第20話 ゲイドリヒ

 言われてみれば、確かにそれとなく奇妙な感覚があった。加えて、いつも以上に下級神の姿が見当たらない気がする。


「向こうの角を曲がった辺りだ」


「メルはそういうのが得意なのか?」


 俺が指摘したのは、所謂いわゆる、察知系とされる能力のことだ。


 ここで神々の力に関する話を一つ。


 これより数日前、俺も神々の一人だという自覚を持って、「自然力」という講義に出席したことがある。何でも神々は、多かれ少なかれ神通力というものをもっていて、それを何らかの力に変換することが出来るらしい。それこそ魔法のようなもので、手から火や風を出したり、一時的に肉体力を上げることも出来る。その他色々だ。


『あ~、ドルンドルン君、君は実習の方はいいよ』


 しかしその時、俺は講師らしい中級神から名指しでそう言われてしまった。そのあとは下級神たちの失笑だ。どうやらドルンドルンは特に力の低い神であったらしい。いや、ともすると人間の神という仕事柄なのかも知れない。


 無論、俺はその場を抜け出した。それ以来、二度と講義などというものには出るものか、という強い決意を持つに至った。そういうことがあって以来、俺は神々の力とやらを憎むとともに、心ひそかに憧れを持っている。


 メルは俺の問い掛けを受けて、まずは得意そうな顔をした。


「ふふん、まあ、そうじゃな。天候不順の神だけあって、不穏な空気を察するのは得意なのじゃ。あまり自慢するものでもないけれど」


「凄いじゃないか!」


 俺は短いが正直な感想を述べた。


「と、とんでもなく凄い、じゃと? そんなこと言われたのは初めてじゃ……」


 うつむいて照れるように話すメルを見ていると、ふと頭を撫でたくなってしまう。しかし、俺はそんなメルに対して発情した奴だ。あまり下手なことを考えるべきではない。


 それから、周囲の様子を注意深く観察しながら、俺はそっと曲がり角の向こうを覗き込んだ。するとその時だ、ちょうどメルの言う、その違和感の正体が、本当にすぐその場所にいた。


「あっ……」


 そう、俺が僅かに身を乗り出していたタイミングで、つい目が合ってしまったのだ。距離も一メートルとない、全くの至近距離にその男が立っていた。


 先日、中庭で俺は上級神らしきものを初めて目の当たりにした。俺のようなものでさえ、その強大な力の一端を感じ、言葉もなく気圧けおされた。その力が俺に向いているものではないとはいえ、周囲を幅広く威圧する空気を持っていた。


 今、俺の前にそれと同じ波動を持つ者が立っている。その者は俺にまっすぐに視線を向けて、明らかな意思を持って、俺の進路上に立ちはだかっていたのだ。


 その様子を見て、俺が何を思ったか。それはもう、肝を冷やす思いだった。


(た、玉筋たますじ部長じゃないか!?)


 そう、かつての俺の上司と、その者は非常に似通っていた。強面こわもてで、いかり肩で、彫りが深めで、年の割に豊富な毛量で、柔和そうに見える瞳の奥に、怪しい光を宿している。その者はその特徴をすっかり捉えていた。


 その強烈な眼差しに、俺は思わずたじろいだ。メルも同様に緊張の面持ちをしている。


「ほう、君がドルンドルンか、どんな大層な輩かと思ったが、話が先行しているようだな」


 !? 


 声までも部長に似通っていた。俺はヘビに睨まれたカエルの如く、その場に硬直してしまった。しかし、それでもメルへの配慮は忘れていない。その者の視線を見る限り、メルの存在には気が付いていないようだった。


「審判の前に、一目、実際に君を見てみたいと思っていたが、わざわざ呼び出すまでのことでもなかったのでな。手続きが面倒なことだしな。その点、こうして偶然に会えて幸いといった所か」


 話振りは物腰柔らかで、人を落ち着かせる波長を持っており、どことなく言葉に棘が含まれている所まで同じだ。友好的ではないとはいえ、まずは明らかな敵意はないと判断し、俺は幾らか平静を取り戻していった。


 ただ、見るからに階級が高い相手へ向かって、どういう返答をすれば良いのだろう。


 そう、結局、そのような者は何かを語りたいのだ。怒っていても、楽しんでいる時も、まずは押し黙って話を聞いてれば、何かしらの波が収まっていく。それは俺の理想とする事なかれ主義に対しても反しない。


 結局、俺はだんまりを選んだ。すると、やや表情を硬くしてその者が言う。


「しかし、このような時間まで、意味もなくうろついているのは感心せんな。まあ良い、君の運命など私にとっては些事に過ぎん。ああ面倒だ」


 そう言うと、その者は鷹揚おうような足取りでその場から立ち去って行った。俺はと言えば、しばらくはその場に立ち尽くすことしか出来なかった。うっすらと体表が汗ばんでいる。鼓動は未だに高鳴り、精神が不安定であることが自分でも理解できた。


「……ふう」


 何一つ返答も出来ないこの体たらく、もはやメルにも呆れられただろう。だが、どうやらメルは少しばかり違う思考をしているのかも知れない。


「ゲイドリヒ殿にも屈せぬとは、想像以上の胆力じゃな! アタシなぞは、いつお主の手を振り解いて逃げようかと考えていたぐらいじゃぞ」


 まあ、悪いようには捉えられていないことを喜ぶべきか。


「そ、そうかな。だが、それにしても、あの玉……、いや、ゲイドリヒ様か、凄い迫力だった」


「そうじゃろう、そうじゃろう。上級神の中でも異様なお方じゃ。ただ、そう安穏あんのんと物事を言っている訳でもなさそうじゃな。何か考えがあるのじゃろう、ドルンドルン?」


「うん?」


 ゲイドリヒの迫力を前に、既に彼の記憶が飛びつつあるが、そういえば奴は会話の中で審判と言っていた。メルの発言は、その事と何か繋がりがあるのだろうか。


「まあ良い、ここで話していても仕方がない。お主の家に急ごう」


 メルの言葉に促され、俺たちは再び歩き出した。そして間もなくドルンドルン邸の門を潜り抜けると、そこで俺はようやく生きた心地を取り戻した。


「すまなかったな、ずっと手を握ったままで。それで、どうだ、俺の力は信じてくれたか」


 俺はそっとメルの手を離した。柔らかくて小さい手がゆっくりと離れていく。


「う、うむ。ゲイドリヒ殿もアタシを一向に気に留める素振りはなかった。しかしその力、一体どうしたのじゃ? 下級神でそのような神力を持つ者など、これまで聞いた事がない」


 ちょうどいい。俺はメルにあのグラサンの事を尋ねてみようと思った。まさか俺と会う時だけサングラスをするようなシャイな奴ではないだろう。普段からあんな出で立ちならば、きっと誰の記憶にも残っているはずだ。


「そのことで聞きたいことがある。グラ……あ、いや、黒いメガネ、サングラスを掛けた神に心当たりはあるか?」


「ない!」


 メルの返答は非常に素早かった。グラサンの正体が更に闇に溶けていくようだった。

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