第41話 来店ありて

 時刻は正午を回り、市内は俄かに活気付いていた。しかし花乱れの周囲は閑静なもので、時折、物珍しさにが周囲を訪れる者がいる以外には、表通りの声が届く程度である。


 そんな時分、薄暗い二階の個室に三人の男女が居た。内一人は下半身を露出している。


「夜月さんに見られるならともかく、兄貴に見られるのは恥ずかしいですよ……」


「いいから、縮こまってないで早く元気付けろ!」


 いわゆる風俗遊びの走りとして、日本史において有名なのは、江戸時代の遊郭が思い浮かぶ。だが、これの遊びの範囲は広かった。現代で言うガールズバー風に会話のみを楽しんだり、音楽や舞などの芸術を見世物とする所など、どちらからと言えば性的サービスの比率は下がるだろう。


 そのような中で、それに特化した店舗を歴史の早い時点で登場させようと言うのだ。


 しかし、まずは現実問題として、避妊の問題があり、提供する行為にはどうしても制限が出る。禁止行為には厳しく罰する必要があり、最初の内は特に客を厳選する必要もあるだろう。遊女のシフト管理を厳密に行うなど、トシ側に伝えなければならない事も多い。


 何にせよ、法整備や細則に関しては後代に一任するとして、今は花乱れを開業させたい。それが俺の今の原動力だった。


「……ふぅ」


「痛くなかったですか?」


「だ、大丈夫です! その、良かったです、ありがとうございます。……ふぅ」


 トシが静かに息を漏らす。良く考えると、他人のフィニッシュを目の前で見るのは初めての経験だ。薄暗い室内で、トシの痙攣の様子や、息遣いや表情なんかを眺めていると、新鮮味があって面白い。


「よしいいぞ、二人とも。そうだ、次は客の攻撃のかわし方も覚えておかなければならないな。これには店舗側との連携も必要になるが……」


 攻めるばかりではいけない、自らの防衛の為の方法も伝える必要がある。


 こうして彼らにソフト、ハードの両方を伝え終えた頃には、三人共に疲労を覚えていた。


 内装や外装も、まだまだ完全には程遠いが、それとなく完成に近付いている。パネルとなる夜月の全身図も完成した。この時代らしいふわふわしたものにしつつ、体のラインを出して妄想を煽る。受付、待合室、そして階上への道のりへは適度な目隠しを設置した。課題は残るが、現時点では上々と言っても良い。


 時刻としては午後三時頃。ぼちぼち休憩を取るべく、俺とトシは一時的に店を抜け出し、近隣の甘味処へ向かった。


 店舗周辺とは異なり、表通りには十分な賑わいがあった。多くの者が着物に身を包み、華やかな格好をして練り歩いている。


「トシ、色々と詰め込んですまないな。次が最後だ、弥吉を交えて、今後の流れを確認しよう」


 俺にとっての嬉しい誤算、それはトシの呑み込みが早いことだ。トシは商売人に憧れて上京し、俺にそれなりの敬意を持っていることもあり、モチベそのものが高まっている。新たな業種、新たな店舗のサブを任されるというのだから、それも頷ける。


「でも兄貴、本当にどうしてしまったんですか? 何か、生き急いでいるような感じがしてなりません」


「まあ、勢いが大事だってことだ。今後、この産業の軸となって、弥吉共々、俺を助けてほしい」


 上手くいけば、次の転生の折には風俗産業が発展している可能性もある。もちろん俺が居た頃の成熟さとは比べ物にならないだろうが、大事なことはそれではない。


 俺が初めて歓楽街の門を潜ったのは約十年前。まあ、それなりに早かった。何せ初めても……と、そんなことは良いが、その頃と今で、もちろん新鮮さは減ったが、心が躍ることには変わらない。


 歓楽街の真価は、時代や小手先の技術ではない。それを思えば、これより十年後でもいい、産業としては未熟であるかも知れないが、裏通りの中で脈々と受け継がれていけば、十分に楽しめるものになるだろう。


 そうして、甘味処で茶としること団子など、目に付く物を平らげていると、弥吉が合流した。膨れているような、それでいて晴れやかな複雑な表情だ。


「全く、夕方前に開店などと無茶言いやがって」


「すまなかったな。だが不可能なことは言っていないつもりだ。相手を見て言っているからな」


「気持ち悪い事を言いやがって。まあいい、とにかくお前の要望通りに事は済ませるつもりだ。約束通り、表通りのあの敷地は一旦こちらの好き勝手にさせてもらうぞ」


「もちろんだ。今後もよろしく頼むぞ」


 弥吉は小さく舌打ちをするだけで、それに関してはそれ以上の言及をしなかった。不器用な奴なのだ。現代では、ここまであからさまな奴はいないが、それもそれで寂しい話だと思うようになってしまった。


 思うに、この時代は誰もが「人」が生きていて、人と人とが触れ合っている。会社や組織という括りではないから、大きな仕事は出来ないかも知れないが、少なくとも個人で働く中では過ごしやすい。


「トシと言ったか、少し見ない間に、なかなか良い顔をするようになったじゃねえか」


 弥吉の去り際のセリフに、トシは満更でもない表情をした。


 休憩を終えた頃には、時刻はだいたい午後四時に差し掛かっていた。まだまだ陽は高いが、少しだけ風の色と匂いが変わったように感じる。


「俺はな、この時間の風が好きなんだ」


「兄貴?」


 トシと花乱れに戻る最中、俺はふと立ち止まり、その場で深い呼吸をした。歓楽街にも様々な店舗がある。朝からずっと開いている店もあれば、酒の時間帯、つまり夕方と同時にぼちぼち開店準備を始める店もある。そういう店からすると、この時間は、夜が目覚める時間といっても過言ではない。


「いや、すまんな、柄にもなく感慨にふけっちまった。さ、開店の仕上げだ」


 受付には俺が立ち、トシが通りで客の呼び込みをする。他、雑用的な人員が数人。遊女は夜月一人だけだが、とにかく店の体裁は整えた。


 俺は一同の作業の手を止めさせると、夜月を含めた従業員を集めて挨拶をした。


「諸君らにとっては、急転直下の事態となった者もいよう。特に夜月などは、昨日までとは正反対の暮らしだ。しかしみんなの背景にはこだわらず、俺は、皆で一丸となってこの店、そして形態を発展させて貰いたいと思う」


 俺はささやかながら拍手を貰い、俺のしてきた事、そしてやるべき事が無駄ではないと確信をした。


「さあ、開店だ。客入りは不明だが、なあに、今日は慣らし運転だ。ぼちぼちやって行こう」


 こうして開店宣言がなされた。店舗の宣伝はもちろん、システム、業態そのものが全く世に浸透していない。まさか今日の今日で何かしら売り上げが立つとは思っていない。だが苦難が報われる日は必ず来る。今は耐える時でもある。


 そういう心構えを持って、悠長に構えていた折、トシが入口を抜けて俺の元へ駆け付けて来た。


「あ、あ、兄貴、客です、客でさあ!」


「何だと!? こりゃあ幸先が良いぞ!」


「でも、ちょっと奇妙な成りをしていますが……」


「こういう業界だ、客にも特殊な奴が居る。だがな、飽くまで迷惑行為をした際に、俺たちはそのように扱うんだ。それまでは、見た目や仕草で変な差別はするんじゃねえぞ」


 その時、俺は初めて、自身が風俗店の門を潜った時の事を思い出していた。俺はもしかすると追い返されるのではないかとか、変な追加請求はないだろうかとか、とにかく不安で一杯だった。


「その者も不安に沈んでいるはずだ。俺たちがその不安を払拭してやろうじゃねえか。毅然きぜんとした態度でお迎えするんだ、慣れない奴もいるだろうが、堂々と行こうぜ」


 俺の号令を受け、トシが客を案内する為に表へ戻った。入り口には目隠しとして、暖簾のれんが目深に設置されている。実際に誰が入って来るかは、その時まで全く分からない。合わせて室内も暗く、簡単には相手の身分も分からない。


 俺は他の従業員にも目配せをした。しっかりと相手を受け入れて、この業界で働く人間の模範となるべく、客を迎え入れなければならない。


 いよいよ暖簾のれんが揺らめいた。客の姿が僅かに見える。同時にその者は堂々とした発声を行った。


「よう、邪魔するぜ」


 俺は正にその時まで、何があっても動揺せず、堂々と応対するつもりだったが、目にした光景の前に、そのような決意は一瞬の内に吹き飛んでしまった。


「グ、グ、グラサン!?」

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