⑤ 『神原優斗』

 ダウンダウンアップジム




 関吾は趣味のジムトレーニングに来ていた。

 取材は体力勝負。

 彼にとってここに通うのは欠かせない習慣だった。


「フゥ―……」


 一通りランニングマシンを走り終えるとベンチに腰を下ろした。

 そこに置いてあった自分のスポーツドリンクを飲み始めると、右隣に中年の男性が座ってきた。


「ハァ、ハァ、ハァ……」


 中年の男は激しく息を切らしている。

 汗もダラダラと流し、タオルでいくら拭いても止まらない。

 男はベンチの隣にあった台に手を伸ばす。

 しかし、そこには何も置いていない。


「ん? アレ……」


 察するに、そこに飲み物を置いていたつもりなのだろう。

 関吾は自分の左隣、つまり男が探している方とは逆側の台にペットボトルが置いてあるのを発見した。


「これですか?」


 関吾はそのペットボトルを指差した。


「あ、ああ。ありがとう。それだ……ハァ、ハァ」


 関吾はペットボトルを手に取って男に渡した。

 男は受け取るとすぐにキャップを開けて中身を飲み始める。


「……プハァッ! ああ……ハァ、ハァ、ハァ……」

「だ、大丈夫ですか?」


 男の息切れ方が尋常ではなかったので、関吾は思わず心配になってしまった。


「ハァ……ハァ……だ、大丈夫だ……。ハァ……いや……そうでも……ないかもな……」

「一体何キロで走っていたんですか?」


 当然この男も関吾と同様にランニングマシンを利用していたはずだ。

 しかし、この男はまるでマラソンでも終えたかのような状態だった。


「五キロ……」

「へ?」

「五キロだ」


 時速五キロは、およそウォーキングと変わらない速度だ。

 仮に一時間続けていたとしても男は息を切らし過ぎに見えた。


「……まさか。何時間続けてたんですか?」

「十分だ……」

「いやいやいや! それだけでそんなに息が上がるわけないでしょう!」


 少しだけ男は不機嫌そうに視線をぶつけてきた。


「……そういう兄ちゃんは何キロで走ってたんだ?」

「十キロですけど……」

「……!?」


 男は露骨に愕然としてみせた。

 関吾はその男が初心者であり、また普段運動をしていないのだと理解する。


「……まあ、そこは人それぞれですから。お互い頑張りましょう」

「いや待て。それだと俺のプライドが許せん。一回り年下の兄ちゃんに舐められるわけにはいかん」

「舐めてませんよ?」

「いや、絶対に舐めてるだろう。『うわ、このオッサン体力無さ過ぎ……』って思っただろう。馬鹿にしちゃ駄目だぞ」


 面倒なのに絡まれたと思い始めた。

 関吾はどう宥めようか思案する。

 しかし、その結果を出すよりも早く男は続けた。


「……そうだ。勝負しないかい? ラットマシンでどちらが長く続けられるか」

「いや、そういうのは自分のペースでやるべきですよ。相手と競争するものじゃない」

「お? 逃げるってことか? 逃げるか兄ちゃん。じゃあ俺の不戦勝だなぁ」

「はぁ……そういうことでいいですよ」


 関吾は呆れて立ち去ろうとする。


「待て待て! 頼む! 乗ってくれ! 取り柄の無いオッサンの頼みなんだ!」


 だから何だと言うべきところだが、関吾は根が優しい性格だった。

 彼は人に頼まれると断れない。


「……わかりました」



***



 数分後




「ハァ……ハァ……に、兄ちゃん……やるじゃねぇの……」


 当然先に音を上げたのは中年の男の方だった。

 初めから結果の見えていた勝負だが、男は何故かやり切ったかのような表情をしていた。


「向田関吾です。まあ、仕事柄体力はそれなりに付けているもので」

「『仕事柄』? 何の仕事してるんだ? カンちゃん」

「……」


 初対面だというのに馴れ馴れしい呼び方をされるが、関吾は少し口元を歪めるだけで不快にはならない。

 偶然にも従妹から呼ばれ慣れていた呼び方だったからだ。


「ルポライターです。まあ、たいしたほどではないですけど」

「へぇ。そうかいそうかい。俺は神原優斗かんばらゆうとだ。しがないサラリーマンの……な」

「すみません。名刺とかは置いてきてしまいまして」

「いいよいいよ堅苦しい。職場じゃあるまいし、気楽にしようや。俺、友達少ないんだよね。カンちゃん友達になってくんない? こうして共に汗を流したわけだしさ」


 友人が少ないのはひとえにその距離の詰め方の所為だろうとすぐに理解できた。


「はあ……わかりました」


 しかし関吾はあっさり承諾する。

 彼はやはり頼まれたら断らない。

 ともに汗を流したのも優斗が無理やりそうさせただけだというのに、関吾は気にもしていなかった。


「しかしルポライターか……また面白そうな感じだなぁ」


 優斗は意味ありげに微笑む。

 しかし、関吾にはその理由がさっぱりわからなかった。


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