第28話 今日と明日の私

 エノから少し離れた地点で、俺はリプリエと向かい合った。


「全く、ドルンドルンの気配がしたから、間違いかと思って来てみれば、そんな姿になって何をしているのよ。全く!」


 リプリエの気持ちも分かるが、こちらにも事情がある。それに、俺だって望んでこうなった訳ではないのだ。俺はその辺りをリプリエに力説した。


「ふぅん、じゃあそのグラサンっていうのが、何事か仕組んだっていうのね」


 納得の声を漏らしながらも、リプリエが向ける眼差しはやや辛辣しんらつなものがある。


「俺も全く訳が分からない状況で、自分なりに状況を調べようとしていたんだ。後はまあ、その、成り行きってやつで……」


「まあ良いでしょう。あなたが軟禁されているというのは穏やかじゃないけど、でも考えようによっては悪いことじゃないかも知れない」


「と言うと?」


「今、このパンドラ内部では時間の進みが違うのは知っているわよね? つまり、あなたがここでそれなりに時間を過ごそうと、あちらでは特に時間は動かない。パンドラ内部の人間たちの行動や、彼らが発するエネルギーは複雑で、正確な予測は出来ないけど、ここで数日過ごしても、向こうでは一日程度しか経っていない、ということもあるのよ」


 元々、人間たちに進化を促す為、パンドラ内部では時間の進行が速められている。そこでは、原初の世界と呼べる頃合いほど時間の速度は速く、世界が成熟するに従って、その差は小さくなっていくと言う。


「ならば、審判が下されるまでに、人間たちの進化を見守る時間が少しはあるということか。グラサンが何を考えているかは分からないが、不幸中の幸いといった所かな」


 リプリエは僅かに黙り込んだ後、小さな声で返答した。


「そのグラサンとやらが、このパンドラの世界を知っていたかは分からない。でも、相当な力を持った者のようね。そのような者が、何の考えもなしに何かをするとは思えない」


 グラサンが俺をこの地へ転生させたとしたら、俺がドルンドルンに転生した件とも関係があるのかも知れない。


「奴め、一体何者で、何を企んでいるんだ……」


 今度は俺が神妙な顔をして、そしてリプリエが陽気な声を出す。


「でも、まあ、敵じゃないんでしょう? あなたに不思議な力を与えたことや、今回の事から考えるとさ。もしかすると、メルちゃんが言っていた、あなたの味方をする神々の一人なのかも知れない」


「心強いような、何か納得がいかないような……。だってよ、グラサンなんだぜ?」


「確かに正体は気になるけど、今は今の事を考えなくちゃ。あなたが軟禁されているということは、ここへの鍵がないから、メルちゃんはここに来れないって事よね? それと、今のドルンドルンの体はどうなっているのかしら?」


「知らない。俺の魂みたいなものが抜けたっていうことは、眠っているんじゃないか。こう言っては何だが、ドルンドルンの姿が一日や二日見えないくらいで、恐らく下級神たちは騒がないような気もするし……」


 騒ぎ立てるとしたら、俺の知らない所で上級神たちが何事か行動を開始するかも知れないが、それは俺の関与出来るものではない。


「あなた、結構ブラブラしてるみたいだからね。普段の行いが悪いのよ、もう」


 結局、一応は納得してくれたのか、リプリエとは簡単な話をしてその場は別れた。


 さて、その会話の一部に、今後の危険を示唆するものがあった。しかしそれは飽くまで可能性であり、それが実際にどう働くかは分からない。ただ、それが今後の指針になったのも事実だ。


 俺は意識を新たにし、しばし放置してしまったエノの元へ急いだ。


「ごめんね、突然のことで……」


「スズネちゃん、遅いよ……!」


 エノはその場で待っていてくれていた。表情を見ると、まだどこかとろけたような表情をしている。そこにはもう、最初に見た時の面影はない。


 恐らく、エノはこのスズネに対し、一種の憧れがあるのだろう。スズネはこの村の神巫女ということだが、誰もがそれになれる訳ではない。エノは巫女に憧れがあり、更にスズネの人格にもそれを抱いている。


 嫉妬はうらやみの裏返しなのだ。スズネもそれを知っていたから、下手に関わらないようにしていたのだろう。


 俺はエノを優しく抱き締めた。このまま続きをしたいと、互いに思っていることだろう。


 しかし、それはスズネ本人の意思を反映しているか、分からない。


 先ほど、俺は改めてリプリエに時の加速を止めないよう頼んでいた。人間たちの進化と成長を促すには、とても一日一日を生きていく訳にはいかない。俺の審判がいつ正式に下されるかも分からず、悠長なことは言っていられないのだ。


 それに当たり、リプリエが言及した言葉がある。


「パンドラの世界と、あなたの意識は連動している。あなたが動いている間に、時が加速したら困るでしょう? だから、こうしてあなたが目覚めている間は、私たちが普通に体感できる速度になる」


「そうなると、俺が眠った時は?」


「その時、きっとまた時間が加速する。次にあなたが目覚めた時には、その少女の体ではないでしょう」


「また、後代の誰かに移るということか」


「確証はないけどね。今のその子の血縁者か、何か深い関わりがある者か、その辺りの者の意識に介在するんじゃないかしら」


 さて、この話の要点は二つ。


 一つ目は、俺が今後もスズネの血縁として生まれ変わる可能性があるというのなら、例え一日だとしても、あまり身勝手な行動はしない方がいいかも知れないということだ。歴史というのは先代の些細なきっかけで、大きく歪みかねない。


 二つ目は、ドルンドルンとは違い、今、この体にはスズネと俺の魂が同居している形だということ。スズネ本人の意識がどういう状態であるかは分からないが、この瞬間の記憶、体験を僅かばかりにも覚えている可能性もある。


 ならば、スズネ本人になるべく迷惑を掛けない方が良い、ということだ。俺がこの二人、特にスズネの様々な初体験を奪ってしまうのは気が引ける。


 それだから、エノに対して、外部者の俺が思い切り愛してしまうのは躊躇ためわれるようだった。俺は触りだけ介入して、それ以後のことがあるのなら、後は二人で育んでくれ、というスタンスに落ち着くしかない。


「エノちゃん、今日の私はちょっとだけおかしいの。明日には今日の記憶がなくなっているかも知れない。それだけは、明日からも覚えていてくれる?」


「え、う、うん……」


 しばし見つめ合う。俺は更に体を密着させ、エノの頬に軽く口づけをした。


「続きはまた今度、ね」


 エノとの続きを楽しめないのは残念だが、俺はこの時代でやらなければならないことを見出していた。

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