第42話 アンケート

 グラサンは服装も神々のままで、見ようによっては白装束にも近い。そんな格好で表通りを歩いていたのかと思うと、全く呆れるやら尊敬するやら、とにかく頭の整理が間に合わないくらいだ。


 トシや従業員の目もある。俺は軽く咳ばらいをして、即座に平静を装った。


「い、いらっしゃいませ、どうぞこちらへ……」


 グラサンを受付に案内し、動揺を隠しつつ応対する。他人の空似ということはまずありえない。グラサンは何も言わず、静かに俺の説明に聞き入っていた。室内は静まり返り、俺とグラサンの密やかな会話だけが、しっぽりと空間に染み渡る。


「じゃあ、行って来るぜ」


「ごゆっくりどうぞ……」


 特に大きな問題もなく、グラサンは階上の薄闇へ消えていった。外では少しずつ往来が減り、日が傾くと共に、静寂が広がり始めていた。


 階上の薄闇へ消えていくグラサンの背中を見送ると、俺は冷や汗を掻きつつ、受付に戻る。


「店長、初めての客、どうでした? 私、何だか緊張しちゃいましたよ」


 興奮冷めやらぬ様子で、店員の一人が尋ねて来た。彼らとしては全てが新鮮なのだ、無理もない。


「まあ、俺に掛かればざっとこんなもんよ。しっかりと俺のやり方、見て学ぶんだぜ」


 格好を付けたのはいいものの、実際、当然だが俺に案内という経験はないが、夜月という単独の遊女を売り込むだけだから特に難しいことはない。これで少しは先輩風を吹かせられるだろう。


 その後、グラサンが戻るまで、正直に言うと、俺は非常に落ち着かない時間を過ごした。


 グラサンの出現ももちろんだが、夜月の様子も気になる。たとえグラサンとはいえ、彼は当店の記念すべき第一人目の客であり、これからの店舗経営を占うものだ。 


 もし、階上から降りて来たグラサンがむすっとしていたり、明らかに不満気な色を呈していると、店そのもの、そして業態そのものへの信頼が揺らいでしまう。


 果たして、グラサンはどのような表情で降りて来るのか。俺たちは一心に階段に視線を送り続けた。


 そして。


「よお店長、ちょっといいかい?」


 少なからず分かっていたことだが、相手はグラサンだ。しかもサングラスの色が濃く、その表情はなかなか読み取れない。ただ、足取りがなんとなく軽やかであることが、まずは俺と従業員たちを少なからず安心させた。


 俺はグラサンを待合室へ案内することにした。


「アンケート……、いや、調査も兼ねて行って来る。客が来たらここか、表で待たせておいてくれ」


 待合室も最初は殺風景な和室の一室だった。それが今は少しばかり洋室に近い形にアレンジされている。やや形は不格好だが、俺のよく行っていた店舗に近づいたと言えよう。


 俺たちは粗末な机を挟んで向かい合った。


「それで、様子はどうだった?」


「向こうでは夕方少し前、まあこの世界と同じ時間帯だな。単刀直入に言おう、ゲイドリヒ殿が動き出した」


「何!? ……と、違う違う、夜月のことだ。問題はなかったでしょうか?」


 いかん、仕事モードに入ってしまった。とはいえ、これだけは聞いておかなければならない。


「……あ、ああ、凄い剣幕だな、そうだな……」


 それから俺はグラサンから夜月の細かな仕草を聞き取った。しかし、その話の全てが頭の中に入って来ることはなかった。冷静さを気取ってはいても、話の途中、不意に自分自身の事を考えたりもした。


(ゲイドリヒが動き出した? ……いつもは動かないくせに嫌な時に動く、相変わらず玉筋部長らしい動きだ。事情は良く分からないが、俺がここに居てはパンドラに迷惑が掛かるかも知れない)


「しばしお待ちを……」


 俺は急いで受け付けに戻ると、入り口のトシも呼び戻して、従業員全てにグラサンからのアンケート結果を伝えた。


 それから、やや口調を変えて、彼らに語り聞かせる。


「まだはっきりと分かった訳ではないが、このあと、俺は急用で出掛けるかも知れん。そうなった場合、花乱れの舵取りはトシに任せる。みんなも協力してやってくれ」


「兄貴……?」


 俺のどこかしんみりとした態度を前に、何事か嗅ぎ取ったのか、トシもまた神妙な態度を見せる。


「おいおい、別に居なくなる訳じゃない。そんな顔をするもんじゃないぜ」


「あの変な客に何か言われたんですね、いいですよ、俺がガツンと言ってやりますから……!」


「待て待て! そんなんじゃない」


「じゃあ、何なんですか、そんな言い方、今まで無かったでしょう……」


 万次郎とトシは長い付き合いのようだが、俺には全てを知る時間はない。だが、それを無視して、このまま彼の前から離れることには、やや抵抗があった。僅かなりにも、トシの心境をおもんぱかっておかなければならない。


「トシ、これは成長の為に必要なんだ。お互いにな。また、俺たちだけじゃない。この世界の為に、避けては通れないものなんだ。何が大事か、それを俺たちは考えなければならない」


「店長……」


 表現に誇張が過ぎるような気もするが、しかしあながち間違いでもない。実際、もしこのパンドラの世界が上級神たちに見付かり、彼らが管理する、地上の協調から外れた人間たちが暮らしていると知れれば、俺の罪はより重いものになるだろう。


 また、俺にどれだけの力が溜まったかは分からない上に、ゲイドリヒの力も未知数だ。無事に戻って来れる保証はない。


「その時は、少しばかり長い外出になるかも知れないが、いつか必ず戻る。後は頼んだぞ」


 どういう表現であれ、トシに任せておけば、風俗としての機能は必ず存続する。俺は後ろ暗さを感じつつも、やや強引にその場を後にした。


 待合室では相変わらずグラサンがくつろいでいる。あれこれと物珍しそうに周囲を眺め、関心したような、良く分からない表情を浮かべていた。


「待たせた」


「ほう、なかなかいい顔をするようになったな。覚悟が出来たと見える」


「覚悟か……」


 俺はそう言ったきり、静かに椅子に腰かけて、グラサンと静かな対面を果たした。


「違うのか。ならば、諦めか?」


「どっちもかな。そもそも、俺はまだ詳しく話を聞いていない。判断は出来ないさ」


「全く勝手な奴だ、貴様が話の腰を折ったんだろう……。まあいい、それでは話そうか。まず、ゲイドリヒ殿の性格と、彼が置かれている立場は知っているか」


「性格は分かる。立場はまだ詳しいことは知らないが、どうせ色々なしがらみに縛られているんだろう」


「平たく言えばだ、上級神としての権限を持ちながら、今一つその働きが芳しくない、という所だな。能力は申し分ないのだが、いかんせん性格がな。それで、今回のドルンドルンの審判に関しては、何かしら働きを見せたいと思っていたようだが……」


「働きと言うと、俺が有罪か無罪か、とにかくそういう証拠を揃えたり、そういうことか?」


「ああ、本来なら、それが真っ当なやり口なんだろうがな」


 グラサンは僅かに言いよどむ。俺は固唾かたずを飲んで、彼の口から出る、次の言葉を待ち受けた。


「どういう訳か、暴走気味なんだ」

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