魚拓を取っているが、それに証拠能力は無い。

 つまり、何とでも言えるのだ。


「……淀川会長。私からもいいですか?」

「はい。何でしょう?」


 優斗は頭を掻きながら続けた。


「正直私としては仕事と何の関係も無い話をここでする気はなかった。調査を進めるうちに、あのチャットルームの悪戯としての度合いはともかく、御法人の運営や会計自体には問題が無いと完全に結論付けることも出来た。ただ……」


 優斗は鋭い目を向ける。

 だが、淀川はその理由をまるで理解していない様子だった。


「貴方の意見を聞きたい。先程そこの彼も聞いたでしょう? 貴方は……『花水木事件』をどう思っていますか?」


 淀川は眉間に皺を寄せて訝しむ。

 何一つ伝わっていない。


「……別に。何とも思っていませんよ? 我が法人の所為で殺人が起きたのならまだしも、そもそもそれほどの大きな事件ではないのですから。異端な犯人が起こした理解不能の悪戯のようなもの……といったところでしょうか」

「………………」


 関吾が怒りを露わにしていることには流石に気付いた。

 淀川は少し目を伏せながら付け加える。


「……まあしかし、犯人が協会員であったのならそれは遺憾に思います。ですが、確か報道ではうちと無関係の会社に所属されている人物でしたよね? サイトを利用するために協会員になったと考えるのが自然です。そうだとすれば、むしろ我々は被害者かもしれません」

「……被害者……?」

「ええ。確実に我が法人に対して負のイメージをもたらすためだけの犯行でしょう。それ以外何の意味もない」

「……本当に……そう思われますか?」


 関吾は縋る様な言い方になっていた。

 しかし、彼女と関吾では見ているものがまるで違っていた。


「はい。違いますか?」


 疑問に思われたことが、逆に淀川を不快にさせる。

 彼女も鋭い目を二人に向けた。

 優斗は事件について聞くのはもうこの辺りが潮時だと考える。


「……いえ。まあこの話はこの辺でいいでしょう。そろそろ仕事の話に戻って、報告書に関しての説明を――」

「最後に一ついいですか?」


 そんな優斗を関吾は遮った。


「……どうぞ」


 淀川は小さく息を吐いて促す。

 どこか呆れているように見えるのが、関吾は無性に腹立たしくなっていた。


「会長は……事件の被害者の名前をご存知でしょうか?」


 淀川はたいした質問でないと思ったのか、若干表情が綻んだ。

 そのことが、余計に関吾を苛立たせる。


「いえ。当方は把握しておりませんよ」


 関吾はその後、外に出るまで一言も口を開かなかった。

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