第32話 小屋の中

 不意に目を覚ました。視界が暗い。夜明け前なのだろうか。


 いや、そこここに光が漏れているのが分かる。その様子から察するに、さほど大きくない木造の小屋の中にでもいるのだろうか。


 俺は上半身だけを起こし、ゆっくりと記憶を確かめた。スズネとしての記憶が蘇る。もちろんドルンドルンの記憶もある。


「……前回は、そうだ、スズネの両親に起こされたんだったな。今回は寂しいもんだな」


 周囲に誰もいないと思い、俺は小さな声を漏らした。すると驚いたことが二つある。まあ、一つ目は少しばかり期待していたのだが、今回も女の子らしい声音だったことだ。そしてもう一つ。


「……スズネ?」


「えっ?」


 部屋の暗がりから声がした。全く予期していない反応に、俺は思わずその場で上ずった声を上げてしまった。


 それから僅かな間があった。最初は全くの暗闇だと思っていたが、目が慣れるに従い、徐々に視界が定まっていく。


 部屋の端には一人の少女がいた。お人形さんのように、ちょこんと座り込んでいる。その目の輝きからは何か強い力が感じられるようだった。


「どうしたの、寝ぼけてるの?」


 しかし、どことなく力のない声だった。いや、不安が混じっている、と言った方がいいだろうか。


「あ、ああ、ごめんね……」


 スズネの時と同様、俺はこの体の持ち主の記憶から、状況の整理を開始した。


 まず、俺が入り込んだこの少女の名前はタツネ。まあ、何となく字面がスズネと似ているのはありがたい。そして部屋の端にいる少女はヒスイ。何と、タツネとヒスイは姉妹らしい。


 双子なら稀に聞くことはあるが、姉妹で肉体関係を持つというのは、それほど聞いたことがない。少し残念でもあり、興味深くもある。


 とはいえ可能性がない訳ではない。俺は俺たちが置かれている状況を忘れ、僅かにヒスイににじり寄る。


「な、何っ?」


 そしてそのまま、不安げな声を出すヒスイを抱き締めた。我ながら自然な所作だ。姉が妹を抱き締めるのだ、特に下手なことはあるまい。


 ヒスイは十二、三歳の少女だった。俺、タツネもそうだが、背中の中程まで伸びた髪に、細身のスレンダー体型と似通っている。ここがスズネの時代からどれだけ経過したのかは分からないが、まだ食糧事情は厳しいはずだ。発育もそれほど豊かではなく、二人ともぺったんこだ。


 さて、真新しいシチュエーションを前に、半ば反射的にヒスイに近付いてしまったが、しかし性欲らしい欲が沸くかと言われると、やや疑問符が付いてしまう。


しかし、俺が危惧するべきはそれだけではなかった。


「嫌、やめてよ……!」


 ヒスイは力強く俺を弾き飛ばした。それほど強い訳ではないのだが、俺は予想外の出来事にそのまま尻もちをつく。


 俺は改めてタツネからの情報を引き出すことにした。


 まず、どうやら姉妹は軟禁されているらしい。加えて、この二人は何というか、それほど仲が良くないようだ。


 くそ、また変な縛りを入れてきやがって……。俺は誰ともなく毒づいた。


 密室の中で姉妹が二人、こんな理想的な環境の中で、自らの性癖を何一つ開拓出来ない俺の辛さと言ったらないだろう。そして不幸は続く。やはりというか、この姉妹はどうやら巫女の血筋のようだ。つまり、貞操観念が固い。俺の手は、またもや胸にも股にも届かず、不思議な力でね退けられてしまった。


 そういう訳で、再び状況を見ながら好機を探すしかない。


「何よ、いきなりお姉ちゃん振るの、都合良すぎだよ……」


「違う、そんなんじゃないよ!」


 その時、壁に何かの打撃音が加えられた。振動と共に、部屋に衝撃が走る。


「おい、何をくっちゃべってるんだ、静かにしろ」


 野太い男の声だ。冷静になってみると、外から聞こえるのは一人二人の物音ではない。もっと多くの人間たちがいる。


 どうやらいちゃいちゃを求めている場合ではないらしい。


「……ふむ、宗教上の争い?」


 タツネの記憶から分かったことがある。どうやら俺たち姉妹はドルンドルン教の巫女で、現在、宗教的な争いを背景とした、村同士のいさかいに巻き込まれているようだ。


 つまり、俺たちは一方では神の使いであるが、逆側からすると邪神の手先でもある。外に居る者達はその信者であって、俺たちは囚われた上に、敵陣の真っただ中にいることになる。


「ああ、ドルンドルン様、お助け下さい」


 ヒスイが消え入りそうな声で呟く。その嘆きの声を聞き、不謹慎ではあるが、俺はまず安堵を得た。どうやらドルンドルンにまつわる話がきちんと伝わっているようだ。


「大丈夫、ドルンドルン様ならなんとかしてくれるわ」


「またそんな身勝手な事言って。私、本当は知ってるんだから。……神様なんて、居ないんだわ……」


 ヒスイはねているのか、俺の言葉に反撃を加えて来る。


「嘘じゃないよ、きっと、私たちが信じていれば、ドルンドルン様が助けてくれるわ」


 威勢よく言い切ったはいいものの、どうするかという具体的な案はない。希望があるとすれば、やはりリプリエだろう。俺の波長を感じ取って、この場所を見つけて合流することが出来ればいいのだが、果たしてそう上手くいくだろうか。


「せめて雨でも降ってくれれば、少しは皆の気も収まるのに……」


 ヒスイが再び呟く。


「雨?」


 ヒスイはうつむいて何も答えない。そうなるとタツネの知識に頼るしかない。


 古来、人々が争う理由として、肥沃な土地を求めての戦いがあった。水の恵みは人の存続を左右しかねないもので、水の確保は何よりも大事になる。しかし、それで全てが終わる訳でもない。天候は読みづらく、貯蔵技術が発展途上だと、日照りが続いた場合、途端に水不足に陥ってしまう。


「……雨か、メルがいれば少しは何とかなる見込みがあるが」


「メルって誰よ?」


 ヒスイが顔を上げて、俺に興味の眼差しを投げて来る。考えなしに呟いてしまったが、メルがどこまで出来るのか、正直に言えば怪しい所がある。


 だが、彼女もパンドラ創出の為の代表者なのだ。神としてこの世界に君臨する権利はあるし、何より、彼女がこの世界で信仰を得て力と成すことは、俺がメルと約束したことでもある。


「メルとは、天候……の神のこと」


 覚えず中間を濁してしまった。そう、……の中には、ごくごく小さな言葉が紛れている。改めて思うが、天候の神と、天候不順の神とでは色々と違い過ぎるのだ。

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