第29話 神と従者

「そうだ。さっき、神様へのお参りに行く、って言ってたね」


 エノにささやきかけながら、彼女を抱き締めていた手をそっと解いていく。


「うん、私、たまに一人で行ってるんだ」


「分かった、一緒に行こう」


 神の概念は様々だ。ギリシャのように明確な神々がいる所もあれば、八百万やおよろずの神を信仰している所もある。一体全体、ここではどのような伝承と共にそれが伝わっているのか、確かめておく必要がある。


 神の存在に付いて、歴史の折を見て、リプリエがそれとなく人間たちに吹き込んでいたようだが、リプリエもリプリエでちょっと適当な所がある。


『私にだって限界があるのよ』


 虚空からリプリエの言葉が聞こえて来るようだった。


 俺たちは軽い山道を進み、小高い空き地にやって来た。そこをもう少し進むと洞窟があり、やや薄暗いが、午後の光を受けて内部を見ることが出来る。


「これが神様だよ、私もたまに来てお祈りするの」


 洞窟は数メートルほどで、奥には木や石を用いて作られた、小さな祭壇があった。その奥に不明瞭ながら壁画がある。白い装束をまとった一人の男。ご丁寧に、髪型には微妙にパーマが掛けられている。合わせて、その横に小さな妖精のようなものが見えた。


「どういう時に来るの?」


「寂しくなった時とか、イラついた時とか、何かを壊したくなった時とか……」


「……そ、そうなんだ」


 神様の概念が少し違うのではないかな、と思ったが、敢えて口にはするまい。それ以上に大事なことがある。


 さて、もちろん答えは知っているが、俺は敢えてエノに尋ねてみた。


「名前、知ってる?」


「うん、従者ダルムムンと、この小さいのが神様のリプリエ様だよ」


 僅かながら想像出来ていたことだが、俺は一気にぐったりしてしまった。


 リプリエは、暗示のような形で人間たちに神々の名前を伝えたと言っていた。だが恐らく、リプリエの名前を大事にするあまり、いつの頃からか両者の役割が変わって伝わってしまったのだろう。これは創造神として由々しき事態だ。


 スズネは巫女であり、中には神である俺が入っている。何とかして正しい形に戻さなければ、人間たちの信仰、つまり力の源がリプリエの元へ巡ってしまう。


 ならば。


「あっ!」


 俺は一計を案じると、頭を抱えて、唐突にその場に膝を付いた。


「ど、どうしたの、スズネちゃん?」


「待って、何かの声が聞こえる……。こ、これは」


「まさか、神託!? ど、どうしよう」


 神が宿り、その者を言葉を介在して言葉を発することを神託という。そう、嘘などどこにもない。神である俺が何を躊躇ためらう必要があるだろう。


 俺はしばらく何も言葉を発せず、静まり返っていた。やがて。


「うん! 神様の言葉が聞こえた。エノちゃん、皆にそのことを伝えようと思うの。私の言葉、伝わるかな……」


「もちろんだよ、この村一番の巫女様だもん!」


 実際、スズネがこれまでどのような形で神託を行っていたかは分からない。もし、俺の言葉が悪影響をなし、スズネが存外な扱いを受けたとしたら、それはそれで心苦しい。


 しかし、ここでリプリエの言葉が蘇る。


「パンドラは、まだ未熟だけど確実に動き始めたわ。きっとあなたも、人間の神として力の顕現があるはずよ」


 そうなると、以前にメルが見せてくれた力、もしくは、「自然力」の講義で見たような力が、この俺にも使えるのだろうか。そうだとしたら、屈辱まみれではあったが講義を受けた甲斐があったというものだ。


 その後、村に戻った俺たちは、エノの働きもあって、神の言葉を伝える神託の儀式の周知に成功した。


 さて、その日の夕方過ぎ、空がほんのりと暗みを帯びて来た頃合い。焚火たきびの火を背景として、周辺の村人たちが一堂に会した。


 始め、俺はドルンドルンが目指したプロメテウスよろしく、摩擦の力で火を発生させて、それで神としての力を示そうなどと考えていたが、その見立ては非常に甘かったようだ。


 人類と火の歴史は深い。古くは火山や落雷などによる発火からその存在を知っていた。その後、それを自らで管理できるようになるまで多くの時間は掛からなかった。


 そうなると、神々が管理する天変地異を排除したあの地上の世界は、楽園を模したもののようだが、人間たちからすると、彼らの発展を奪っていた元凶と言うことも出来る。これを皮肉と言って良いものなのか、もしくは人類の発展を妨げる目的があったのか、その辺りは分からない。


 ただ分かるのは、俺が返って難しい立場に追い込まれてしまっているということだ。村人たちは皆、エノの喧伝もあって、スズネが何か凄い事をするのではないのか、という期待に満ちている。


「皆様、よくぞお集まりになってくれました。まずはそのことを嬉しく思います」


 村人の一人が、高らかに開幕を告げる。


 始まってしまった。果たして、「神の言葉」として語るだけで、皆が納得してくれるものなのだろうか。巫女というものがどこまで信頼されていて、どこまで影響力を持っているのか、今一つ分からないのだ。


 とはいえ、ドルンドルンとリプリエの名前と関係性の訂正くらいは出来るだろう。大事なのはスピーチ力だ。溜めと引き、声の張り、表情に視線。


 かつては俺もそのような壇上に立つ者に憧れ、少なからず練習をしたこともある。それは、今までの人生の中では大して役に立つこともなかったが、しかし今、その知識が少なからず役に立つ時が来るとは、全く世の巡り合わせとは面白いものよ。


 俺は覚悟を決めると、深呼吸をして、その時を待ち受けた。司会とも言うべき女性が、俺に目線を送りつつ朗々ろうろうと語る。


「本日お集まり頂いたのは他でもありません。巫女スズネさんが神の御言葉を聞いたとのことです。それは私たちのこれまでの信仰を変えてしまう可能性もあるとのことで、急遽、このような会を設けることとしました」


 俺はやおら立ち上がると、落ち着いた足取りで前に向かって歩き出した。そして焚火の前に立ち、ゆっくりと聴衆を一瞥いちべつする。


 俺は巫女らしい言葉を選びながら、大いに威厳を交えて彼らに語り掛けた。


「さて、本日、壁画の前で祈りを捧げていた時です。私はとても大切なお言葉を神様よりたまわりました」


 言葉尻は小さく消え入るように、微かな余韻を残す。声は密やかな闇に溶け入りながら、周囲に小さな緊張感を齎していった。


「まずは、創造神リプリエ様と従者ダルムムンの訂正について……」


 その時だ。急に慌ただしい足音が鳴り響いて来たかと思うと、開口一番、村の男が甲高く叫んだ。


「大変だ、隣の村の奴らが襲って来たぞ!」

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