第26話 母からの要望

「殺した――『スネイル』を?」


『スネイル』を知ったと思ったら既に故人だっただなんて、無駄にショッキングだった。だったら、最初からそう言ってくれれば良かったのにとも思うのだが。


「そう。3年前。あなたとマニエラが初めてファックした3日後――ここでね。この部屋で。憶えてる?」


 忘れるわけがない。僕と師匠が結ばれ、初めて愛を確かめあった、あの日あの夜。処女と童貞の清らかな初体験を終え、甘い睦言を交わしている、その時だった。


「ふんっ! ふんっ! ふんっ! ふんっ!」


 突然、母さんが部屋に現れると、無言で壁を殴り始めた。僕も師匠も、震え上がってそれを見てるしかなかった。一瞬で冷たくなった師匠の肌にちょっと興奮したりもしたんだけど、それより、ただただ母さんが恐ろしかった。


 この部屋の内装は、それ自体が師匠お手製の魔道具だ。『始原の魔術』を使った全力魔術戦を行ったとしても、壁が破れたりすることは無いらしい。


 しかし、それが揺れている。軋んでいる。母さんが拳を叩きつけるごとに、細かな埃や破片が跳ね跳び上がり、僕らの頭上から降ってくる。


 5分近く、しかも後半は無呼吸で壁を殴打し、それでも母さんは息を乱してすらいなかった。無表情で振り向くと、それに相応しい声で言った。


「屋敷では、控えなさい」


 というわけで、それ以来、屋敷の敷地内ではしていない。


 ところで――非常に素朴な疑問なのだが。


「あの、母さん――僕たちのそれ・・と『スネイル』の死に、どういう関係があるんでしょうか?」

「言ったでしょう? それ・・の3日後に『スネイル』が死んだ――それとね、あなたたちが初めてファックしたあの日、ようやく手駒が揃ったのよ」

「手駒?」

「うん。『スネイル』をぶっ殺すための手駒」

「え? 母さん。ちょっと待って、それってつまり、母さんが……」

「うん。『スネイル』は、私が殺しました」


 なんという新事実。

 そして――


「『スネイル』が死んだ後、組織自体は『スネイル』の子供たちに引き継がれた。でも、当然、子供たちの間で主導権の奪い合いが始まり、その一部として『スネイル』殺しの犯人探しが行われ、みんな血眼になってるってわけ」


――その『血眼になってる』人たちにとっては、なんという真実。


「えー、知らなかった。あれってイゼルダだったんだー」

「私も、知らされたのは全部終わった後だったからね」


 セリアと師匠の反応はそんな感じで、切迫感は無かった。

 というのも……


「正直、『スネイル』自体は怖くないんだよね。面倒くさいだけで」

「あいつらと揉めると、行く先々が荒らされるんだ。『夜想曲ノクターン』も、しばらくは使えないだろうね」


 ということらしい。

 って――おいおいおい!


夜想曲ノクターンが使えないんですか!?」

「あ、凄い喰い付いてきた」

「イーサンは、夜想曲ノクターンだと凄いからなあ。セリアも知ってると思うけど」

「え!? 私は……どこでも凄いと思うけど」

「そうだね。確かにイーサンは、どこでも凄い。でも野外と夜想曲ノクターンでは特に凄い――そう思わないかな?」

「私は、その……野外と夜想曲ノクターンでしか、したこと無いから」


 何を言ってるんですか……

 僕が、突っ込む前に。


「ぶち殺すぞ?」


 母さんが、一言で会話を止めた。


「とにかく、セリアもマニエラも『スネイル』を叩き潰すってことでいいのよね?『スネイル』の子供たちも、その後ろ盾になってる幹部たちも根こそぎブち殺す――る気まんまんってことでいいのよね?」


「もちろんよ! あいつら、ちょっとでも残ってたら、すぐにまた数を増やしちゃうんだから!」


「その通り。『スネイル』の強みは、組織の復元力だ。だから、それが不可能となるくらいまで叩き、力を削ぐしかない――最終的には、各地方の闇社会の自浄能力・・・・に頼ることが出来るレベルまでね」


「つまり、目的は、最低でもそこまで持っていくこと――はい、決まり」


 母さんが、手を叩いて言った。


「あなた達、この件、私にも絡ませなさいよ。いいでしょ? 私にも『スネイル』のガキどもをぶち殺させなさい。だってそうでしょう? あなたたち、人の息子をファックしてるんだから。それくらいの楽しみ、分けてくれても当然だと思わない? 違う? 私、間違ったこと言ってるかしら?」


 そんなの、違うとも間違ってるとも言えないだろう。


 というわけで、母さんも『スネイル』との戦いに参加することになった。


 ところでなんだけど――


「母さん、さっき『スネイル』を殺すための手駒って言ってたけど、それって、母さんが雇ったりした人なの?」

「雇ったというのとは違うけど、私から声をかけたのは確かね」

「その人は、誘わないの?」

「ううん……あの子・・・は、いまは別件で動いてもらってるのよね」


――というわけで、襲撃のメンバーは、僕、セリア、師匠、母さん。


 作戦開始は、いまからだ。


「こういう場所に……あったんですね」


 見下ろす僕の足元を、景色が流れていく。

 小さくなった山や川、それとあの灯りは、町か。


 いま僕は、空を飛んでいる。

 飛行の魔道具でも到達できないような、空高くをだ。


「イーサンは、何にする? 私はねー。ガントレットと脛当てと、収納魔術ストレージで何本も持ってくから、どんどん投げちゃうよー」


 振り向くと、セリアがフルアーマーな状態になってた。


「セリア、これも着けたらどうだい?」


 師匠が持ってきたのは、小さな大砲付きのバックパックだ。前に向けて砲身を倒すと、肩越しに砲撃できるようになっている。耳がどうなるかは分からないけど、それを除けば強力な武装だ。


 母さんも、床からせり出した棚から武器を選んでいた。同じ様な剣を一振り一振り吟味しながら、収納魔術ストレージに収めている。


 お分かりだろうけど、僕はいま師匠の小屋のにいる。

 そして同時に、空を飛んでいる。


 これがどういうことかというと、部屋自体が、空を飛んでいるのだった。


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