⑩ 『瑠璃宮橘花』

 数日後 ファミリーレストラン・れいず 出入り口前




「お、来たか。カンちゃん」


 店の前で待っていたのは優斗だ。

 関吾は刹那を連れてここで彼と待ち合わせていた。


「……初めまして」


 初対面の相手の前だと刹那は声のトーンが下がる。


「ん? 何だカンちゃん。娘がいたなんて初耳だなぁ」

「!?」


 刹那は眉間に皺を寄せた。


「何言ってるんですか神原さん。僕はまだ二十五です。たとえ二十歳で子どもが出来ていたとしても五歳ですよ。五歳」

「ハハ、それもそうか。よぉ嬢ちゃん。いくつかな?」

「……二十歳です」

「……」


 沈黙が生まれた。

 優斗は彼女の背がとても低く見た目も幼かったことから、子どもだと勘違いしていたのだ。


「じゃ、行きましょうか」


 引きつった笑みを見せるだけで何も言えなくなった優斗を置いて、関吾は颯爽と店内に向かった。

 刹那と優斗、二人の最初のコンタクトは最悪になった。



***



 中に入ると早速空いている席に案内された。

 三人は四人席の片側に全員で座ろうとした。

 奥に優斗、真ん中に関吾、端に刹那といった順だ。


「……狭い」

「ごめん刹那。我慢してくれ」

「いやぁ悪いな。俺の所為で」

「……別にいいですけど」


 刹那は明らかに不満そうだが、正面の席には座らない。

 そもそも今回は取材の場であって、本来この場に優斗はいないはずだった。

 しかし、関吾が後になって彼を呼んだのだ。


「……あ、何か頼んでいいか?」

「飲み物だけにしてくださいね」

「えー」

「……当たり前でしょう」


 そうして三人は三人ともドリンクバーを頼み、刹那が全員分の飲み物を入れてきた。

 彼女はまだ不機嫌そうなまま変わらない。


「……さて、カンちゃん。まずは謝っておくよ。俺の所為だ」

「いや、いいですよ。確かに突然あのチャットルームが消されたことには驚きましたが……むしろ、そうなるべきだった」


 実はこの何日か前に例の『自殺予告』という名のチャットルームは消されてしまった。 

 優斗はその責任が自分にあると言っているのだ。


「でも魚拓に証拠能力は無い。裁判で使うことも出来なくなったけどね」


 刹那は優斗に対して嫌味を言いながら尖った視線を向けた。

 二人の間に立つのは関吾の役目だ。


「いやいや、僕らは検察じゃないんだから。仮に今までアレを野放しにしていたことで協会が罪を被ることになっても……」

「『関係ない』……か?」


 意図が伝わらず、優斗は関吾を煽るような言い方をしてきた。

 それに対して苛立ちを見せるのは刹那だ。


「カンちゃんが何に対しても無関係を装う人間だと思わないでくださいね。今のカンちゃんは珍しく関心を持って調べようとしています。だから貴方を呼んだんじゃないですか」

「ああ、そうらしい。ハハハ、良いことだ。俺にとっても、カンちゃんにとってもな」


 刹那は敵意剥き出しだが、優斗は未だに彼女のことを子どもとしか思っていない様子だ。

 関吾は二人ともコミュニケーション能力に難がある様に感じ始めた。


「……神原さんはどう思いますか? この事件の調査は……どこに向かっていくのか」


 露骨な話題逸らしに優斗は気付かず、顎に手を乗せて考える。


「うーむ……まさか協会側が俺の話を聞いて素直にチャットルームを消すとは思わなかったからな。会長さんは協会運営とあのチャットルームは無関係だと言っていたよ。ホントかどうかはわからんがな。いずれにしろ、恐らく協会員の誰かがあのチャットルームを作り、それが一連の事件を引き起こすきっかけになったんだろう」

「ええ。ただ、ここで問題なのが協会員は従業員と別ということ。実際に協会を運営している従業員は、運営のオーナー的役割である協会員の動向を把握しきれていない。あくまで協会員となるのはほとんどが他所の個人ですから」

「実際代表理事の肩書を持つ会長もチャットルームの動向なんざ把握していないって話だしな。管理も基本的に協会員の自由らしい」

「だからこそ今まで放置され続けてきた。協会は協会員の責任を取らないということですか?」

「いや、そもそも損害を被った人間がいないんだ。チャットルームを消すだけで終わりさ。連中からしたらな」

「それでもあのチャットルームが原因で死体損壊事件が起きたのは事実です。このまま協会は雲隠れするつもりですか?」

「隠れやしないさ。被害届が出るなら対応するだろうよ。もっとも、その証拠は跡形もなく消えたわけだが」


 刹那は小さく溜息を吐いた。


「……貴方が話したから?」

「だから『悪かった』って言いたいのさ。あのチャットルームを作ったのは協会員の誰かだろうが、俺はてっきり協会全体が関わっているものだと思ったんだ」

「何で?」

「あんなもの、何か宗教的意図が無いと始めないだろう? だとすれば協会全体が例の『儀式』を広めることに尽力しているんじゃないかと考えた。実際自殺した者の傍にハナミズキが置かれていたという事例はまだ増え続けている。こんだけ大きな事件に発展させたんだから、俺は協会そのものが全ての黒幕だと勘違いしてたんだよ」

「協会全体が関わっていたら、なおのことチャットルームがバレた途端に消すでしょう?」

「いや、消したくても消せないはずだと思ったんだ。そんな簡単に全部終わらせるとは……考えなかった。第一消そうと思えばいつでも消せるし、ことがもっと大きくなるまで放って置き続けるもんだとばかり……。正直不気味だよ。協会とは無関係に、あのチャットルームの創設者や利用者の力によって『儀式』は広がりを見せたんだ。チャットルームの創設者が消されることを想像していなかったはずがない。協会に気付かれる前に広めきる気だったのかもしれない。こうして消されても同様のチャットルームが再び作られないのは……まるで、もう十分例の『儀式』を普及し終えたとでも言っているみたいだ……」


 関吾は刹那に入れてきてもらったコーヒーを飲み、眉をひそめた。


「……とにかく発端を探るには数多くの関係者に話を聞くしかありません。一橋清宗朗しかり、他にも事件に関わった人物全てに……」

「……いやぁ、忙しいのに悪いな。俺も気になっちまって。丁度休みだからって、急に同席しろって言われたら困るよなぁ」

「いえ、大丈夫です。というか、今日取材するって話したの僕ですし」


 関吾は優斗に対して仕事の話を積極的にしてしまっていた。

 また優斗も同様だ。

 彼は徹底的に協会の調査を進めるため、手段を選んでいなかったのだ。



***



 少しすると、彼らの下に一人の人物が現れる。

 その人物こそ今回の取材相手だ。

 清宗朗との面会の日取りが決まり、それまで関吾が新たに取材することを決めた追加の相手。

 それは――。


「……あれ? お一人……ですか? 瑠璃宮るりみやさん」


 瑠璃宮橘花きっか

 夢咲楓の遺体の第一発見者であり、『花水木事件』の容疑者だった人物だ。

 関吾は初め、彼女は全くの無関係だと考えていたのだが、面会の日が思っていたよりも後になったため、とにかく事件で出てきた名前の人物を総当たりすることに決めた。


「……駄目ですか?」


 橘花は女子高校生だ。

 関吾は彼女が保護者と共に来ると思っていたため少し動揺した。


「あ、いや……駄目ではないですけど……」

「じゃあ、失礼します」


 そう言って三人の正面に座る。

 制服姿で規則正しく、年の割に落ち着いていた。


「……三人とは……」

「あ、あはは。ちょっと色々ありまして……。すみません、暑苦しいですよね」

「大丈夫です。簡単に終わらせましょう。早速私の知っていることを話してもいいですか?」

「え? あ、はい」


 完全に橘花に主導権を取られていた。

 既に何の話をするかは伝えられている。

 彼女は予め話す内容を決めてここに来ていた。


「私は楓のクラスメイトでした。最初に発見したのは偶然です。いつも通り登校して、何となく校舎の横側を通って鯉のいる池を見たいと思っただけ。あの子の死体は既にそこにあった。頭が潰れて、血がたくさん飛び散っていて……仰向けで倒れていました。私はすぐに正門の近くにいた生活指導担当の先生に伝えにいき、救急車は先生が呼びました。遺体には触れていません。何故彼女が自殺したのかは、彼女の遺書にも書いてある通りだと思います。私が話せることは……以上です。何か質問はありますか?」


 淡々と、まるで練習でもしてきたかのように言い終えた。

 関吾は今の話に違和感を持つも、その正体が掴めなかった。


「……ハナミズキについては?」


 そう尋ねたのは優斗だった。

 関吾はそこで初めて違和感の正体に気付く。

 確かに橘花は、まるで避けるようにハナミズキの件だけを言わなかった。

 彼女は少し眉をピクリと動かすと、何かを考えてから口を開く。


「……警察にも話した通りです。胸にハナミズキが……あって……それだけです。私は見ただけです」

「いや、それがおかしいんだよなぁ」


 取材をするのは関吾のはずだが、何故か優斗の方が彼女と会話を始めた。


「……」

「お嬢ちゃんは警察にこう言ったはずだ。『彼女の胸にはハナミズキが刺さっていた』……と」

「……」

「しかし、遺体を確認した警察はすぐに妙なことに気付く。確かに遺体の胸にはハナミズキの花があった。しかし、傍から見る分にはそれの枝部分が刺さっているようには見えなかったそうだ。刺さっている枝部分も、それを包む先の尖った金属のパイプも、花を動かして初めて見えたんだと」

「………………」


 橘花は睨むような目つきを向け始める。

 どうも優斗はそれに気付いていない。


「警察はお嬢ちゃんの供述に矛盾があることから、お嬢ちゃんを容疑者と考えるようになったんだ。しかし、真犯人はその後すぐに自白した。しかも、お嬢ちゃんとは無関係の人間だ」

「……そうです。私は……無関係です」

「だとすればお嬢ちゃんはどうして花を見ただけでその枝部分が遺体に刺さっているとわかったんだ? 遺体に触れてもいないのに」

「……言い間違えただけです」

「花が一輪胸の辺りにあるだけで『刺さっていた』と表現するかなぁ、普通」

「……」


 関吾がそこで優斗の前に手を出す。


「……神原さん、僕の取材なんですけど。勝手に口出して取材相手の機嫌を損ねないでください」

「え? あ、ああ。悪い悪い」


 優斗は誰に対してもグイグイ迫ってしまう性格だった。

 その所為で友人関係に恵まれていないのだが、彼はなかなかそれを自覚できずにいる。


「ごめんなさい……瑠璃宮さん。お気を悪くしましたか?」

「……いえ」


 橘花は顔を伏せて目を細める。

 再び顔を上げると、その額には若干汗が滲んでいた。


「……向田さんは、私を疑っているんですか?」

「……安心してください。今回瑠璃宮さんに聞きたいのは別のことです」

「別のこと?」


 疑問符を浮かべるのは隣に座る二人も同じだった。

 二人は既に橘花が何かを隠していることを見破っていた。

 当然そこを追及するべきだと考えたのだが、関吾はそう考えていないように見えた。


「はい。瑠璃宮さんは……『SP協会』という団体をご存知ですか?」

「……いえ。知りません」

「その団体のホームページにあるリンクから辿り着ける掲示板に、夢咲楓さんと見られる人物の書き込みがありました」

「え……!?」

「内容は『自殺予告』。利用者に自殺予告をさせて、それに対して特殊な供養を施すことが目的のチャットルームです。夢咲さんが犯人と見られる人物と接触した場所もこのチャットルームだと思われます。僕は……このチャットルームを作った人物を探しているんです。誰かがこのチャットルームを作り、自殺願望を持つ人間をここに誘き寄せた。夢咲さんもその誰かにここを紹介されたのだとしたら……僕は、そのこと自体が自殺教唆に通じるのではないかと考えています。夢咲さんはそのチャットルームに背中を押されて――」

「それは違います!」


 突然橘花は声を張った。

 流石に関吾たちは驚かされる。


「それは……違うと思います。あの子の遺書はご存知でしょう? 何があっても楓は自殺していたと思います。その結果は……きっと変わらない」

「……そうですね。でも、他の自殺していった人は違うかもしれない。あのサイトが悪影響になるのは間違いありません」

「……私にはわかりません。何とか協会というのも、そのチャットルームの話も、今初めて知りました。それは……それだけは本当です。私は楓のことを……何も知りませんでした」

「……わかりました」


 元々藁をもつかむ思いで取材しただけだ。

 関吾は橘花と楓がクラスメイトでしかないと考えている。

 そもそもそのように警察の調べが付いていた。

 だから初めからあっさりと引き下がるつもりでいた。

 しかし、実際に彼女と話してみると、関吾にも橘花が何かを隠しているように見えて仕方がない。


「では……早いですが本日の取材は以上で大丈夫です。何か頼まれすか? 少しリラックスしてみても……」

「……大丈夫です。私も元々すぐ終わらせて帰るつもりだったので」


 飲み物一つ奢らずに終わるというのは少し申し訳なく感じたが、彼女は今すぐここを去りたいと言った様子に見えた。


「あ、そうだ。名刺を忘れてました。どうぞ」

「いや、別に……」


 関吾はニッコリと笑みを見せて差し出す。


「いえいえ、受け取って下さい。僕、こう見えて顔が広いんです。何か困ったことがあればすぐに相談に乗りますし、相談別に頼れる人間も紹介できます。学校やどこかでトラブルに巻き込まれたら気軽に頼って下さい。隣の彼の所為でちょっと不安に思われたかもしれませんが、僕と彼はただの友人関係というだけで仕事仲間でもありません。僕はただのルポライター。ジャーナリストと違って反骨精神や正義感で動いているわけではありませんからね」

「……どう違うんですか?」

「……僕は事実の裏に隠された真実を伝えたいのではなく、ありのままの事実を伝えたいのです。役割が違うんですよ」


 それは、流石に刹那と優斗の二人でもわかる程に明確な嘘だった。

 関吾が一連の事件の真実を求めているのは、最早隠しきれていない彼の本心からの行動だ。

 しかし、関吾はいとも容易く仮面を創り出すことが出来ていた。


「……そう……ですか……」


 橘花はその仮面に騙されたのか、あっさりと警戒心を解いて名刺を受け取った。

 自分の隠し事を探られる可能性が無くなったと感じたのだろうと、三人は皆すぐに理解した。


「いつでも気軽に……ね! 僕まだ若いので、馬車馬の如く頼まれたら何でも承りますよ!」

「……はい」


 まだ目線は下を向いたままだが、完全に汗は引いていた。

 優斗と比べたのもあるだろうが、関吾の明るい口調に安堵しきっていた。


 そうして取材は終えることになる。

 だが、三人は誰も橘花が無関係だと思っていなかった。

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