第27話 スズネとエノ

 その者はぼさぼさの髪に汚れた衣服で、目は炯々けいけいと怪しく輝き、じっと俺を見据えて離さない。普段の俺ならば、正直言ってなかなか近付きにくいタイプの女子だ。俗に言うメンヘラタイプというもので、俺ぐらいに風俗通いが長いと、その傾向があるかはそれなりに分かってしまう。


 反射的に俺は断りを入れる。


「で、でも、私ちょっと気分が悪いから……」


 まずいことに、周囲には人目はなかった。少し行くと木々の茂みがある。ここで下手に同行すると、何かしら悪い方向へ向かいそうな恐れがあった。


 俺が思案していると、女は豹変した。


「何よ、あの子の誘いは受けられて、私の誘いはダメだっていうの!? 全く、そういう所が気に入らないのよ! いつもお高くまっちゃって!」


 いかん、何やら地雷を踏んだようだ。


 すかさず俺はスズネの記憶にアクセスする。この少女の名前はエノ。何でも神の巫女になりたがっているようだ。そして悪いことに、神の巫女というのは数人いるが、スズネはその中の一人で、かつ有力な人物らしい。


 エノは鬼のような形相をして、俺の手を強く引っ張る。


「あっ……!」


 不意に引き寄せられ、エノの顔がすぐ近くなった。瞬間、僅かに時が止まり、二人の視線が絡み合う。ぱっと見で、俺はエノに対して、怪しい印象を感じ取ってしまったが、こうして間近で見るとなかなか悪くない。年齢の割には発達も良さそうだった。見るからに張りがありそう胸が、俺の目をとりこにした。


 そして、更に俺に追い風が吹いた。


 スズネはどうやらエノを苦手に思っているらしく、彼女の抵抗が全体的に揺らいでいるようなのだ。


 ならば、今だ!


 俺はもう片方の手で、ついに自身の胸を揉み砕いた。


 が、悲しいかな。まあ、エノの胸を前に一人で興奮してしまったが、実際問題、スズネの物は豊かではないのだ。つまり、スズネは発育に乏しかった。思えばマキエ姉さんもそんなに無かったし、時代背景からすると、このエノという子の発育がおかしいのだ。


 俺は思わず、恨みたらしい眼差しでエノを見た。顔を見て、そして少し目線を下げて、もはや堂々と胸を見た!


「な、何よ……」


 こうして、一瞬の内に立場は逆転した。今や俺を止める者は誰もいない。俺の血走ったような眼差しを前に、逆にエノの腰が引けている。大人しいと思っていた子が、突然自分の胸を揉んで、残念がって、そして自分の豊満な胸を睨んでいるのだ、無理もない。


 思えば、ここまで非常に長かった。胸と言えばデシフェルの逞しい胸筋が先に思い浮かぶようになってしまって、どれくらいの時が経っただろう。誰が何と言おうと、もはや俺は行動を止めるつもりはなかった。


「てやっ!」


 気合を入れて手を伸ばす。迷いも疑念もない、純粋無垢な魔手だ。


 そして、遂にその時が来た。俺の差し出した左手が、エノの胸に到達した。




― ― ―。




― ― ― ― ― ―。




― ― ― ― ― ― ― ― ―。




 この時代に?


 俺の手は不確かな感触を捉えていた。まさかパットがある訳ではないだろう、しかし、明らかに胸の感触ではない。くしゃっという、軽い何かが形を崩した音がした。


 もちろん、その戸惑いは俺だけではない。むしろそれは相手側の方が大きいだろう。俺は恐る恐る視線を持ち上げる。


「……知ってはいけないことを知ってしまったようね……」


 怒りと憎しみ。


 だが、その裏に、俺は不思議な感情を見たような気がした。赤面の裏側に隠された照れだ。


 エノの上目遣いに俺はどきりとした。漫画などではよく見るが、実際にそれをやられると、これほどの迫力を持つものだとは思わなかった。


「だ、だ、大丈夫だから!」


 俺はエノの手を掴むと、そのまま俺の胸に手を当てさせた。先程も確認した通り、スズネも小さいのだ。


「な、何が大丈夫なのよ……」


 エノは戸惑いつつも、俺の胸をまさぐった。形を確かめ、大きさを確かめ、そして不意に小さな笑みをこぼす。


「ふん、まあいいわ、許してあげる」


 実際のエノの胸がどれほどか分からないが、とにかく比較の元、満足したようだ。しかし、勝手に満足されては困る。俺の感情の行き場がなくなってしまう。俺の意志はもう決まっていて、もはや後戻りする気は毛頭ない。


「あら、ダメよ、そんなことで満足されては……」


「きゃっ」


 エノを引き寄せ、そっと耳元で囁く。それを自分が発しているとはいえ、我が口から出る、甘い口調に俺は興奮してしまった。エノが強い抵抗を示さないことを良いことに、俺はエノの顔を正面を見据え、しばし見つめ合う。


「……もっといいこと、教えてあげる」


「い、いいこと……?」


 言葉に吐息を乗せて、耳元に届ける。エノも同様に淡い息遣いで応える。俺はそっと手をエノの下腹部に伸ばそうとした。二人の息が荒くなり、興奮の度合いが増していくようだった。


 しかしその時、俺はふと何者かの視線と気配を感じた。


「うん……?」


 周囲はそれなりに木々に囲まれている。足元には草木が茂り、落ち葉の絨毯じゅうたんもある。いかに俺がエノに夢中であったとはいえ、足音もなく、こうして接近して来るとは何者だろう。


 エノの顔を胸に引き寄せつつ、周囲を警戒する。そして、俺はようやくその正体を突き止めた。


 頭上を妖精が舞っているのだ。しかし、優雅な動作とは似つかわしくないほど、その表情はどこか険しい。


「……リ、リプリエ……」


 半透明の青いドレスをまとった可憐な妖精。俺は悪戯を見咎みとがめられた子供のような気持ちになって、リプリエを見ていた。彼女はくいっと顎を出して彼方かなたの方角を指示すると、そのまま音もなく飛んで行ってしまった。


「うん、何か言った?」


 エノの声にも熱がこもっていた。もう、互いに準備が出来ているのだ。


「あ、い、いや、ごめん、ちょっと凄い勢いで予定を思い出しちゃって。ごめん、すぐ戻るから!」


「えっ、ちょ、ちょっと!」


 エノの気持ちは分かる。非常に良く分かる。各種サービスを受けている際、時間終了前に鳴る、あの無常のコール音を聞いた時の気持ちだ。しかも、これは唐突な時短。


 俺はエノをなだめつつ、必死に状況を整理していた。リプリエがいるということは、ここはパンドラの中なのだろうか。


 そうか、昨夜、イブを残してパンドラを出た後、時が流れてここまで発展したのだ。俺の希望通りに人間は人間の姿を成し、それなりの繁栄を遂げている。


 さすれば、この世界の人間たちはみな、俺の子供たちということにもなる。その子供の体に入り込んで、同性である我が子と情事にふけろうとしていたのだ。確かに倫理的な観点で言えば全く宜しくない。


 俺は全力でリプリエの向かった方角へ足を動かした。

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