第15話 上級神の波動

 しまった、ルナータだ、俺は血の気が引く思いがした。せっかく改善した関係性が再び壊れてしまう。


 とはいえ、今更嘆いてももう遅い。俺は距離を取ったのをこれ幸いと、自らへの不認識の力を解くと、わざとらしく足音を鳴らして、ルナータの側面に回り込んだ。


「ルナータ、どうした、大丈夫か?」


「ドルンドルン? うん、ちょっと体が少し変になって……。でも、もう大丈夫」


「そうか、少し気に掛かったから。それなら良かった」


 俺は俺の性欲の力を再認識し、唐突に絶望を噛み締めるに至った。


 脳裏に再びグラサンの言葉が蘇る。「期待を与え、そして絶望を齎し得る力」。まさか、奴も何かしら俺のこの複雑な力と関係があるのではないだろうか。俺と同様の力を持っているとでも言うのだろうか。


 だが、奴の言葉にはそれ以上に大事な表現があった。それはこの力には限りがあるということ。それが時間的なものか、または一時的に与えられただけのものであるのか、それはまだ分からない。


 今回は仕方ないとして、あまり考えなしに使用していい力ではなさそうだ。だが、グラサンの力もだが、他にも色欲力とでも称すべき、この力の秘密を解明する必要もある。


 リプリエ、ルナータ、そしてマニラ。それらを繋ぐ共通点、もしくは相違点は何だろう。思えば、彼らは三者三様の反応を示したようにも思う。その方面から謎を解き明かすことは出来ないだろうか。


 とはいえ、理解しやすそうなのはグラサンの力の方だ。この力はチートに近い。これを使えば、人間たちを、地上からパンドラまで移動させる足掛かりにはなるだろう。


 俺は考えをまとめるべく、中庭へ足を運んだ。ありがたいことでもあるが、このドルンドルン、宮中では何かと面倒な関わり合いが多いようにも感じる。


 少なくとも、パンドラの運営に付いては俺一人で考えなければならない。


 俺は思考を働かせる為、この間とは違う、光溢れる中庭の小径こみちを歩いた。歩いているだけで力が満ちて来るような感覚がある。思えばここ数年、仕事やら日常生活に忙殺されるばかりで、このような心の安寧を感じることなぞ、ほとんどなかった。


 俺は平和を噛み締めていた。そして、この平和な時が続けばいいのにと思ったが、ふと他者の気配を感じて、反射的に木陰に身を潜めた。


 道の両端から、男と女がやって来る。


 片方は白髪の男。ただし肉体や肌は若々しい。もう片方には青髪のたおやかな女性。二人は十メートル以上の距離を保って、特に互いを意識することなく歩を進めていた。単なる散策であれば、一見するとおかしな点はない。


 だが、俺はこう見えて変に勘が働くのだ。そこにその二人がいるのは偶然ではなく、何か意図的なものであるのではないか、と俺は勘繰った。


 そうなると、逢引きに違いない。


 既に俺はもう身を潜めてしまった。今ここで出て行く訳にもいかず、こうなったのは仕方ない。不可抗力だ。俺が身を潜めたのは反射的、いわば体が勝手行ったことで、意志の介入しない出来事であり、今、ここに俺が存在していることは、誰の罪でもない。


 俺は言い訳染みた言葉を自分に与えて、その場で息を潜めて事態を見守った。


 しかし、男女は一瞬擦れ違うだけで、そのまま通り過ぎてしまった。俄かに成り行きを期待した俺は、勝手ながら裏切られたような気持ちになった。


 だが、決して関わり合いにならない、それで良かったのかも知れない。俺と彼らとでは、大きな溝が広がっているような気がしたのだ。上手く表現できないが、敢えて語るならば、それは力の差、だろうか。


 俺はまだ、神としての戦いや、その力の強弱の何たるかが良く分かっていない。だが、その俺ですら、先の二者が高みにある事が、労せずに理解できるようだった。


 特に男性の方だ。通り過ぎて行った今でも、この身に軽い震えが残っているようだった。それはデシフェル、マニラという中級神を前にしても感じなかった感覚だった。女性も並の者ではないだろう。両者とも触れただけで火傷をしてしまう、俺はそのような恐怖感を抱いた。


 あまり関わるべきではない。それが本能的に理解できる。


 そもそも、俺はつい気軽に中庭に足を踏み入れてしまったが、本来ここは低級神が気軽に訪れて良い場所ではないのかも知れない。俺は来た道を戻るべく、強張こわばる足腰に喝を入れて歩き始めた。


「あまり感心しない趣味ですね、ドルンドルン」


 特に気配は感じられなかった。だが俺の背後、虚空から湧いて出た声を受けて、慌てて俺は振り返る。


「悪気は無さそうでしたので、騒動にするつもりはありませんが、もう少し自重したらいかがですか」


 先ほど遠ざかっていったはずの、青い髪を持つ美女だ。青く透き通る、涼し気な瞳の中に、どことなく儚げな雰囲気を秘めた女性がそこにいた。清涼感を伴った、消え入りそうな声。華やかな庭園の中にあって、どことなく線の細さが感じられた。


 俺は自らに向けられたその視線を前に、自身の思い上がりをただす必要性を感じた。


 この世界に来てから、俺はルナータ、デシフェル、レヴォン、マニラと、温度差はあるが、それなりに関係性を確認することが出来た。そして、その中には敵らしい敵はいない、という認識であった。


 その点、この女性はどうだろう。言葉尻、態度は柔らかくも、それらとは一線を画すかのような空気を放っている。


 その女性は、凡そ宮殿中では見なかったタイプだ。繊細に映る外観と、その内面の力との間に、アンバランスな魅力があった。守ってあげたくなるようなか細さを持ちながら、底知れない力を眠らせている。


 俺はその女性から目を逸らせなかった。そして、返答出来ずに押し黙るしかない俺に向かって、女性は静かに言葉を続けた。


「あなたの罪とその処罰は、今度どうなるかは分かりませんが、いわば保留された状態なのですよ。そのような中、様々な神々が利用するような場所に、特に理由なく立ち入ることは、あまり褒められたものではありませんね」


「は、はい、申し訳ありませんでした」


 思えば、その女性は俺に何らかの返答させる為、そのような忠告をしたのかも知れない。好意的、もしくは友好的とは言えないまでも、何かしらの意志をもって中立的な立場を貫いているような印象があった。


 だが、俺の返事を前に、女性はやや意外だといったような表情を見せる。

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