第16話 あなたの本質

「あら、素直なのですね。なるほど、これは……」


「どうかされましたか?」


「あなたに告げることではないかも知れませんが、ここ数日、少しあなたの様子が変わったという話を聞きまして、なるほど、と思った次第です」


「はあ……」


 そう言って、女性は口元に小さな笑みをたたえた。


殊勝しゅしょうな心掛けか、もしくは何事か企みがあるのか。仔細は分かりかねますが、御身おんみを大事になさいね」


 俺は圧倒されたような、変に言いくるめられたような、奇妙な感覚を抱いたまま、その場から立ち去ろうとする女性の後姿を見ていた。


 だが、ふとした契機に俺は走り出し、女性の背後に駆け寄る。


「あ、危ないです!」


 どういう訳か女性は道を逸れてしまい、草むらに身を乗り出したのだ。


「あら、ありがとう……」


 女性は自分でも意外だ、という表情を見せた。彼女は、何かを考えていたが、それでも答えに辿り着けないようなもどかしさを抱いているようだった。


「大丈夫ですか、何か、お疲れなのでは……?」


「いえ、心配ありがとう。でも大丈夫ですよ、少し、感覚を絞り過ぎたみたいです」


 女性はそう言うと、小さく目をつむって何事か呟いた。言葉は聞き取れなかったが、瞬間、女性の中に何かしら活気が満ちたような気がした。


「あら、私ったら、こんなに綺麗なお花を駄目にしてしまう所でした」


「はあ……」


「以前のあなたは、優秀でありながら、どこか意固地さと、危なさがある者だったと聞いています。ふふ、変ですね。今のあなたと、以前のあなた、一体どちらが本当のあなたなのでしょう?」


 女性は再び俺をまっすぐに見据えた。しかし、それ以上女性は特に言及することなく、現れた時と同様、音もなくその場から立ち去って行った。


 俺はやや落胆したような複雑な面持ちのまま、中庭を後にした。


 その後も俺は女性の陰影を思い浮かべた。何ともミステリアスな女性であった。名前を知る事は出来なかったが、恐らく、ドルンドルンとは無関係ではあるまい。一見厳しいように見えて、心根は優しい女性だった。敵ではないと信じたい。


 しかし、彼女らとの出会いが、俺の心境に齎したものは少なくない。幸か不幸か、俺は未だに上級神と真正面から出くわしたことがない。だが、さきほど見掛けた白髪の長身の男性は、恐らく上級神ではないだろうか。


 神々が持ち得る力がどのように決するか、初日にそれとなく理解している。


 まず、神々は地上に赴いて環境を管理する神々と、宮中内でそれらの補助、管理を行う神々とがいる。俺は前者であり、まあ現場と内勤みたいなイメージだろうか。彼らが持つ力も、そのイメージを利用すると考えやすい。


 現場の者は現場で得た力、即ち彼らが管理する対象から力を得る。つまり、管理物が我ら自身を信じる力、もしくは地上で勢力を成している力である。ちなみに、俺ドルンドルンはこの力が最低レベルであるようだ。人間が弱いのか、彼らが全くドルンドルンに信頼を寄せていないのか、もしくは何かしら他の要因があるのか、それは分からない。


 次に内勤の者達だが、これらは一度、現場から得られた力を結集した総力を、役割によって分配される仕組みだ。


 要するに、俺のような現場組が力を伸ばしたいであれば、ピンハネを行えばよい。それは推奨されており、何より地上の生物たち、環境の持つ総力が上がれば、天空の者達、全てのレベルアップに繋がるのだ。汗水垂らして現場で働く者達にとって、その程度のモチベはあってもいいだろう。


 俺は与えられたものから、現状を推測した。


 ドルンドルンが何かしら人間に対して働きかけた結果、その行為が規範などに抵触し、人間、及びドルンドルン自身の地位が低下したのではないかと推測される。人間は滅びの道を辿り、ドルンドルンはそれを歯がゆい思いで眺めるしかない。それが罰だ。


 地上での人間たちの繁栄、及び進化は、何かしらの力で故意に停止させられている。絶滅はもはや既定路線であり、一個人がどうこう出来る問題ではない。


 この圧倒的に不利な状況を前に、しかし俺は考えることがある。人間にしか出来ないことがあるのだ。


 そう、神々に決して風俗街は作れない。利用する者もおらず、働く者もいないからだ。だから、俺がやらなければならない。恐ろしく単純で、もっとも分かりやすい決意の一つだ。


 地上から人間と呼称されている者を連れ出し、それをパンドラで進化させる。具体的な手法は分からないが、その時になれば、リプリエが何かしらの道筋を提示してくれるだろう。


 その為にも、まず、俺がやらなければならないこと。それは、このグラサンの力を使いこなし、人間を地上から移動させることだ。


 その後数日、俺はなるべく他の神々との関わりを避けながら、宮殿内と、そして地上の様子を探った。何度か地上と天界とを往復する内に、一人で自在に行き来することが出来るようになった。


 宮殿下層にある鳥居のようなものは、どうやら神託の門と呼ばれているらしい。門は六基あり、地上にあるそれぞれの大陸に向かうように出来ている。中級神以上の者や、力のある下級神は地上に下る際にもエレベーターのようなものを使うらしいが、俺には関係がない。毎度毎度、空の滑空歩行と洒落しゃれ込んでいる。


 さて、どの大陸も人間たちは悲惨な有り様だった。ろくな知力もなく、結束もなく、体力も腕力もない。


 人間とは考えるあしだ、というのは有名な言葉だが、考えることを奪われたら、人間は本当に頼りない存在になってしまうのだ。


 俺は本来の人間像というものを知っているから、それらの様子を見て、不憫に思う気持ちもある。しかし、それ以上に、そこにどのような力が働いているのかを確かめることが怖くもあった。


 つまり、人間にどのような呪いが掛けられているのか、だ。


 人間はまず、神々により進化を阻まれ、緩やかな絶滅を命じられた。果たして、彼らをパンドラに移動させることで、その呪縛から解き放つことが出来るのだろうか。その他にも何か条件が出て来るかも知れない。


 地上を高速で移動しつつ、時に立ち止まり、周囲を見回し、考える。基本的にはそうそう誰かに出会うことはない。


「ねえ、ちょっと!」


 だが、そのようなことを繰り返しながら、とある草原地帯に足を踏み入れた時、俺はふと何者かに呼び止められた。

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