第38話 構想
原型を作る。荒々しいプロトタイプでもいい。
もし俺たちが知る歴史のずっと以前に、しっかりした風俗店があったとしたら、現代社会となった時、更に多様性が広がっていることだろう。
それはマイノリティにとっても救いになるかも知れない。例えば、客の男が店に行き、男の
「お、表通りをすっぱり諦める!? 何を言い出すんだよ、兄貴!?」
トシが叫ぶように言い放った。俺たちが連れて来られたのは、
「あの万次郎ともあろうものが、遂に焼きが回ったみたいだな」
「寝起きを襲おうという奴に言われたくないな」
場は正に一触即発といった具合で、これには俺自身もひやひやしていた。この万次郎、少なくとも口振りや態度はかなり我が強く、思わず俺が引っ張られてしまいそうになる。
しかし弥吉が冷静に返してくれたので助かった。
「寝込みを襲うような真似はしたくないんでな。まあ良い。そっちが手を引くって言うんなら、こちらが追いかける理由はない」
まあ、本当の意味で
「ただし、条件がある。裏通りの使っていないような店、もしくは屋敷と、人手を貸して欲しい」
俺の発言を受けて、弥吉は何事か仲間内と
「まあ、その点については問題ないが、いいのか、お前らが損をするような内容だぞ」
彼らからは、どことなく
俺だって焦っている。神々の審判とやらが、俺に与える影響がどんなものか知れないのだ。そう考えると、もしも俺が道半ばに倒れるとしても、このパンドラに発展の
「世の中、お金ばかりじゃない、って事さ」
どうせなら、生きている内にこのセリフを吐いてみたかったが、まあそれは仕方ない。どうせ
「なんだ、頭でも打ったんじゃねえのかよ」
「今までの行動を悔い改めたのか」
「訳わかんねえ」
俺の思惑に反し、弥吉の取り巻きからは様々な言葉が飛んで来るが、いちいち気にしていられない。
その後、その場を適当にまとめると、俺はトシと一緒にその場から抜け出した。
「兄貴、何か人が変わったみたいですね。特に最後のやりとり、見事なものでした」
トシが感心しているのは、最後に、具体的に俺が相手に対し、首尾よく今後の予定を伝えたことだろうか。俺は手早く、必要となりそうな資材から人材、場所、時間までを要求した。それはもちろん現代的な環境から言えば、特にこれといって褒められることでもないのだが、やはりこの時代からすると勝手が異なるのだろう。
「俺には時間がないんだ、奴らの言いなりにだってなるし、俺の指示にも従ってもらう」
「それより、一体何をしようって言うんです? そろそろ俺にも教えて下さいよ」
「誰でも金さえあれば女を抱けるようにするのさ」
「はあ……」
トシには今一つイメージが湧かないのかも知れない。この時代、一般的に娼婦とは権力者のものであり、また、彼女たち自身にもそれなりの知識や芸能力などが求められた。そのような女性を、誰それが容易く抱ける環境ではない。それが慣習であって、誰もがそれに縛られているのだ。
「ただ、当然ながら女性、そして絵描きと美容師はこちらで手配しなきゃならねえ。その辺りはどうだ? こればっかりは、俺もお前を頼らなきゃあなんねえぜ」
「は、はい、光栄です、全力でやりまさあ!」
「任せたぜ、トシだけが頼りだ」
実際の話として、俺は万次郎に対して損害を与えていることだろう。しかし、仮に風俗産業が波に乗り、それを牛耳ることが出来れば、比較にもならない利益を得ることが出来るはずだ。
その点、先の交渉は、万次郎と弥吉との、これまでの軋轢を幾ばかりか解消するものだったようにも思う。二人とも、片意地を張っていたのか、いつも衝突するばかりであったようだ。
そこを俺、万次郎側が一気に折れた。結果的に、張り合いを無くした弥吉はかえって俺に注目し、その俺が何を為すのかと興味を持っている。それが、彼がこれまでの関係にも関わらず俺に協力する動機ともなった。
さて、それから間もなく、俺は店舗予定地となる、裏通りの店の前に立っていた。そこは整備された表通りの一本道から、道を二つ折れた小川沿いの屋敷だった。
「水の流れか、思えばこういう商売と相性がいいかもな」
太陽はすっかり顔を出し、光が水面に反射してやたらと眩しかった。人は川の流れに人生を感じる。それは、どことなく虚脱感の漂う風俗帰りの心境にも通じるものもある。
想像は更に広がり、俺の口を突いて言葉が出る。
「今日明日ではもちろん無理だが、先々、大通りの東側には酒処や雑貨の店も欲しいな」
俺が大人になる前に消えてしまった、子供の頃に見た実家近くの歓楽街。もちろん、夜に行くことは出来なかったが、昼間にそこを通るだけでも、あられもない妄想を浮かべられたものだ。
そしてトシと別れてから一時間程度。トシの行動は予想以上に早かった。
「あ、兄貴、ちょうどいい女が居ましたぜ!」
「本当か!? よし、いいぞ。これからは
「え、キ、キャスト?」
「そうだ」
「……キ、キャスト、ちょうどいい女が居ましたぜ!」
「俺の事じゃねえ!」
待てよ、この時代ならば、通常であれば遊女や芸者という表現が適当かも知れない。俺が思い描くものへ近付けることも大事だが、段階を踏むことも大事だろう。その内に自然に多様化して、時代に即したものへ変わっていくだろう。
「……あ、いや、すまない。やはり、ここは遊女としよう。それで、どんな奴だ」
「へい、川原で野垂れ死にそうになっていた所を引っ張って来ましたぜ。今は向こうの長屋で飯食ってます」
良い予感と悪い予感。不思議な感覚を覚えながら、俺はトシの後について長屋へ向かった。
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