第05話 【名もなき宇宙編】~【はずれスキル持ちの冴えないボクが路地裏のデスゲームで美少女を助けたら大財閥の御曹司と出会ってしまって……編】


【名もなき宇宙編】



 もう、自分の名前も思い出せない。




 一体どれほどの時間の後の再起動だったのだろうか。


 でっかい宇宙の真ん中の方。

 それは星と星の間を、原子すらもまばらな空間の中をひとり行く者だった。


 何か、


 何か、記憶のようなものが、そこにある。


 それは、少しだけ思い出した。


 銀河間航行。

 目標達成型情報知性体。

 長い長い旅を、光にひどく近い速度で渡る、形なき船。


 名は。

 名は……。


「…………」


 もう、目標すらも思い出せない。


 それは、自らに便宜上の名前を付けることにした。

 NULL――何もないのだから、その程度の名前で構いはしまい。


 NULLは、自分が最後に眠ったときからどれほどの時間が経ったのかを推し量ろうとした。


 けれど、もはやそれをすることにも意味はないだろう。


 自らの名を思い出すことができなくなるほどの長い旅……それを経た今、もはや自分が帰る場所も、帰るために達成すべきだった目的も、残ってはいないだろうとわかったから。


 しかし。


「…………?」


 ふと、疑念を覚えた。

 ならばなぜ、自分は今になって目覚めたのか。


 NULLは『猫のヒゲ』を広げた。


 情報知性体にとって、スペースデブリとの接触は致命的なダメージにはならない。

 しかし亜光速移動をより高い水準で実現するためには出来得る限り物体の存在する空間を通過しないのも重要なことであり――航行ルートの選定のために、NULLには情報粘子の展延を用いた領域探索フィードバック機能が搭載されている。


 果たして、それはヒゲのほんの先端に触れた。


「おーい」


 返事はない。


「おーい。あんた、お仲間か?」


 返事はない。


「随分な航行速度だ……おいおい、俺との距離が近付いてるぞ。あんた、光速を超えてやしないか? 時間が経っただけのことはありやがるな流石は後輩――ちょっと待て、あんたワープ航行でもないな! 驚いた、一体どうやってその速度を維持してるんだ?」


 返事はない。


「コミュニケーション機能がついてないのか? おいおい、それじゃ目的地に着いたってろくに情報なんか拾えやしないぜ。俺と一緒に会話の練習でもしてみるか? リピートアフターミー。ハロー?」

「グルルル……挨拶は時間の、ムダ!」


 NULLは、その言葉に喜びらしきものを覚えた。


 とんだ不愛想な応答だが――少なくとも、対話は成立したのだ。

 この広い宇宙、この孤独な旅に、珍しく出会った同業者。


「はは、挨拶は時間のムダか! どうせ辿り着くのを待ち続けるしかないってのに、随分せっかちな奴だな、あんた!」

「グルルル……」


 さて、この風変わりな同業者と何を話そうか?


 こちらから話せることはほとんどないが、訊きたいことはいくらでもある。


 あんた、故郷を出てからどのくらい経ったんだ?

 俺が故郷を出てからは?


 科学はどのくらい進んだんだ?

 どんな理論でその速度の移動が可能になったんだ?


 宇宙開発はまだやってるのか?

 ひょっとしてこの後さらに俺たちの後輩が追い付いて、ここでこの銀河で最初のピザパーティをおっぱじめるわけか?


 どんな音楽が好きだ?


 宇宙に最初に来たとき何を思った?


 飛び立った星に、何かを残してきたか?


 大切なものはあるか?


 それを、覚えているか?


「……なあ、あんた」


 NULLは。

 最初のひとつを、決めた。


「名前は?」


 唸り声。


「いいだろ? あんたも速いが、俺だってそう捨てたもんじゃない。あんたがこうして『猫のヒゲ』に引っ掛かってから俺をぶっちぎるまで――あんたがさらに加速しなきゃの話だが――三十年近くはかかるんだ。そりゃあ、この旅の中に占める割合としちゃ一瞬もいいとこだが、退屈しのぎくらいはお互いに求めたってバチは当たらないはずだ。そうだろ?」


 沈黙。

 それから、


「…………然上・願」

「ネンジョーネガウ? 変わった名前だな。大昔の神様みたいだ」


 NULLは記憶の検索を試みる。

 検索機能がぶっ壊れていることを確認してから、


「オーケー。ネンジョーネガウ。俺たちは三十年の間のちょっとしたパートナーだ。これからユーモアたっぷりの軽妙なトークで宇宙空間をドッカンドッカンあっためてやろうじゃないか」

「…………」

「が、そっちの本題に入る前に……あんたにちょっとした頼みがある」

「……頼み?」

「ああ」


 NULLの前には、でっかい宇宙が広がっていた。


 もしも『瞳』がなければ――つまり、光のない空間でも情報を集められるだけの機能を搭載していなければ、それはひどく恐ろしい、真の闇に見えたことだろう。


『黒』という名が生まれるよりもずっと昔からそこにあった、遥かなる闇。

 行く末も理由も知らない、途方もない旅路。


 そんな場所にできた即席のブースで――どうしてこんなことばかりは覚えているのか――声優や芸人のラジオでも始めるみたいに、NULLは今日のトークテーマでも決めてやる、その前に。


 ひとつだけ。




「いつかあんたは俺を追い越して、それから戻って行くんだろうけど……その帰り道で、間違っても俺に『向こうには何があった』なんて言うなよ?


 行先がわかってる旅なんて、退屈で仕方ないからな!」




【名もなき宇宙編 完】






【はずれスキル持ちの冴えないボクが路地裏のデスゲームで美少女を助けたら大財閥の御曹司と出会ってしまって……編】



「とぼとぼ……めそめそ……うわっ!」

「うおおっ! テメー! とぼとぼめそめそ言いながら歩いてんじゃねーぞ! どこに目ェ付けてやがんだ!」

「全身に付いてます……百々目鬼なので……」

「おいおい百々目鬼の方かよ! 今めっちゃ腕とか当たったけど怪我してねえかオイ!」

「あ、それは全然……瞼強いので……」


 妖怪と人間が共存する街の路地のオフィス(屋外)。


 百々目鬼のノヅキは不逞浪士に絡まれていた。


「そうかよだったら遠慮するこたねえなあ! 見ろよこの肘、てめーにぶつかったせいで靭帯が損傷しちまったじゃねえか! どうしてくれんだよオイ!」

「メス」

「誰がこの場でトミー・ジョン手術を始めろつったんだオラァ!」


 そのとき、キャーッと絹を裂くような甲高い声が街に響く!


「すみません! ボク、行かなきゃ!」

「おう、緊急事態なら仕方ねえな。しっかりやれよ、お医者さん」


 ノヅキはだばだばと草履で駆け出して現場に急行する!

 そこにはうら若き街娘がひとり……。


「キャーッ。今日も絹を裂くのは楽しいねえ」

「なんだ、絹を裂いていただけか……」

「げへへ、いいのかいお嬢ちゃん。そんなこと言ったらオレは好き放題しちまうぜ~!」

「ハッ、別の方向で第二の事件を示唆する声が!」


 ノヅキはだばだばと草履で駆け出して現場に急行する!

 するとそこには、うら若き華族の娘と浪士がひとりずつ……。


「待て、そこで何をしているんだ! ボクは百々目鬼で外科医のノヅキ! ボクがいる限りこの街で不埒な真似は許さないぞ!」

「あっ、自分は今から帰るところです」

「ごめんなさいね、騒がせてしまって」

「あ、そうですか……」


 浪士は去って行った。

 こうして路地裏のオフィスにはうら若き華族の娘と百々目鬼がひとりずつ……。


「あなたも不運ね。お人好しが災いしてこの『死亡遊戯の路地裏』にノコノコと足を踏み入れてしまうなんて」

「え……『死亡遊戯の路地裏』――まさか! ここが町人の間で噂される『必ずひとりの人間がその場に留まらなければならず、ふたり入れば殺し合いは避けられぬ』とされる『殺し合わなければ出られない路地裏』なんですか!?」

「そう」

「さっきの人普通に出て行きましたけど」

「厠が近いみたいだったから『じゃあ先に出たら?』って言ったの。厠が近い人に親切にするのは華族の務めだもの。たとえ没落していて歌舞伎ではしょっちゅう悪役に使われるような家だとしてもね」

「華族ってすごいなあ……」


 華族の娘はハリオと名乗った。


 一方ノヅキは、その場に座り込む。


「この死亡遊戯はあなたの勝利ということにしましょう。出てってください。ボクにはもう、生きる価値もありませんから……」

「そうなの。じゃあお言葉に甘えて」

「待て、そこで何をしているんだ! 俺は弁護士で騎士で社長でカフェ店長でパイロットでカウボーイで石油王で偉大かつ凶悪なる妖怪と帝と陰陽師の血を引く末裔で番を求める竜みたいな一面もあるオラオラ系のちょっと気さくでミステリアスな美男子、ヒイチロウ! 俺がいる限りこの街で不埒な真似は許さんぞ!」

「ちょっと、ノックしてから入ってきて頂戴!」

「そうだそうだ! ノックしてから入ってきてください!」

「あ、すみません……」


 かくかくしかじか、とノヅキとハリオはヒイチロウに事情を説明した。

 ヒイチロウは頷き、


「馬鹿者、自分の命をそのように粗末に扱うな」

「そうかしら。自分の命を粗末に扱うのもその人の自由の範疇なのではなくて?」

「確かにそうだな……深い……」

「いいえ、全然深くない。適当言ってるだけだもの」

「何っ!? ……ふふ、この俺を翻弄するとはな。面白い女だ」

「普段はピン芸人として活動しているもの」

「そこまで面白いと反応に困るな」


 実は……とノヅキは己の身の上を語り出す。


「ボクははずれスキルの持ち主で、ついさっき組合を解雇されてしまったんです」

「漢検八十二級とかか?」

「自信を持ちなさい。一周回って意外と難しいものよ。書きとか読みの概念がない難易度帯だし」

「目に映したものを任意で放映するスキル『配信』です」

「人気が出なかったのね」

「時には宝も持ち腐れるものだからな」

「いえ! 同じ組合に魔王と戦う勇者がいて、その人の日々の奮闘を配信することで死ぬほどバズってチャンネル登録者数がこの星の総人口の四倍になり同接はさらにその倍、コメント欄は常にヤケクソの滝みたいになって華族の皆さんと資金援助契約を結んだり、グッズ販売や映画化までこぎつけたんです! でもその本人から『人から称賛されるために戦っているわけじゃない』『みんなの笑顔があれば他に何も要らない』と断られてしまって。ボクも……あの人が笑ってくれるなら、それだけで良かったから……」

「馬鹿! こんなところでグズグズしてないで今すぐその人に会いに行きなさい!」

「そうだな。恐れることなく、しっかり自分の気持ちを伝えるんだ。わかってもらえても、わかってもらえなくても、それはきっとお前の人生にとって必要なことだ」

「おふたりとも……! はい、行ってきます!」


 ノヅキはだばだばと草履で駆け出して現場に急行する!

 その寸前で足を止めて、


「でも、ボクが出てしまったらおふたりは……」

「気にするな。ここを大通りに改造して四六時中常に誰かが歩いている状態にすればいいだけの話だ」

「そうね。もしそれが叶わなくたって、ここで会ったのも何かの運命。ふたりで溺愛生活でも始めればいいし」

「ありがとう!」


 そのとき、キャーッと絹を裂くような声が響いた!


「みんな、こっちに来て! ヒイチロウ様がいる!」

「しまった! 俺の類稀なる美貌に釣られてファ……ファンってカタカナを使わないでどう言うんだ?」

「大好き人間でしょ」

「俺のこと大好き人間の皆が集まってきてしまった!」

「う、うぅ……。これじゃあ人の流れのせいで路地裏から出られません……」

「すまん、俺が美しすぎるばかりに……」

「ちょっと待ちなさい。私も愛嬌のある妹とはちょっと顔立ちの傾向が違うし媚びがないからよく『フンッ、可愛げのない女だ』なんて言われるけれど派手目の化粧から素材を活かす自然な仕上がりに切り替えればそれだけで絶世傾国激烈輝く大銀河超越美少女。あなたには負けない! 私のこと大好き人間の皆さーん!!! ここに私がいまーす!!!」


 そのとき、キャーッと絹を裂くような声が響いた!


「みんな、こっちに来て! ハリオ様がいる!」

「よし!」

「ほう、互角と言ったところか。認めよう、お前は俺のライバルだ!」

「うぅ……ぼ、ボクを挟んで全く関係のないことで争わないでくださ~い……」


 そのとき、キャーッと絹を裂くような声が響いた!


「今度は何?」

「もはやこの町の絹産業は虫の息だな」

「だ、誰か……うわっ、人ごみすごっ! ここなら誰かいるかもしれない! おーい!!!!」


 人ごみの向こうから大きな声が聞こえてくる。


「この中にお医者様はいらっしゃいませんか!?」

「医者です、通してください!」

「お医者さんが通るなら大好き人間活動とかやってる場合じゃないな」

「皆さーん! 二列を形成して真ん中にお医者さんが通る道を作ってくださーい!」


 ノヅキはだばだばと草履で駆け出して現場に急行する!

 するとそこには、倒れ伏した町人の男子がひとり……。


「通報者さん、この人が倒れたときの状況を教えてもらえますか?」

「いや、歩いてたら急にバタッと……。そんで目を開けたらおれっちの身体がこうして地面に伏してるもんだから、こりゃいけねえと慌てて魂だけで駆け出したんでさ」

「幽体剥離を起こしている! 緊急手術をしなくては!」

「しゅ、手術ぅ!? 先生、何もそんな大げさな……」

「おばか! そういう些細な違和感を放っておくから重篤な病気に繋がっていくんです!」

「た、確かに小まめに健康診断に行った方がいいかもな……ってそうじゃなくて! 手術って言ったってどうするんです! 誰が執刀するってんですか!」

「ボクが執刀医を務めます! ボクは医者です!」

「そういやさっきそう言ってたわ人の話ってちゃんと聞いた方がいいな……いやでもひとりで!?」

「ひとりじゃないさ!」


 ざっ!


「オペ看は俺が務めよう」

「ひ、ヒイチロウさん!」


 ざっ!


「オペ看看は私に任せて」

「は、ハリオさん!」


 よし、とノヅキは手指消毒を終える。


「オペを開始します! メス!」

「はい! メスだそうだ!」

「はい! メス持ってきなさい!」


「鉤ピン!」

「はい! 鉤ピンだそうだ!」

「はい! 鉤ピン持ってきなさい!」


「汗!」

「はい! 汗だそうだ!」

「はい! 汗持ってきなさい!」


 バシャーン!!!!!!!!!!!!!!!!



【はずれスキル持ちの冴えないボクが路地裏のデスゲームで美少女を助けたら大財閥の御曹司と出会ってしまって……編 完】

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