第26話 再転

「あ、おい、気が付いたぞ!」


 あれから俺はどうなったんだろう。確か、グラサンに何か怪しい術を掛けられて、眠るように気絶して、そこから覚えていない。


「ああ、良かった。一体どうなることかと……」


 微かな声が聞こえる。それは安堵の響きを伴っていた。


 俺は急速に記憶を取り戻した。それはドルンドルンに転生する前の、裏袴うらばかま風好フーゴとしてのものだ。そう、俺は確かトラックにぼんやりと眺めていたら、その前面を走るタクシーに撥ねられたんだった。その後、俺はどうなったのか分からない。恐らく奇跡的に無事だったのだろう。


 だとすると、ここは元の世界か。俺はきっと病室にいるんだ。ルナータ、マニラ、アンプル、リプリエ、残念ながら交わることが出来なかった、魅力的な面々が脳裏に浮かんでは消えていく。


 そうして俺は目を見開いた。


「うわっ!」


 俺の予想に反して、そこは全く知らない場所だった。そして両脇には全く知らない男女がいる。


 古めかしい屋敷のようだった。いや、屋敷というのも変だ。見る限り、古代の建物のようで、例えば縄文時代や弥生時代、そのような藁葺わらぶきの家だ。


「気が動転しているのね。全く、生娘きむずめがそのような大声を上げて……」


 女が俺の顔を覗き込んでいた。女性の服装もみすぼらしく、着古した木綿のような服だ。そして気になる表現があった。さて、生娘とは一体誰のことだろう。俺がだんまりしていると、その二十代後半くらいの女性は更に言葉を継いだ。


「どうしたの、まだ調子が悪い?」


 どうやら俺の心配をしてくれているようだ。体調は万全だが、少し仮病でも使っておこう。化粧っ気がない割には綺麗系の女性だ。しかし、その割に何故か性欲が湧かない感覚がある。


「うん、もう少し……」


 その時、俺は改めてはっとした。違う。ドルンドルンの声ではない。


「そう、それならもう少し横になっておいで」


 二人の男女が去っていく。現代の感覚からすると、その服装は全く古めかしいものだ。いや、古いとかどうとかではなく、服と言って良いかも分からない。


 俺は布団に寝ていた。布団といってもそういう代物しろものではない。麻のような植物を縫い合わせて作られた粗末なものだ。


「あ、あ、い、い、う、え、え」


 俺は周囲に誰もいないことを確認し、いくつかの発声をした。するとやはりドルンドルンの物ではない。その声音はそれからすると軽やかだ。




― ― ―。




― ― ― ― ― ―。




― ― ― ― ― ― ― ― ―。




 俺は女になったらしい。やれやれ、神の次は女か、と、一瞬だけ呼吸を落ち着けた。


 だが、それはほんの一瞬。ならばやらなければならない事がある! 次の瞬間、俺の右手は猛烈な勢いをもって、我が胸に襲い掛かっていた。


「……く、な、なんだ?」


 しかし、どういうことだろう。俺の強力な願望を帯びた右手が、胸の寸前で止まってしまった。まるで俺の意思を阻むかのように、凄まじい力で押さえつけられている。


 もしくは、体と頭が分離してしまったかのように、まるで動かない。


「だが、俺も二度目の転生だ。勝手は知っている」


 俺は身を起こしつつ、以前、ドルンドルンに転生した時と同様に、現在置かれている状況を、彼女の記憶から引き出した。


 まず、この者の名はスズネ。村は小規模ながら手入れの行き届いた土地で、食糧や近隣地域との小競り合い、そして衛生上の問題などは存在するが、何とか暮らしていける土地だという。とすると、ここは縄文時代や弥生時代のようなものか。


 どうして俺がこのような場所に飛ばされて、更に女体になってしまったのか。それはこの女性の視点では分からないだろう。


 ただ、ドルンドルンの時と違うことがある。それは、この女性がかなりの貞操観念を持っているということだ。もしくは、俺の魂が、ドルンドルンの肉体ほどには定着できていないのか。


 結果的に、俺の意思に反して、胸も揉めなければ、下腹部へ手を伸ばすことも出来ない。悔しさが滲み出るようだった。


「おま……、モゴモゴ」


 加えて言論統制までという豪華さだ。まあ、先の二人が両親であり、このスズネもまだ十三、四歳だというのだから、分からないでもない。


 甘えたいと思っていたが、母親らしき女性は外出したきり戻ってこない。恐らく何かと忙しいのだろう。


 ならば、とにかく外を見なければ何も始まらない。俺は、いや私は、やっぱり俺は、その茣蓙ござのような布団から立ち上がると、家の中を軽く見て回った後で、恐る恐る外へ飛び出した。


 原っぱの中に、ぽつぽつと人家が点在している。それ以外は田畑が広がっていた。家屋は社会の教科書なんかで見たような、藁ぶきの屋根をした建物だ。


 見た目こそ、のどかな寒村という印象を受けるが、特に寂れている訳でもなく、この時代からすると発展途上なのだろう。往来も子連れや子供が多く、俺の生きていた世界からすると、なかなか見なかった活気がそこにある。


「あらスズネちゃん、大丈夫だった? 突然倒れてしまったって聞いたから、心配してたのよ」


 長い栗色の髪に、ブラウンの瞳を持つ、アジア風の顔立ちをした少女が俺に話しかけて来た。名前をマキエと言うらしい。直接の血の繋がりはないが、スズネを妹のようにかわいがり、面倒を見ている女性だという。


「は、はい。大丈夫です!」


 スズネも彼女を信頼しているらしい。俺自身、意識せず、溌剌はつらつとした返答が飛び出したのには驚いた。この点から見ても、何となくではあるが、この体はスズネの意思に引っ張られる部分があるのだろう。


「今日はもうこっちは大丈夫だから、ゆっくりしてらっしゃいな」


 マキエは何事か包みを持っていた。農作業か何かの帰りだろう。脇には数人の男女が連れ添い、何とも和気あいあいとした雰囲気を醸し出している。


 マキエか……。女同士で、かつ仲が良いとなると、まあ今後が期待出来るだろう。俺はマキエの後姿を見ながら、うっすらとあらぬ妄想を浮かべ、その場を後にした。


 時刻は午後の昼下がりといった所か。さて、俺には今、やるべきことが大きく二つある。一つはこの世界の有り様を調べること、そしてもう一つは、何とかしてスズネの意思の介入による影響を、減少させることが出来ないか、ということだ。


 俺自身の欲望を優先するとして、まずは後者に対して解決への道のりを見出したい所だが、一向に当てがない。


 何かいい考えが思い浮かばないか、散策でもするか。


 そうして歩くことしばらく、集落の外れまで来た所で、俺はやや奇妙な出で立ちをした、同い年くらいの少女から話しかけられた。


「あ、あれ、ちょうど良かった。……これから神様の元へお参りに行くの。付き合ってくれない?」

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