開店行脚

第37話 黎明の光

 はっと目を覚ます。実に良く寝た気がする。何かが始まりそうな、そんな夜明けだった。


 布団から身を起こし、俺は周囲を見回した。室内には木製の格子窓が設けられ、障子を通して黎明れいめいの光が差し込んでいる。


 うっすらと室内の様子が見えて来た。大丈夫、他には誰もいないようだ。やはり、どこかも知れない時代での目覚めを、誰知らぬ者と唐突に鉢合わせするのは、心理的にも宜しくない。


 さて、今度は男だ。下半身をいじると、妙に懐かしい感覚がした。最後に使ったのはいつだろう、と思い出そうとしたが、ネクタルと共に苦い記憶が蘇って来た所で、俺は急いでその記憶を閉じた。


 時刻は六時前だろうと思われた。この転生の旅は、昼過ぎに転生して夕方過ぎに意識が入れ変わることもある。そのことから考えると、これだけ早い時間に目覚めるということは、どことなく不思議な気分だった。


 さて、この者の名は万次郎まんじろう。商売人らしい。店舗も持っているとのことだ。いいぞ、風俗店への希望がいよいよたかぶって来た。俺は興奮しつつ、情報を更に引き出す。


 しかし、それから間もなくして、俺は青ざめた。


 『抗争案件あり』とのことだ。しかも刃傷沙汰の可能性もあるとのこと。穏やかではない。


「兄貴ィィ!」


 情報をどう整理しようかと悩んでいると、階下から何者かが叫びながら登って来るのが聞こえた。


「な、何だ何だ!?」


 俺は布団から跳ね起きると、慌ただしく周囲を見回した。しかし兄貴と呼ばれたからには、それ相応の態度をしなければならない。急いで和服の乱れを直すと、どっしりとその場に構えて、その者の到来を待ち受けた。


「おお、さすがは兄貴、もう目が覚めていましたか。それより大変です、朝っぱらから殴り込みです。恐らく夜明けを待っていた模様。さあ、こちらへ」


 いかん、展開が早い。元来、俺はそういう喧嘩沙汰は苦手なのだが、変な憧れもある。兄貴らしい事でも呟いておくか。


「仕方ねえな、だが逃げるのも性に合わねえ、やっちまおうぜ」


 するとその者、名をトシと言うようだが、全く逡巡しゅんじゅんせずに答える。


「だ、駄目ですよ、俺たちだけじゃかないっこありません。とにかく相手はかなりの人数です。ここは逃げますよ、裏道、確保してますから」


「……そうか、分かった」


 今一つ状況が掴めないが、しかし悠長に構えている暇はなさそうだ。俺はトシに言われるがままに階段を降り、建物の裏手への道を進む。


 だが。


「よお、待ってたぜ、万次郎」


 見るからに荒くれた者が数名、建物の裏口で踏ん張っている。俺は何かの間違いかと思い、トシを振り返ると、何事か申し訳なさそうな顔をしている。


 こいつは、何かやったか、もしくはしくじったな。


 しかしトシに疑いを抱いても仕方ない。少なくとも、万次郎にとってのトシは、いわゆる弟分のような奴で後ろ暗い所はない。とはいえ、それは飽くまで万次郎が知っている事。彼の知らない所でトシが何かしていれば、それは当然ながら分からないし、もはや考えても仕方のないことだろう。


 相手の中には用心棒らしき、いかにも腕っぷしに自信ありと顔に書いているような巨体がいた。朝ぼらけの空の元、何とも似つかわしくない顔だ。


「何だ、抵抗しないのか、つまんねえ奴だぜ」


 その中の一人、眉毛に反り込みのある細身の男が俺に言う。服装は着物だが、柄も地味で、質もそう良いものではないだろう。安物という訳ではなく、まだ品物が豊富ではないのだ。時代としては、前回からまた数十年程度経過したか、日本で言えば奈良か平安時代といった所だろうか。


 その者の名前を弥吉やきちと言う。なかなか洒落しゃれた名前だ。どうやらその一派のボスであり、商人組合として、俺こと万次郎とも、それなりに深い付き合いを持っているようだ。


「ふん、そういう気分じゃねんだよ。どこへ連れて行くか知らねえが、付いていってやろうじゃねえか」


 自然と口調が引っ張られるが、これが万次郎という男の性分のようだ。どちらかと言うと、俺はそのように突っ張った時代がなかったから、ふとした拍子に違和感を覚える。


 彼らに抵抗してもいいのだろうが、先日もメルたちに語った通り、俺は神として人間に接することは、なるべくなら避けた方が良いと考えている。それだから彼らの言うがままに従い、後ろを付いて歩いていたのだが、とてもそのような心境ではいられなくなった。


 なんと、そこは歓楽街のような所であり、所謂いわゆる、花街という所だった。


 左右に広い通り道で、看板を掲げた各種店舗が軒を連ねている。想像図なんかでよくみる、かつての京のような街並みだ。もちろんピンク街そのものではなく、基本は服飾や料亭など、その辺りが主だったものだ。


「か、歓楽街だ……」


 俺は思わず呟いた。まさか、このような街並みを再び目の当たりに出来るとは思わなかった。それを目指していたとはいえ、しかし唐突に現れると、変な戸惑いが出てしまう。


「おいおい万次郎、何を呆けたことを言ってるんだ」


 しかし、もはやその弥吉の言葉にひるむ俺ではない。途端に神としての役割を思い出したのだ。


「寝ぼけてなどいない」


 俺は毅然とした態度で言い放った。


「お、何だ何だ、やっぱりやるんじゃないか、面白い」


 往来はほとんどない。うっすらと白ずんだ空が、無表情な街並みを薄暗く照らしている。白塗りの壁が目立つ、瀟洒しょうしゃな街並みだ。そのお洒落な街並みが歓楽街だというのだから、意味合いが若干異なるとしても、何とも興味深い。


 今は朝、営業している店舗はない。歌舞伎通りのようなもので、そこはそれを中心とした表通りなのだ。性風俗の類の店舗などあるはずはない。


 ただ、その歓楽街然とした造りが、俺の心を捉えて離さなかった。


「やるつもりはないさ」


 そもそも俺達はなぜ争っているのだろう。俺は弥吉から目を逸らさぬまま、そっと万次郎の記憶に問い掛けた。


 何でも、この大通りの店舗の使用権利についての争いがあるらしい。一等地とも言える場所だ。


 しかし、それは万次郎がそういう、例えば衣装貸しや旅館のようなものを想定しているからであって、俺は違う。怪しい店は怪しい路地裏にあるべきで、その方が通う方も助かるのだ。つまり、俺と弥吉の中には争いは存在しない。


「やるつもりはない? はん、どの口が言ってるんだ」


 すまぬ万次郎よ。人にはそれぞれ信念がある。ともするとこの世界に来なければ、自分の中のそれに気が付かなかったかも知れない。ただ流されるままに暮らし、その中でたまにご褒美を自分に与える。そんな暮らしが続くだけだ。


 だが、そんな暮らしはもう出来なくなってしまった。少なくとも俺はパンドラの発展を導く義務に目覚めていた。


「この口だ。それより良い話がある、耳を貸せ」


 俺は決意していた。この時代に風俗店を作る。歴史の表舞台としては江戸時代の遊郭あたりが有名だが、大規模ではなくともその原型を作ることは、この時代でも出来るはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る