⑥ 『推論』
二〇一六年 八月十一日 ダウンダウンアップジム
関吾の取材は次の段階に進んでいた。
最近起こった事例の調査を終えれば、残すは実際の『花水木事件』の調査だ。
関吾は取材の依頼に対する返答を待っていた。
「ハァ、ハァ、ハァ……よぉ……カンちゃん」
ジムで受付周辺に立っていると、神原優斗が現れた。
彼はまた息を切らしていた。
呼吸を整えてから関吾の肩に手を置く。
相変わらず馴れ馴れしい。
「ああ、どうも。お疲れ様です」
「いやぁまだ疲れちゃいないよ。いや、ホントさ。嘘じゃないぜ?」
そう言いながら膝が震えていた。
その時、関吾のスマホが音を鳴らす。
「あ、すみません」
関吾がそう言うと、優斗はわざとらしく両手を上げて引き下がる。
そして通話を開始した。
「……はい。向田です。……はい。はい。……え? ホントですか? はい……はい。ありがとうございます。……いえ、本当に。はい。……ありがとうございます」
二度三度と頭を下げると通話は終わった。
関吾はスマホをポケットにしまい、優斗の方に振り向いた。
「何だ? 仕事の話かい?」
「ええ、まあ」
「ふーん……じゃあ取材相手ってとこか。良かったな、受けてもらえて」
「え? ああ、はい」
若干察しの良さに違和感を持つが、関吾は適当に頷いた。
「しかし大変だよなぁ。『花水木事件』について調べてるんだろ? まあ頑張れや」
「え……?」
関吾は激しく動揺した。
その話は一度も彼にしたことがない。
優斗が自分の仕事の内容を把握しているはずがないのだ。
「じゃ、俺はシャワー浴びてくるから」
「ま、待って下さい」
関吾は優斗の裾を掴もうとする。
それは間に合わなかったが、動きは止めてくれた。
「何だ?」
「いや、『何だ?』じゃなくて。どうして僕の調べている事件が『花水木事件』だってわかったんですか?」
「え? いやだって、ルポライターだろ? 事件や社会問題とか調べる記者の」
「いやそうですけど。だって僕仕事の話一度もしてないでしょう?」
「? そうだっけか? まあ何でもいいだろ」
「良くはないでしょ……」
関吾が呆気に取られていることに気付いた優斗は、頭を掻きながら仕方なさげに説明を始める。
「……一昨日会った時、カンちゃんから線香の匂いがした。俺、墓参りに行ったのかって聞いたよな?」
「ああ……そういえばそうでしたね。匂ってたなら教えてくれればよかったのに……」
小声の文句は無視して続ける。
「でも『行ってない』って言われた。話はそれで終わったけど、墓場じゃ無けりゃ家の中で線香をあげたってことだろ? しかも夕暮れ時になってからだ。自分ちの仏壇だったら普通朝とか何かしらの習慣と合わせてやるだろ? ま、そうじゃなくても仕事終わりの時間帯に線香の匂いがすることなんて滅多にない。ほぼ間違いなく人んちの仏壇にお参りしてきた後ってことだ」
「……だとしても、それだけで何がわかるんですか?」
「『何』って……カンちゃんの仕事的に取材相手の家でお参りしたとしか考えられないだろ? だったらその取材内容は仏壇の人物についてって予想するのが妥当だ。ルポライターなんだから。何かしらの事件か事故で亡くなった人物の遺族に取材したって可能性は高いし、それ以外ならわざわざ線香をあげる必要は無い。ま、カンちゃんは関係ない人でも線香をあげそうだけど」
そこまでは推測の範囲。
そこから『花水木事件』には繋がらない。
「……それで?」
「あー……実はさっきスマホの画面が少し見えたんだ。二、三度しか通話しないだろう相手の名前をわざわざ記しておく真面目なカンちゃんのおかげで予想できた。『
「……!」
「一昨日線香をあげた相手は今の通話相手とは別の人だろ? じゃなきゃあんなに『ありがとうございます』って礼を言う必要は無い。初めて話を聞けるようになったから感謝しまくってたんだ。数日間で何人かの遺族を尋ねるってことはそれなりの数の死者がいる事件について調べているからとしか考えられない。二ヶ月前ちょっと話題になった『花水木事件』以降、そんな目立った事件は起きてないだろう? おまけに『夢咲』……それ以外無いじゃないか」
関吾は息を飲んだ。
推理というよりは大雑把な飛躍論理にしか聞こえないが、優斗はそれを確信していた。
何よりそのことに驚いたのだ。
自分の意見を臆面もなく語れるその大胆さは、関吾には無いものだった。
「神原さん…………気持ち悪いですね」
「おぉい! そこは褒める所じゃないの?」
「いや、人のスマホ覗かないでくださいよ」
「いやだから、覗いたんじゃなくて見えちゃっただけでさぁ」
関吾は自身の驚きようを悟られないように目を逸らす。
いずれにしろ、優斗の妄想に近い推論は当たっていた。
確かに偶然だが、偶然と呼ぶには一つだけ違和感が残っていた。
「……でもよく『花水木事件』の被害者の名前覚えてましたね。というか、他にも同じ名前の人が亡くなった事件や事故はあると思うんですけど……神原さんは、『花水木事件』に特別思い入れがある人なんですか?」
「あっちゃ駄目か?」
「え……?」
煽るように言ったつもりが、思いのほか真面目な顔で返された。
彼の雑な推理に対してからかうはずが、また関吾の方が舌を巻いてしまう。
「……ま、ちょっと仕事の影響で気になったってだけさ。あと……『そうだったらいいな』とも思っていたわけだが……」
「? どういうことですか? 神原さんの仕事って……」
「信用調査会社。今調べてる社団法人とちょっとだけ……ああ、ほんの僅かにだけ掠る部分があったんだよ。ただそんだけだ」
「それってどこですか? 事件と何の関係が……」
「いやだから掠っただけで……ほら、企業秘密があるからさぁ」
「じゃあ何が掠ったかくらいは教えてもらえませんか?」
関吾は今までの意趣返しのように執拗に優斗に絡んでいた。
彼のジャーナリズム精神がそうさせた。
「……『自殺』だよ」
優斗は嫌々答えた。
彼はそれによって暗い話題になる気がしていたのだ。
「……自殺?」
「ああ。俺が今調べてる社団法人は、自殺予防を取り組む非営利活動法人だ。『花水木事件』は自殺者の遺体にハナミズキが差し込まれていたって事件だろ? 共通点はその『自殺』ってワードだけ。ほら、ほーんの僅かにしか重なる点が無い。俺が気になったってのはホントにそれだけの理由なんだ」
「……そうですか。それじゃ『そうだったらいいな』と思った理由は?」
「はは……急にグイグイ来るようになったな。流石はジャーナリストだ……」
優斗は呆れるように汗を垂らした。
それだけ関吾の眼差しは真っ直ぐだった。
「単純に……誰かにあの意味不明な出来事の解決をしてほしいと思っただけだよ。俺は仕事や趣味があるから無理だが、ジャーナリストのカンちゃんならワンチャンあるだろ?」
「……あの事件は解決してますよ?」
「犯人が捕まっただけだろ? 全てが判明したわけじゃない。特に……『ハナミズキ』の謎は未だ不明のままだ」
「……」
それ以上はもう語らない。
良いタイミングでジムの専属トレーナーも見えてきた。
優斗は結局のところ無関係の他人だ。
関吾はそれ以上彼から何かを得ようとは思わず、そこで話を終わらせた。
ただ、優斗が抱いている謎は関吾が心の底で抱いていたものと同じだった。
彼もまだ、事件の背後に『何か』がある様な予感をしていたのだ。
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