第2話 災禍の始まり

科学で組み込まれたこの世界が存在できているように、神秘で組み込まれた世界も存在する。その一つが【平獄(へいごく)⠀】 。四柱の【⠀神】と、二百万にも及ぶ【妖怪⠀】、そして、それらに支配される人間。最後に、何者にもなれない、何の概念も持たない存在【異形(いぎょう)⠀】。この世界は、これらの種によって構成された世界であった。その中でも、神には二つの役割がある。まず、この世界を治める【皇神(こうしん)⠀】。これは、私が担っていた。・・・・・・そして次に、妖怪たちの中から三匹選ばれ、神へと昇華する者達。これらを【妖神(ようじん)⠀】と呼ぶ。この者達は、存在そのものが平獄を維持する重要な基盤となっている。そして、事の始まりは、この三神が役割を意図的に放棄したことにあった。


私は、重い瞼をゆっくりと開ける。真上には、日本風の木組みの天井が見えた。体をゆっくりと起こそうとすると、その時初めて布団に寝かされていることに気付く。

「起きたか」

私は、声に驚き横を見る。すると、あの青年が横で物々しく正座をしていた。

「この布団、お兄さんが用意してくれたんだ。ありがとう」

私が礼を言うと、彼は特に気にする様子もなく返す。

「礼はいらない。説明をせずに儀式を行った私も悪かった。だが、寝ているうちに大体の状況は共有できただろう。・・・・・・では、改めて自己紹介だ。私の名は【黄清(おうせい)⠀】。こことは別の世界、平獄を治める神だ。・・・・・・一応、お前にも名乗ってほしい」

私は、僅かに混乱した頭を整理しながら答えた。

「まだにわかには信じられないけど・・・・・・、まあ、いいか。私の名前は【⠀白沢御鈴(しらさわみすず)】よろしく頼むよ、黄清様」

私が物々しく呼ぶと、黄清様は、少し驚いたような表情を見せたが、これも特に気にする様子は無かった。恐らく、慣れているのだろう。ちなみに、敬語で話すのは、私なりの感謝の意である。条件付きとはいえ、生き返らせてくれたのだ。それはもちろん、ありがたいことなのだと思う。

「・・・・・・話の続きをしよう。役目を放棄した元妖神。もとい、鬼、龍、妖狐のせいで、二つの世界を隔つ結界は、崩れ始め、一ヶ月後には完全に崩壊する。この結界、いささかタチが悪く、一度完全崩壊しなければ組み直すことが出来ない。そして、その間に、少なくともこの国には大勢の力を持つ妖怪や異形が蔓延るだろう。それを平獄に還す役割をになってもらうのが、お前だ、御鈴」

私は、壮大すぎる話に、思わずぽかんと口を開く。・・・・・・仮に、黄清様の話が本当だとしよう。すると、いささか不可解な点がいくつかある。

「あの・・・・・・、そもそも普通の人間である私が、そんな妖怪や異形と戦えるんですか?それに、黄清様なら、平獄にそれらを還すことも可能では?」

私が質問すると、彼は丁寧に説明を始めた。

「まず、お前の心配事については安心していい。ここに来る前、刀を刺しただろう?あれはいわゆる、私の力の端くれだ。あの力があれば、ある程度の妖怪や異形は還せる。・・・・・・高位の相手とは、難しいだろうが、私も結界の修復を遅らせる訳にはいかない。そこは、自重してくれ。・・・・・・そして・・・・・・二つ目だが、私はあれらをこの国の外に出さないためにも、この国を覆う結界を張らなければならない。・・・・・・正直、想像できないほど消費する。そのため、余程危険な状態でない限り、手出しはできない。」

黄清様の説明が終わると、私はこくりと頷いた。その後、彼は、息をつき、ゆっくりと立ち上がると、先程と同じように刀を取り出して言った。

「では行くぞ、御鈴。少し体を動かすとしよう」


「・・・・・・広いな」

私は、思わず呟いた。あの屋敷の外に、これ程広い庭があったなんて。

「・・・・・・私は、あの屋敷と庭、それらを総じて【黄玉殿(おうぎょくでん)⠀】と呼んでいる。いわゆる、私の固有の領土のようなものだ。使いたい時は呼べ。・・・・・・話が脱線したな。では、お前も獲物を出せ。」

「・・・・・・どうやって?」

思わず、聞き返してしまった。恐らく、獲物ということは、黄清様で言うところの長刀のような物だろう。・・・・・・どうやって出すんだ?確か、あの方はこうして手をかざして・・・・・・うん、出ないよな。

「探すのではない。創れ」

創れ・・・・・・創る?こうして、勘で形を決めて、勘で輪郭を描く。そうして、私の脳内で一分ほどかかって刀が出来上がる。

次の瞬間、ぶわっと風が吹き、一本の短刀が現れた。そして、その刀身に映る私の瞳は・・・・・・、

「琥珀色だ」

その様子を見た黄清様は、再び刀の切っ先を私に向けた。

「悪いが、手加減している暇はない。・・・・・・死ぬ気で来るがいい」


一方、その頃の平獄。

一匹の鬼が屋敷の縁側で酒を飲んでいた。満月の夜、彼の姿がはっきりと映し出される。かきあげられた黒髪、そこから生えた対の角、褐色の肌、全てを見透かすような黒い瞳。この青年こそが、妖神の役割を放棄した妖怪の一匹。元鬼神、【秋都(あきと)】と呼ばれる鬼である。

「おいおい、こんな夜半に月見酒とか粋なことをするな」

ふと、後ろから聞き馴染みのある声が飛んでくる。

「せやね。誘ってくれたら良かったのに。僕らの中やろ?」

秋都は、そのふたつの声に対し、振り向くことも無く返した。

「朱刻と尊里か」

【朱刻(しゅこく)】。元龍神であり、焦げ茶色の髪に、僅かにねじれた二つの角、朱色の瞳を持つ、齢十八程の青年。同じく、元狐神、【尊里(そんり)⠀】。ふんわりとした白い髪に、頭から生えた白い耳、細く、金色の瞳を持つ青年。

どうにせよ、この三匹こそが、役割を放棄し、結界の崩壊を招いた諸悪の根源ということになる。

「呼んでも良かったが、満月の夜はどうも虫の居所が悪い。昔、適当な女を見繕って酌をさせたことがあったが、うっかり全員殺してしまい、貴重な人間を減らすなと尊里に言われたからな。お前たちも、殺し合いをけしかけられても迷惑だろう?」

秋都は、真実交じりに冗談を言った。それに対し、朱刻は、面白そうに笑う。

「いいや、俺は歓迎だ。殺し合いほどの娯楽もそうそうあるまい」

しかし、尊里は、目を細めて笑ったまま、手に持った扇で口元を隠した。

「僕は、あんまり戦うの得意じゃないんやけどなあ・・・・・・。君らの手合わせを見てるだけでいいわ」

尊里の謙遜に対し、朱刻と秋都はからかうように言った。

「おい、齢二千の化け狐が何か言ってるぞ」

「愛嫁に丸くされたのだろう。そのうち、扇のキレも丸くなるぞ」

しかし、尊里は、顔色を変えることなく二匹の言葉を無視して話し始めた。

「・・・・・・ところで、秋都、朱刻。あの神は、黄清はんはどう動くと思う?」

黄清という言葉に、二匹はぴくりと眉を動かした。

「・・・・・・まず確実に、自分では戦わないだろうな。宮司、もしくは巫女を選び、戦わせるだろう」

初めに口を開いたのは朱刻であった。その隣で考え込んでいた秋都は、僅かに口角を上げると朱刻と尊里の方を向き、聞いた。

「おい、宮司にしろ、巫女にしろ、厄介な存在であるとこは確かなんだろう?」

「・・・・・・まあ、そこらの妖怪や異形なら、確実に還されるやろなあ・・・・・・」

「そうか、それでは、」

秋都は、再び笑った。どこまでもどこまでも冷徹に。

「神の代役を殺す仕事は、俺が担うとしよう」

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