第35話 空模様

 俺は空を見ていた。ああ、雲が流れていく、と言いたいが、しかし空は生憎あいにくの快晴だ。


「あ、あの、ドルンドルン様、我々は一体どのくらい待てば良いのですか……」


「今、しばらく! 皆の気が静まらないことには、出来ぬことなのだ。我と、そなたら自身を信じるのだ」


 タツネの姿では今一つ威厳がないのかも知れないが、しかしそれはドルンドルン本人の姿になっても変わらないだろう。神というものは、やはり人前においそれと姿を見せるものではないのだ。


 結局、メルの到着を待ちながら、数十分が経過した。俺は彼らに瞑想のようなものをさせて、とにかく静かな時を過ごしてもらっている。


 この点、古代の人々の性格もあるのだろう、多くの者が素直に俺の言葉に従ってくれているのはありがたいことだ。これが現代なら、既に半数以上の者が既に帰路につくか、俺に殴りかかろうとしているかも知れない。


(ああ、空が憎らしいくらいに青い……)


 そして俺自身もぼんやりとまどろみに引きずり込まれそうになった頃合い、遂に異変が現れた。やや離れた森林地帯の中に、眩い光を見たのだ。他の者は目を瞑っていたり、数人はともすると眠っていたかも知れない、とにかくその気配に気が付いていないようだった。


 大丈夫だ、あれには俺しか気が付いていない。俺は次の覚悟を決めると、その場に立ち上がり、うやうやしい所作で天を仰ぐ。


「よし来た、時が満ちようとしている。私は最後の締めを行うとしよう。諸君らはそのまま、この場で待っているがよい」


 始めはゆったりとした歩みで、しかし村人たちとの距離が遠くなるにつれて早歩きになり、森に差し掛かる頃には、俺は全力で駆けていた。


「おお、本当に女子おなごの姿になっておるが、ドルンドルンの気配を感じるのじゃ」


 どこか懐かしいメルの姿がそこにあった。ただ、メルからすれば、俺と別れてまだ半日と経過していないのだ。


「……メル、その、良く来てくれた」


「アタシもここの様子は気になっていたからな。それで、朝からお主を探していたが、見付からぬ上に気配もない。気になって、失礼ながらお主の宅を訪れてみれば、何故かパンドラの鍵が開いておる。それで、不躾ではあると思うたが、何かあったかと思ってここへ来てみたのじゃ。しかし、何やら大変なことになっておるようじゃな」


 そこにリプリエが声を差し込む。


「あなたの軟禁の事は話したわよ。これはパンドラ全体の問題だわ」


「ああ、それは構わない。だが、その上でもし俺に協力しようとするのなら、メルにも何があるか分からない。俺自身、こうも事態が早く動くとは思っていなかった。迷惑をかけることになりかねない」


 すると、メルがどこか得意げな顔で言う。


「ここへ来てすぐ、リプリエからそのことは聞いた。アタシが自分の意思でここにいること、それが答えなのじゃ」


「メル……」


 相変わらず熱い少女だ。仕事でも、時折こういう人物に出会うこともあるが、見せかけのような者が少なからず存在した。その点、この少女のなんと男気のあることか。思わず感涙にむせぶ思いだ。


「まあ、アタシも力を貰えそうで何よりじゃ。そうじゃろう、リプリエ」


「ええ、今、この近隣住民たちは干ばつで悩んでいるわ。それをメルちゃんが解決したなら、それはもう凄い信仰を得るはずよ」


「そ、そうか。そうなったらどうしようかの、えっと……」


「あらあら、こういうのは面白いんじゃないかしら」


 それから女子同士で会話が弾んでいたが、しかし俺は長らく村人たちを待たせている身分なのだ。神とは言え、流石に申し訳ない。


「ゴ、ゴホン!」


「あら、どうしたの、調子でも悪いの?」


「い、いや、俺も村人たちを散々に待たせてしまっているからな……。メル、それで、出来そうか?」


「力があるのならば出来るじゃろう。アタシはそもそも、それなりのノウハウは知っておるのじゃ。ただ、その源となるものがないだけで……」


 目を輝かせた思えば、急にしゅんとなる。メルには悪いが、その様はちょっと可愛らしくて面白くもある。俺は思わず含み笑いをする。


「ふふ……、いかんいかん。リプリエ、先程のように、メルにパンドラの力を与えることは出来るか」


「お安い御用よ」


 リプリエはメルに軽く触れて、そっと目を閉じる。リプリエからメルに対して、何か暖かいものが注ぎ込まれているのが、俺にもはっきりと分かるようだった。


「お、おお。かつて感じたことのない力がみなぎって来ておる!」


「よし! これまでの鬱憤うっぷんを、全てぶつけてやれ!」


「あい分かった!」


 そうしてメルは何事か呟きながら、深い集中状態に入った。周囲の気圧が徐々に下がり、僅かに陽光にかげりが差したかと思うと、みるみる間に雲が形成されていく。


 少し離れたその地点でも、村人たちの驚きと期待の声が届いて来るようだった。


「いいぞメル、もう一押しだ。あの人たちの声が聞こえるか、メルの力を信じ、認めてくれる者達だ!」


 俺もメルに感化されて熱い言葉を使ってしまった。だが不思議と悪い気はしない。俺たちは今、そのような物語の中心人物なのだ。これが高揚せずにいられるだろうか。


 俺たちの行動で世界の道が決定され、人々の意識が変わる。そしてその先で、早期の風俗システムの形成へ導くことも出来る。


 性風俗の始まりは、世界的に見れば古代ギリシャや古代ローマまで遡ることが出来る。その頃は公然のものでもあったらしい。その後、宗教的な弾圧から表に出ないようになる。一方、日本では歌舞伎などの娯楽として、それを楽しむ町並みが整備され、そこで小規模ながら花街が形成されたようだ。


 娼婦に関しても、古代では芸術的技術や会話を習得し、富裕層との交流の中で、飽くまで触れ合いの一つとして行為を行っていた。それ以外は、もしかすると奴隷だったり、生活基盤を持てずに朽ちていったのかも知れない。


 さて、そこに現代のセーフティネットとしての風俗産業をおこしてみると、どういう結果になるだろう。男性労働者にとっては働くモチベーションとなり、どういう形であれ、女性が生きる道を見出すことに繋がり、人口も増える。


 そう、一般市民に対して、俺は性風俗を開放したいのだ。誰もが対価を支払えば生命の喜びを享受することが出来る。俺が楽しむのはもちろんだが、そういう壮大な計画が、俺の欲望の裏にきざし始めていた。


「来たよ、ドルンドルン!」


 集中するメルの横で、リプリエが小さく歓喜の声を上げた。最初はぽつりぽつりと、しかしやがて雨は勢いを増して降り始めた。村人たちは興奮の坩堝るつぼと化し、今や双方が手を取り合って騒いでいる。


 命を救う雨。俺はその者達と一緒に、俺への信仰を、より盤石ばんじゃくなものにしてくれる雨を見ながら、何とも言えない敬虔けいけんな思いを抱いていた。

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