第25話 軟禁と

 何となく嫌な予感を覚えながら、俺は静かに声の方向に体を向けた。すると以前、中庭で見掛けたあの青髪の女性がいた。俺が逢引きの疑惑を抱いた相手だ。


 しかし、あの時とは幾らか様子が違って見える。


 グラサンについては無理だったが、メルから彼女の名前と簡単な情報を入手している。彼女の名前はアンプル。立場に関しては、実は良く分からない。メルが言うにはこうだ。


「アンプル殿に関しては、アタシも辛うじて名前を知っておる程度じゃ。上級神の補佐のようなものじゃが、しかし中級神という括りではない。まあ、謎の存在じゃな。困ったことに、ここにはそのような不思議な者たちがたまにおるのじゃ」


 幸い、マニラを動とすれば、こちらは静だ。今の俺にとっては、それだけで制御が利くようだった。だが、彼女が齎した言葉は、俺のそのような感情さえ置いてきぼりにするような衝撃を持っていた。


「アンプルさん、どうかされましたか?」


「急ぎですのでご用件だけ。あなたへの審判はまだですが、しかしその前に、あなたを拘束せよとの声が、一部の上級神の間で上がっているようです」


 俺は全身から血の気が引く思いがした。正直に言えば、もう少し猶予があるはずだという思いがあった。合わせて、アンプルがどの陣営に居るのか分からない恐怖もある。


「それでは、審判の予定自体はもう正式に決定してしまった、ということでしょうか」


 アンプルの背後には上級神がいるだろう。ならば悲しいかな、相手が上級神たちであっては、無駄な抵抗をしても仕方がない。加えて、アンプルの詳細な情報は分からずとも、彼女が並々ならぬ力量を秘めていることは理解できる。


 アンプルは俺が絶望し、この場から逃げ出そうとするのではないか、と思っていたのだろう。俺の潔い態度に、幾ばくかの驚きを交えながら言う。


「いえ、それには、もちろん全能たるあの方の決定を待たなければなりません。ですが、中には過激な神々もおり、いつ、あなたがどのような目に遭うかという心配もあります。その前に、我々の方であなたを保護しようという考えです。不自由させることになりますが、身の安全は保障致します」


「……分かりました、よろしくお願いします」


 これが例えばゲイドリヒの手の者だったら、些細ながらも言葉で抵抗するかも知れない。しかし相手はアンプル姉さんだ、悪いことにはならないだろうし、話し相手くらいにはなってくれるだろう。


 そうして俺たちは中庭を抜け、普段は全く足を踏み入れない、宮殿の反対側へ足を運んだ。途中で他の神々と出会うことはあまりなかった。


 アンプルは速度を変え、時に身を隠しながら進み、俺もそれに従った。どうやら他の神々の動向を探る能力に長けているようだった。それはメルと似通っているが、恐らく程度としてはかなり異なるのだろう。


 宮殿に入ってしばらく進む。そして地下へ足を向ける。下級神と同様、こちらにも神々の邸宅へ向かう所があるのだろう。ともすると、俺はアンプル姉さんの自室に招かれるのかも知れない。そこで甘い時間を過ごし……。


 などと妄想している内に、俺たちは頑強な造りをした門を潜り、別の空間へ出た。そこには、また別の宮殿が立ちそびえていたが、灰色で、飾り気の少ない無骨な建物だった。当然ながら、普段俺たちが使用しているものよりは小さい。砦、といった方が適切な表現なのかも知れない。


「少し窮屈な思いをするかも知れませんが、一時的なものです。どうか、ご辛抱をよろしくお願いします」


 堅牢な造りをした邸宅内を進むことしばらく、俺は無機質な部屋に通された。アンプル姉さんはそのまま遠ざかっていってしまった。


「簡易的な牢屋みたいなものか……」


 実際、俺は牢屋などは見たことがない。しかし、その質素で実に何もない部屋は、まさにそのような形容がぴったりだろう。思うに、そこは誰かの邸宅などではなく、何かの組織が利用する建築物のようだった。


 鉄格子は壁一面ではなく、ドア程度の大きさに抑えられているが、それでも何となく落ち着かない。部屋は十畳ほどで、トイレや風呂も別部屋、ベッドもある。そういう面でそこまで不満はないが、手持無沙汰であることに変わりはない。


「まあ、誰かそのうちに来てくれるだろう」


 来るとしたらアンプルが属している派閥の者だろう。ここはその者達の居城といった所で、いずれかの上級神が管理しているのだと思われた。


 俺は耳をそばだてた。しかし何の音もしない。室内には窓があって、そこからは庭園らしき風景が見える。三階程度の高さだ。窓は開けられず、身を乗り出すことも出来ないから、上下の様子は分からない。


「貴様の正直さも、大概なものだな」


 ふっと声がした。足音は聞こえなかった。だがその声には聞き覚えがある。俺はすかさず上空に視線を飛ばしながら、静かな声を発する。


「グラサン……!」


 誰もいない。押し黙った、無表情な天井があるだけだ。


「こっちだ、バカ者」


 俺は声のする方角に体を向けた。左側の壁だ。するとそこで、ようやくグラサンの顔を見付けた。ただ、今度は顔ばかりではない、確かに最初は顔だけだったのだが、ふっと壁から体も生えて来たのだ。


「……バカとはなんだ、失礼な奴め」


 グラサンは、俺がドルンドルンではないことを知っている。理由は分からないまでも、他の神々とは一線を画すほどに、深い事情を持っていると俺は判断している。


「まあ良い、あの力はどうだ? 上手く使えているか?」


 グラサンは、ちょっとくしゃくしゃになった金色の短髪で、服装は神々のそれだった。体自体は中肉中背だが、感覚的にかなりの力を持っていることが分かる。


「おかげさまで有意義に使わせてもらった。そこは礼を言おう」


 結果的に、人類の半分の夢が叶ったのだ。相手の真意がどうあれ、俺の警戒心や、得体の知れない不信感は置いておいて、そこには感謝しなければならない。


「ほう、素直に感謝されると、なかなか調子が狂うものだな。まあ良い、貴様は良くやっている。さて、その体は俺が預かろう。貴様には、貴様しか出来ないことをやって貰わなければならない」


「ま、待て、何をするつもりだ……?」


 グラサンは正体不明ながら敵ではないはずだが、さすがにその言葉を容易に受け入れることはできない。サングラスは色が濃く、奴の表情までは読み取れないが、冗談ではなさそうだ。


「悪いようにはしない。貴様は今までと同じように、気の向くままに行動すればいい」


 体が動かない。強制的に眠らされるような感覚があった。俺だって僅かばかりに神の力がある。それが、ここまで何の抵抗も出来ないとは、思ってもみないことだった。

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